3年振りのニュー・アルバム「ハヴ・ア・ナイス・デイ」に込められたメッセージとは?

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――結局、このアルバムのためにかなりの曲を作ったのですか?

ジョン:いや、今回はバンドの歴史で初めて、いや、2作目以来かな、それをしないで済んだんだ。作詞作曲をしてる時点から、これでアルバムになるな、って思ってたんだ。でも、それがどうもやましいことみたいに思えたんだよね。これまでいつも30曲、40曲作ることで知られてた俺たちだからさ。だから、12~14曲まず書いて、12曲レコーディングしたんだけど、その時点で罪悪感を感じたんだ。

――前作には人々に希望を与えようとするメッセージが込められていたと思うんですが、今作ではそこから「立ち上がろう」と呼びかけているのでしょうか?

ジョン:これは「包含」を語ったアルバムだと思ってる。今回は個人的な意見も表れてるね。あんまり三人称でも歌ってないし。「ウェルカム・トゥ・ウェアエヴァー・ユー・アー」「アイ・ウァナ・ビー・ラヴド」「コンプリケイテッド」なんかは一人称だしね。「ワイルドフラワー」も「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」もそう。だから今回はもうちょっと俺がどんな奴で、どんなことを感じてるのかっていうのがわかってもらえると思う。比べて前作収録曲の「バウンス」とか「アンディヴァイデッド」なんかは、結局自分たちが毎日では9/11のことを考えてたから、治癒のプロセスを語ってたよね。

――『ディス・レフト・フィールズ・ライト』のプロデューサー、パトリック・レナードは今回も起用してるんですか?

ジョン:いや、彼、ロサンジェルスで『The Ten Commandments(十戒)』っていう舞台用の音楽を作ったんだよね。だから彼も時間がなかったんだ。でもその代わりに、ジョン・シャンクスっていう人と仕事をする機会ができたんだ。何度か話し合いを重ねて、このアルバムにはジョンの方が合ってるな、って思えたんだよね。パットはすばらしいよ。今でも友人として連絡は取ってるし、彼と仕事ができたのはすごく誇りに思ってる。『ディス・レフト・フィールズ・ライト』の出来には自分でもすごく喜んでるんだ。俺の友達は全然気に入らなかったみたいだけど(笑)、俺は本当にあれ気に入ってたもんな! あのアルバムに入ってる曲に対する彼の解釈はすごく好きだったし、すばらしい仕事をしてくれたと思ってる。ああ、でもいい例があるよ。「ラスト・マン・スタンディング」は俺、『ディス・レフト・フィールズ・ライト』のために書いて、俺らレコーディングもしたんだ。でも、思うように仕上がらなかったからあのアルバムには入れなかったんだよね。でも、シャンクスと仕事を始めてから、「見えてはいるんだよね、これはこういう風に演奏するべきなんだっていうのはさ」なんて言ってたんだ。俺はこれまで作った曲は全部アコースティックギターかピアノでやってきて、曲を作る程度はできる。だからスタジオに入っては「いや、T(ティコ・トーレスのこと)、これはもうちょっとこうやってくれ」ってやるわけさ。俺はドラムとかはやらないからね。俺、スタジオにいる時は(作曲に対する)独特のテクニックがあるんだよね。スタジオでの作業はすごくオーガニックで自然なんだ。「ちょっといじって」「もうちょっと速く」なんて言いながらやるわけさ。パットとは音楽的な仕事ができた。でも、ジョンとやったら、この曲の詩的な部分が引き出されたんだ。だから時によってなんだよね。パット・レナードとまたアルバムを作る気はあるか、って訊かれたら答えは「もちろん当然」だけど、今回このバンドのアルバムを作るってことに関しては、ジョンの方がしっくりきたんだよ。

――なぜ今でもロックを続けようと思えるのですか?

ジョン:ただ音楽を作る作業が好きなんだよ。いろいろあるプロセスの中で、その段階が一番好きなんだ。レコーディングが2番目。ツアーが3番目。こうやってインタヴューに出たりするのは99番目(笑)。とにかく歌を作るのが本当に楽しいんだ。だからそれでいいものができれば、それを形に残したい。それだよね、俺のモチベーションは。そのプロセスが本当に好きなんだ。この時点ではもうカネとか成功じゃない。だから、この先20年とか経って、回顧ツアーしたり地方廻りとかするぐらいなら、そうなる前に解散するよ。再結成ツアーなんてありえないな。でも俺らがまだ楽しいと思ってやっていて、まだまだ言いたいこともあるんなら止める必要はない。

――このアルバムのリスナーにはどんなことを汲み取って、どんな気分になってもらいたい?

