【佐伯 明の音漬日記】忌野清志郎氏の新作『夢助』を聴く

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2006.09.△

ナッシュビルでRECされた忌野清志郎氏のニュー・アルバム『夢助』を聴く。

戦後日本の大衆音楽界は、特にアメリカのジャズ・ヴォーカル曲や
ポップスをまず日本語に訳して~

つまりは、日本語の音韻・音節にはほとんどメスを入れず、
しかしながら華やかな雰囲気はそのままに~歌うことに専心し、
いちおうの成果・成功を収めた。

日劇ウエスタン・カーニバルがその一例といえる。
だが、日本語の音韻・音節を英語のそれと正しく対決させ、
それを唱法にまで高めるという次元に関しては、
忌野清志郎と桑田佳祐、この二大ヴォーカリストの出現まで
待たなければならなかった。

桑田が、日本語の音節を取り払い、英語的音節の中に日本語を出現させたのに対し、
忌野はそのまったく逆、立ちはだかる音節の壁を
さらにデフォルメすることにより、
リズム&ブルースに乗る英語の律動と破壊力を
日本語にももたらしたのである。

彼の十八番である「ガッタ、ガッタ」の“ッタ”、
正確にいえば撥音であるところの“っ”は、“しまった”や
“悪かった”、あるいは“待って”といったように、
日本語の至る所に存在する。

それを逆手にとって“流れない日本語”を歌の中に
顕在化させた功績は、とてつもなく大きい。

そして、あの氷室京介をして「清志郎さんがいなければ、
俺たち後続のヴォーカリストは目印を失っただろう」と
言わしめた忌野の、本質にして結晶と形容できるアルバムが本作である。

白状すれば、僕が忌野に見た歌の魅力は、その革命的な唱法ばかりではなかった。
彼の声で立ち現れる文学的白日夢のような感覚だった。
本作では、仲井戸麗市と共作したナンバーにそれが含まれていて申し分ない。
至芸であろうと思う。


(付記)僕が最初にインタヴューをした人が、忌野&仲井戸の両氏だった。
あれから、インタヴューというものを何回したかわからないけれども、
最初が両氏で本当によかったと思っている。
なぜなら、すぐに原点がわかるからである。
「清志郎さん、早くよくなることを願っております」。

忌野清志郎のニュー・アルバム
『夢助』
2006年10月4日発売

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