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フロリダ州ジャクソンヴィル生まれの27歳。
5歳の時にハーレムに移住、15歳の頃から所属していた学校のバスケット・チーム・メイトを楽しませるためにラップを始める(メイスは奨学金を得るホドのバスケット・プレイヤーだった)。

そして自分のなかでヒップホップが重要度を増したメイスは、バスケットの道を捨てラッパーとしてプロを目指す。

"メイス・マーダー"という名前で、"チルドレン・オブ・ザ・コーン"というグループに参加、順風漫歩な滑り出しをみせるも、その後メンバーの交通事故死により解散を強いられる。

それを機にメイスはいよいよソロ・アーティストとしてのキャリアをスタート、ニューヨーク・クラブ・シーンでのコネクションを築き上げる。

96年、メイスは、アトランタのとあるミュージック・コンファレンスに当時頭角をみせ始めていたプロデューサー=ジャーメイン・デュプリに出会うべく参加。

しかし、彼のラップをみて契約の提示をしたのはデュプリではなくバッド・ボーイ・レコーズのショーン・パフィ・コムズだった。メイス は、パフィが売り出し中だった112のシングル「オンリー・ユー」のリミックスのフィーチャリングでメジャー・デビューを果たし、 ノトーリアスB.I.G.、ブライアン・マックナイト、ジュニア・マフィア、バスタ・ライムスなどへの曲に次々と客演ラッパーとして参加、名を挙げる。 97年、満を持して『ハーレム・ワールド』でアルバム・デビュー、ジェイ-Z、DMX、リル・キムら豪華ゲストがフィーチャーされたこのアルバムは400 万を越す大ヒットを記録、一躍バッド・ボーイ・レコーズの看板をノトーリアスB.I.G.とともに張るラッパーとしての地位を確立した。

その後もブランディ、パフ・ダディ、マイア、ブラックストリートなどのゲスト・ラッパーとして引っ張りダコとなり、その勢いのママ、 99年セカンド・アルバム『ダブル・アップ』をリリース。やはり大ヒットを記録するも突如、牧師になると宣言、ヒップホップ・シーンからの引退を決意す る。絶頂期の引退とあってバッド・ボーイ・レコーズはもとよりヒップホップ・シーンそのものがショック状態になるホドの衝撃を与えた。それから5年、まさ に「ウェルカム・バック」というそのままのタイトルで突如復活を発表。しかもその復活を祝福するレーベルは、あのネリーのレーベル"フォー・リール"と P・ディディの"バッド・ボーイ・レコーズ"のコラボレーション・リリースという贅沢なモノとなった。