ジョン:「包含」っていうものを理解してもらいたいよね。みんな同じなんだ、ってこと。それから「楽天的なものの見方」も。世の中いろいろ難しいだろ?「コンプリケイテッド」って曲にもあるけど。「楽天的」って言っても、ナイーヴなわけじゃない。さっき言ってたジャケットのロゴと同じでさ、抜け目なく、この世に完璧なものはないんだってわかった上での楽天性だよね。

――「Tokyo Road」をリリースしたりと親日的なのはファンも知っていますが、あなたは日本をどう見ていますか?

ジョン:日本とはもう長い付き合いだもんね。俺らがそもそも最初に成功したのは日本でのことだったし。俺らが初のゴールド・レコードを手に入れたのも日本でのことだったんだ。だから『7800 ファーレンハイト』の時に「Tokyo Road」を作ったんだよ。日本とのつながりは年を重ねるごとにより良いものになってきてると思うね。もっと俺らも(価値を)玩味できるようになったし。日本も変化してきたよね。だんだん、他の国もそうだけど、いろんな文化に影響されて、「るつぼ」っぽくなってきたと思う。俺が初めて行った頃は、もっと国民性があったっていうか、独特の文化を持ってた。もちろん、今でもそういう部分はあるけど、最近はアメリカとかヨーロッパのポップカルチャーが日本の心に染みてきてる感じだね。それで今はまたグウェン・ステファニーのハラジュク・ガールズとか、それがアメリカに跳ね返ってきてるんだよね。でもスタイルやファッションはアメリカとかロンドンの影響が入り交じってるね。デザイナーズブランドの店が原宿に並んでたり。俺が初めて行った時は、まだそんな感じじゃなかったもん。マクドナルドはあったけど、(今ほど)そこら中にはなかったし。今より国民性があったよな。でも、これは世界中の国に関して言えることだけどね。マクドナルドやピザハットはアフガニスタンやイラクにもあるしね。ピザハットから出てくる兵士の写真とかもあったりするし。だからアメリカ文化の影響は世界中のどこにでも見られるから、日本人の責任じゃないけどさ。でも、俺は初めて行った時のあの独特なイメージが大好きなんだよね。

――これからこの先、20年後30年後のボン・ジョヴィからはどんなものが期待できるのでしょうか? また何かこれからの目標などはありますか?

ジョン:もうそれについては触れたと思うけど、自分で前進してるなって思えるんだったらいいけどね。俺はストーンズの息の長さを自分の参考にしてるんだよね。彼らの選んできたキャリアの流れはすごく好きで。だから彼らみたいに音楽作りを続けていければって思う。自分とは違う世代にうけようとして、何も分かっちゃないのに他の誰かみたくなろうってやるんだったら、やらない方がいい。でも、自分がどんな人間で、どんな経験をしているんだとか、自分の人生についての歌を書いてるんだったら、やめることないよな。だからまだまだ音楽やっていたいね。でもあと20年ってことはないだろうな。もしやってるとしたらものすごく違った作品になってると思うし、そう願ってるね。63才にもなって『ハヴ・ア・ナイス・デイ』みたいなものを書いてるとは考えられないからね。でも、まだこの先アルバムを出すことはあり得ると思う。

――今、一番手に入れたいものは?

ジョン:睡眠! 日焼けぐらいさせてくれ! たまにはビーチで寝転がりたいよ。やりたいことはすべてもうやってきたからさ。結果的に失敗しても、とりあえずやってみることはできたし。それってすばらしく恵まれた人生だよ。そうやってトライできるってことはね。音楽じゃなきゃ、社会運動にも参加したり、フットボールチームを経営したりさ。



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記者会見映像


2005年9月13日に都内某所で
行なわれたボン・ジョヴィ
記者会見映像



ボン・ジョヴィ オフィシャルホームページ
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/bonjovi/

ボン・ジョヴィが参加したチャット・イベント
「Yahoo! JAPAN ライブトーク」レポート

https://www.barks.jp/news/?id=1000011706
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