奇才・平沢が提唱する“真”のインタラクティヴ【パート1】

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奇才・平沢が提唱する“真”のインタラクティヴ

観客の反応およびインターネットを経由してアクセスされた情報によって、ライヴステージの進行そのものが変化するという「インタラクティブ・ライヴ」をこれまですでに7回行なってきたソロ・アーティストとしての平沢進(P-Model)。

数多くのエンディングが用意されているものの、いわゆるハッピーエンド/トゥルーエンディングを迎えられるかどうかは、オーディエンスに与えられた会場でのリアルタイムな反応(と、インターネットからのファンによるアクセス)に全て委ねられている。

今回すでに行なわれた大阪でのライブ('00年11月11、12日)、今後予定されている東京メルパルクホールでのライブ('00年12月6、18日)は、最新作アルバム『賢者のプロペラ』のコンセプトと大きくリンクした内容になっている。

言うならば、作品コンセプトを知らずしては、ライヴ進行をコントロールし美しき本当のエンディンに導くことは非常に困難であるというものだ。

実際に大阪での2回のライブでは最終的な到達点には達せず終了してしまっている。初日11月11日はストーリー的に見てバッド・エンディング、翌12日も、ごく無難なエンディングを迎えてしまい、オーディエンスが求める「ハッピーエンド/トゥルーエンディング」への渇望は、12月の東京ライヴへの期待として過剰なまでの注目がそそられている状況だ。

そこで「アルバム・コンセプト」と「ライブ・コンセプト」とインタビューを2回にわけて、そのヒントを平沢進本人から聞いてみることにした。

本当のエンディングを見るためのヒントがここには隠されている!?


▲コンサートではストーリーの分岐はすべてオーディエンスに委ねられる。

▲二者選択。正しきストーリーは左か右か?

▲オーディエンスの声をリアルタイムに取り込み、分岐をコンピュータで制御する。

▲今回は右が選択され、ストーリーは思わぬ方向へ…。

▲身体の動きをトリガーとして、映像をリアルタイムにコントロールする平沢。その結果が次への展開を生む。

▲ステージと映像が一体化した演出により、ステージの周りに炎が…。



平沢進本人からロンチメンバーへ
コメントが届いています

●今回のアルバム『賢者のプロペラ』は、ミャンマーでの体験がモチーフになっているということですが。

平沢進:
ここ何年来、東南アジア方面にリスナーを連れて出掛けては路上で変なことをしたり、国々の施設を使って大掛かりないたずらをしたり、そういうことをやってきたんです。そもそもは、今回は、ミャンマーに面白い題材があるかどうかを見つけるために行き、そこで体験したことが元になってることは間違いないですね。

●ステージのセットのグラフィックは、マンダレー地方の仏教遺跡バガンですか。

平沢:
そうです。

●なぜ仏教遺跡が?

平沢:
私は東南アジアの“オカマ”に接触する時期が長く、タイのオカマから始まって各地のオカマの生態を見たり、話を聞くことに多くの時間を費やしてきたんです。東南アジアのオカマとは、単なる日本におけるオカマとは違い、霊媒師であり、あの世とこの世をつなぐ役割を担っていることが多いんです。そこでミャンマーにおけるオカマはどうなのか…と調べたかったというのはありますね。そこでミャンマーに赴き、現地に案内をしてくれる初老の知識人に話をしているうちに、ではバガンに行ってみようということになった。そこで我々はとても不思議なものを発見してしまったんですよ。

●不思議なものとは?

平沢:
それは仏像と一緒にどう見ても西洋人(オランダ人)らしい人物が置かれている。現地の人に訪ねると、それはオランダ人ではなく、ミャンマーの錬金術師だという。そして話を進めていくと、あまりに西洋の錬金術に内容が合致している。そもそもは無から金を作りだすというより、精神の鍛練が金をも生みだす…という考えが、ついには本当の金を生みだすという考えに変化してしまったようですね。またそれに付随してオカルティックなものへと変貌してしまう。そういうことが今回のアルバムのテーマになっているんです。

●錬金術とは、イメージ的には西洋のものではないですか?

平沢:
そう思うかもしれないけれども、元をたどれば、すべてが東洋思想に基づくものであることが分かると思います。

●ライブ・セットでの賢者のプロペラには陰陽のマークがありましたが、あれはタオイズムのものですよね。

平沢:
中国で生まれたタオイズムの考え方というのは、つきつめてゆくと、物理学と非常に近いのものになってゆくんです。つまり錬金術の元は、中国ということになる。だからここミャンマーに錬金術があっても、ある意味当然なのですけど、面倒なことにインドから入ってきた仏教思想がそれに加わることで、より複雑なものに変貌しているんです。

●現在も錬金術師は健在なのですか?

平沢:
いるらしいです。仏教の影響もあるので、たいがいが偉い僧侶だったりするんですけど、ただ実際に作られた金を見たものはいない。また作る工程を見たものもいない。が、「あの人は錬金術師で金を作った」と言われる人も実際に存在しますよ。その多くは民衆の救済や、医学などに携わっており、民衆からは支持されているらしいです。そのために弾圧される存在でもあるとのことですね。

●アルバムでは、音楽を成就することが、いうなれば現代の錬金術の代替行為であるとありますが。

平沢:
それがテーマと言えます。

●さきほどオカマというテーマがでましたが、ライブのおける進行においても、キーワードとなるのが、そのあたりではないかと感じたのですが。

平沢:
その通りです。さっきも言ったように、オカマ、つまり男性でも女性でもない存在は、いうなれば人間の性を超えた存在として、東南アジアでは、農業における祭りにも大きく関与している。いうなれば人と神、天と地の仲介をする。それがどう動くかによって、どう変化するのかが1つのキーワードになっていることは間違いないでしょう。

●今回のライブも、兼ねてから行なっているイタラクティブ・ライブのより発展形で行なわれていますね。

平沢:
ただライブを行なう…というだけではなく、私のソロの活動として、すべてリンクしています。最初に述べたアジアでの様々なもくろみもその一環ですから。その表現として今回のライブがある。インタラクティブ・ライブは、膨大な時間と手間がかかったある意味で実験なんです。だから大阪でのように、到達点がこちらが用意した本当のエンディングでなくてもそれは問題のないことだと思っています。

●しかし、ストーリーの流れとして望むべき本当のエンディングに導くカギが、アルバムのコンセプトの中にあるわけですよね。

平沢:
そうです。東京でのライブでの観客とインターネットの向こうのリスナーにそのカギは委ねられているわけです。

ではライブについての詳しい話は次回に回すことにしよう。
次回のインタビューを総合すれば、来たる東京メルパルクホールでは、まず間違いなく本当のエンディングを見ることができるはずだ。

乞うご期待!


奇才・平沢が提唱する“真”のインタラクティヴ【パート2】はこちら

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