3つの要素から解明するムックのすべて

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ムックの音楽が常に与えてくれるもののひとつに“情景”がある。聴いていると、必ず脳内スクリーンに何かしらの映像が浮かびあがるのだ。実際、そこで連想される映像というのは十人十色であるはずだが、聴き手のうち何人かに共通する何かを想像させるかということ以上に、そこにいる全員の想像力を刺激するということが重要じゃないかという気が僕はする。

とにかく彼らの音楽は聴き手の想像力を刺激せずにおかない。それはたとえば、音に込められた“思い”の濃さゆえでもあるし、当然ながら歌詞世界の深さにも起因する。ムックの音楽そのものが気楽に聴き流すことを許さないようなたたずまいをしているのと同様に、その歌の世界もまた、ヘラヘラしながら気安く歌うことがはばかられるような空気感を持ち合わせている。というか、逆に彼らの歌詞世界が語呂合わせの和製ラップみたいなものだったり、学校唱歌みたいな背中押し系だったりしたなら、せっかく重厚に構築された威圧的サウンドも、一気に説得力を失ってしまうことになるのだろう。つまり、ムックの音がヘヴィな説得力を獲得するためには、それと釣り合う濃密さを持った言葉と歌も不可欠であり、逆にそうした歌詞の世界観を有効に伝えるためには、サウンドを研磨することも必要だったというわけである。

ムックの音について語るとき“重さ”がキーワードになることが多いのと同様に、その歌詞世界について考えようとしたとき、やはり“暗さ”は外せない。それは少年犯罪について論じられるときにかならず出てくる“心の闇”というやつに置き換えることも可能かもしれないし、さらに言えば心の“病み”でもあるのかもしれない。が、闇の部分、すなわちネガティヴな要素に対して目をつぶり、闇雲かつ無責任に光だけを求めようとする歌は、ホンモノのポジティヴさを感じさせてくれはしないし、不安を否定して希望だけを歌うことは単なる現実逃避でしかないと僕は思う。

が、ムックは何からも目を逸らすことがない。むしろ絶望なら絶望を徹底的に吐き出すことで、闇の奥からさしてくる光を探そうとするのが彼らなのである。マイナス同士の掛け算がプラスの答を導き出すのと同様に、絶望に絶望を重ねたムックの歌は、結果、希望を見いださせてくれる。だからこそ脳内スクリーンに浮かぶ映像には、かならず光がさしこんでくるのである。

文●増田勇一


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