大貫憲章、ロングインタヴュー

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ロンドンナイトPHOTO──そもそもLONDON NITEってどういうきっかけで始まったものなんですか?

大貫:クラッシュの1980年の全英ツアー(『ロンドン・コーリング』が出た頃)に、僕が同行取材させてもらったときに、DJとして同行していたバリー・マイヤースという、白人のレゲエ専門の人がいて。彼のやってるDJを見て、カッコいいと思って始めたのがきっかけ。

──そこで体感したカッコよさを、日本に持ってきて伝えようと?

大貫:そうですね。伝えようというほど大げさではないんですけど。彼のような方式でイベントをやりたいな、と思ったんですよ。

──始めた頃のLONDON NITEってどんな感じだったんですか?

大貫:LONDON NITEという名前で始めたのはツバキハウスに移ってからなんですけど。その前に2、3カ月は西麻布のトミーズ・ハウスってところでやってたんですよ。

──当時のお客さんの反応ってどうだったんですか?

大貫:反応ないですよね(笑)。そのハコ自体がショットバーでして。かかっている曲のほとんどが、ブラック・コンテンポラリー中心という。お客さんも、そういうのを聴きにくる人ばかりでしたから。時代がまだそこまで来てませんでしたからね。だからお客さんからクレームをつけられたりしましたよ。ツバキハウスに移った当時もそうだったけど。

──実際にLONDON NITEが盛り上がるまでは、どれくらいの時間がかかったのでしょう?

大貫:1年はかかりましたね。そこまで辛抱強くやらせてくれたツバキハウスの人に感謝してますよ。

──何か盛り上がるきっかけ、出来事みたいなコトはあったんですか?

大貫:出来事っていうよりも、地道にやってきた成果でしょうね。ツバキハウスの人や「(当時大貫氏が執筆していた雑誌)ポパイ」編集部の協力もあってね。とくにきっかけとかはないんですよ。つまり認知されるのに1年かかったってコトですね。

──そんな初期LONDON NITEの盛り上がりのなかには、いま音楽、ファッションシーンで活躍する人も多くいたそうで。さきほど名前のあがった藤原ヒロシさんもそのひとりですね。

大貫:盛り上がりを支えたかどうかはわからないけど(笑)。当時お客さんとしてよく遊びに来てくれていたらしいね。

──藤原さんに対する何か思い出はありますか?

大貫:ヒロシがよく遊びに来ていた頃、彼はまだ普通の学生だったからね。でもすぐ仲良くなりましたよ。ヒロシだけじゃなく、常連客は全員と仲良かったんで。彼とはお互いの家を行き来しましたし、当時彼の家に行ったら高木完もいて。その2人とはよく遊んでましたね。

──そんな80年代、何か思い出に残っていることはありますか?

大貫:80年代=87年までやってきたツバキハウス時代ということになるんですけど。まず、風営法が施行されて、途中からやる時間が短縮された思い出がありますね。あと、LONDON NITEと並行して生放送のラジオ番組をやっていたんですよ。それに行かなくてはならなくて、DJの途中でラジオ番組に行くって生活が、しばらく続きましたね。とにかく忙しかったなぁ。まぁ若かったしね。今じゃ無理だけど(笑)。あとはイベント自体はケンカは多かったなぁ。血の気の多いヤツがいっぱいいましたから。それでロンドンナイト=怖いというイメージがついたのかな。でもそれはほんの一時期ですよ。


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