井筒監督インタヴュー1:『パッチギ!』はプロテスト映画だ

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──『パッチギ!』には“We shall overcomesomoday”というサブタイトルがついていて、これはビート・シーガー、ジョーン・バエズの有名な曲ですけれども、このタイトルをもってこられた理由は?

井筒監督:時代設定が1968年ですから、反戦歌、プロテスト・ソングの時代だったんです。ボブ・ディランやジョーン・バエズなんかのフォークの吟遊詩人がアメリカや世界に対して何かをプロテストしたいという時代やったですよね。そういうものとこの映画が描いているところのプロテスト性が合ったというかね。それで、時代の共通性を探り合っていったら“パッチギ”という言葉が出てきたんです。大阪では“パチキ(頭突き)”のことですけど、さらに調べてみたら、朝鮮語の語源として“パッチャダ”といって、目の前にある障害や障壁、困難を逃げないで乗り越えて行こう、という意味があるんだということが分かって。それは反戦メッセージ・ソングやプロテスト・ソングの意味合いと同じだな、と。それが“Weshall overcome”であり“I shall be released”であり、そういう感覚と同じじゃないかと。

──それは最初から決めていたんですか?

井筒監督:あとで発見したんですよ。プロデューサーの李鳳宇さんが「“恋のパッチギ”ってどう?」って言い出して。朝鮮人と日本人のラブロマンス、番長をめぐる話だからストーリー通りやね、と。そこからもう一回“パッチギ”の意味を調べたんですよ。時代のプロテスト・ソングの状況がにわかに蘇る中で、プロテスト映画っていうのがガーンとあっていいんじゃないの、と。当時はプロテスト・ソングはあったけど“プロテスト映画”ってなかったからね。

──『いちご白書』とかですね。

井筒監督:そう、あんな程度のもんやんか(笑)。当時のプロテスト・ムービーみたいなものはなんやねん? っていうたら、僕らが見てきたアメリカの『イージーライダー』だったり、ある意味『卒業』もそうですよね。人の嫁はん取って逃げる話やねんから。それから『俺たちに明日はない』もそうやし『真夜中のカウボーイ』もそうやし、当時のニューシネマは全部プロテスト映画でしたよ。でもその頃、日本のプロテスト映画ってないんですね。あったかもしれないけどヤワなもんばかりで。だから今に蘇らせるとね、在日や朝鮮の問題もひきずってるわけだから、それがちょうど今とリンクするんじゃないかと。1968年は今の2005年に、ガッと時空を飛び越えて“overcomeするんじゃないの?”と。そういう意味でこうなったんですよ。それで、当時の音楽をもう一回出していこう、ということでフォークル(フォーク・クルセダーズ)の加藤和彦さんに行き着いたんですよ。

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