【Last Live】4人は静かにステージを下りていった…。

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冷たい秋雨が降る日曜日だった。

千鳥ケ淵の坂道を今までに何回上ったか判らないが、その日のような足取りの重さを自覚することは過去にほとんどなかった。

SLIDERSのメンバー、特にハリー(村越弘明)は、今日の最後のステージで何か言うのだろうか?」

「いや、おそらく、ほぼ間違いなく何も言わないだろう…」

──さっきからこの問答の繰り返しである。歩きながらファンの人たちの表情を見ようと、瞬間的には思うのだが、地面ばかり見ている。グッズ売り場のテント近くに来て、人波の中に入る。ファンの人たちの会話が断片的に聞こえてくる。北海道、大阪、徳島…みんなずいぶん遠くから駆けつけたのだなぁと頭が下がる思いだ。

4:20PM、客電が落ちて、照明とPA以外は何もないステージが露になる。

客席には360度オーディエンスが入れられた。SLIDERSの武道館ステージでこの光景を見るのは初めてだ。メンバーがステージに登場し、所定の位置に着く。ハリーがステージ後方にいる観客に向かって手を上げている。THE STREET SLIDERS/LAST LIVE、オープニング楽曲は「Angel Duster」だった。今年の3月から6月にかけて新宿リキッドルームで行なわれた一夜二公演ライヴ<THE LATE SHOW>で「Angel Duster」はアコースティックセットでプレイされたが、この日はさすがにエレクトリックセットだった。

曲のアレンジは、基本的に一夜二公演ライヴの要約&凝縮版だった。

曲の配置によってLASTな感覚は生まれるのだろうか? そんなふうに思いながら最後のステージから放たれる曲を受け止めていた。

7曲目は「風が強い日」。この曲は'87年発表の7thアルバム『BAD INFLUENCE』に収められていた曲で、チャート的に言えばSLIDERS史上もっとも成功したアルバムだった。僕の記憶が正しければオリコンチャートで初登場2位につけ、都内ホテルで祝賀パーティなども催された。しかし、その数週間後にドラムスのズズ(鈴木)がバイク事故で足首を骨折。数十本予定されていたツアーは全てキャンセルされた。“代わりのドラムでプレイはできない”とハリーが判断したからだった。SLIDERSのライヴには、まさに“針の穴に糸を通す”ようなタイミングと“足下を掬って浮遊させる”ようなグルーヴがあったのだ。

「自分が望むヴォーカリストはいなかった。だから消去法的にオレがヴォーカルになったんだ」

…'80年代の後半にハリーはこう言った。

それに対して土屋“蘭丸”公平は
「ハリーのヴォーカルは倍音がすごい出るんだよね。上から下まで」と言った。

ハリーがヴォーカルになったことは消去法であれ悲劇的選択になる可能性も秘めていた。それを彼らは2本のギターの絡みを限界領域を越えて高めることや、まるで“その日の呼吸”のように息づくリズム隊の支えによって払拭してきた。

それでも、ハリーのヴォーカルピッチが悪いステージでは、僕はこのバンドに対し悲観的になった。しかし、言い換えれば、その不完全さを僕は愛していた。“人生には完全なことなどない”という真理めいた裏付けから愛していたのではなく、悲劇的な選択=不完全さを完全に近づけていく上昇的努力をメンバーは(特にハリーは)怠らなかったからだ。そこに僕は人生の現実的な真理を垣間見たのである。

LAST LIVEでハリーのヴォーカルピッチはほとんど狂うことがなかった。

THE STREET SLIDERSは“完成した”と思った。そう、思いたかった。

そして、アンコールラスト「のら犬にさえなれない」が終わっても、ハリーは“解散”に関してひと言も触れず終演した。

4人は静かにステージを下りていった。
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