ブラックモアズ・ナイト、『ウィンター・キャロルズ』クロスレビュー

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●ディープ・パープルもリッチーの偉大さも、すべて知り尽くしている、ヘヴィメタル好きの45歳♂編集者 はこう聴いた! リッチー・ブラックモアのプレイに電撃を受け、幻影にも似た影響を色濃く受けてしまったギタリストは、未だ世界中に数十万人といることだろう(数百万人か?)。
200W出力を誇るモンスターマーシャル♯1967メジャーにぶち込まれたゲインブースト済みの70年代ストラトのサウンドは、未だ色褪せるものではないし、あのサウンドに近付けたギタリストも未だ現れない。あまりの影響の大きさと偉大なプレイの数々。それゆえに、後のブラックモアズ・ナイトは不当な評価を受けてきた奇遇なユニットのひとつかもしれない。
というか、私がそのひとりだ。私にとってのリッチー・ブラックモアは、ディープ・パープルでありレインボーであり、世界最強のストラト使いであって、御大のハードなサウンドは多感な十代の私の血流をたぎらせた。当時の作品は現在全てipodに入っており、ランダムでいきなり再生され始めた時に逆流する血潮とその興奮は、昔も今もなんら変わることはない。
キャンディス・ナイトをヴォーカルに迎えたリッチーは、私にとってリッチーにあらず…!と、私は頑なだったし、今のリッチーを理解してあげなくてはいけない義理も情けも理由もなかった。だから、これまでのブラックモアズ・ナイトの作品は、一聴しつつも「あ、(俺の)リッチーはまだ帰ってきていないし!」で、瞬殺である。復活を切に願うだけで、私にブラックモアズ・ナイトは不要だった。
 それが『ウィンター・キャロルズ』はどうだろう。ちょっと私の中に異変が起きた。 ルネッサンス音楽、讃美歌、中世の宮廷音楽、バロック、そしてクリスマスキャロル…キーワードはいろいろあるが、それのどれも私の何かを刺激するものではない。でも、この作品は、私の知っているリッチーの存在をしっかと私に感じさせてくれている。例えば「Hark The Herald Angels Sing / Come All Ye Faithful」にはギター・ソロが健在。もちろん作品の中での曲中でのインプロビゼーションゆえ、70年代プレイとは明らかに異とするものだけれど、確かなるリッチーが息づいている。
ただ、自分の求めるリッチーの存在の有無がこの作品の良し悪しを決めているのではないと、自分でも勘付いている。ギターサウンドを求めてこの作品を善しと感じるほど、ここにエレクトリックは存在しない。キャンディスの歌・声も…正直とてもいい。いいと感じている。なんだろう。キャンディスへた…という風評はなんだったんだ?
音楽がどう必要で何をもたらすかをとうとうと語ることはできないけれど、リスナーの環境や心の居場所で音の響き方が変わるのは真実だ。経年を持って初めて理解するワビサビが人生でもあり、音楽はその横にひっそりと付き添ってくれる。表現者であるアーティストはアウトプット側だが、受信側のアンテナの感度はオーディエンス側の責任だ。リスナーの感受性が音楽の時代と発展を牽引しているのだから、2006年のクリスマスは、ブラックモアズ・ナイトの音が街中に響いてほしいと、私は今願う気持ちになる。『ウィンター・キャロルズ』の柔らかさに包まれると、2006年の今に蔓延する時代の穢れが浄化されるような気がするからだと思う。
私は音楽を人に聴かせる時、“これはね…”と薀蓄を重ね、どうにかその素晴らしさを伝えたいと願う。でも今回は違うだろう。家で『ウィンター・キャロルズ』がかかったら、そのまま部屋にしみこんでいく音世界を楽しみたいと思うし、その空気をそのまま家人にも感じて欲しいと願う。「このギタリストはね、その昔ね…」などという必死で無粋な説得は、『ウィンター・キャロルズ』の存在をもって、不要になった。我が家には暖炉もないし近くにチャペルもないけれど、なんだか素敵な冬を楽しめる気がしている。リッチー、ありがとう!
 ▲PAGE UP


 

●なんとなくリッチー・ブラックモアの名前は知ってるけど、どんな偉業を成し得た人なのかよく知らない33歳♂編集者 はこう聴いた! '73年生まれの僕にとって、ディープ・パープルは当然リアル・タイムではなく、初体験は高校時代の学園祭で先輩が弾いていた、「ハイウェイ・スター」のコピーであった。当時テレビでは、バンドのオーディション番組『イカ天』が大人気。BEGIN、たま、BLANKEY JET CITYといった、そうそうたるバンドを輩出していた。そんな中、BOφWYやジュンスカといったコピーバンドのベースを弾いていた僕の目に、普段はどちらかというと目立つタイプではなく、いつもボーっと少年誌を読んでいたその先輩が、強烈にカッコよく見えたものだった。距離も時間も超え、田舎町の高校生にそれほど強烈な印象を与えたディープ・パープルだが、その理屈抜きのカッコよさを支えていた人こそ、リッチー・ブラックモアだ。もっともこのブラックモアズ・ナイトは透き通るような女性ヴォーカル、キャンディス・ナイトと伝統的なアコースティック楽器によるユニット。しかし、この『ウィンター・キャロルズ』を聴いてみても、天才ギタリストらしい流麗な演奏、巧みで繊細なアレンジは絶品で、彼が演奏していることの必然性が十分感じられた。賛美歌やヨーロッパの伝統曲を大らかなスケール感を持ちながら、暖かみのある演奏で表現。まるで、本作のジャケットのようなヨーロッパの町の片隅で、暖炉の火にあたりながら、愛する人と語らい、心も体もポカポカしてくる──そんなアルバムに仕上がっている。 ▲PAGE UP


 

●ディープ・パープル、レインボー、リッチーも、なーんも知りませんという28歳♀編集者 はこう聴いた! 正直に言ってしまうと、私のリッチー・ブラックモアに関する知識や興味は、ほぼゼロに等しい。元ディープ・パープルのギタリストであり、レインボーを結成した人物だと言われても、ピンとこないし、彼のこれまでの作品を、自ら進んで聴くこともなかった。もちろん、ディープ・パープルといえば、68年の結成から76年の最初の解散までの間に、ハード・ロックの古典とも言える名作の数々を残してきたバンドということくらいは、それとなく知っている。ただ、彼らを知ったきっかけは、王様の出現によってだったりするのだが…。 そんな私が彼の作品を語るなんて、おこがましい限りだが、この作品のレビューを頼んだ人物は、私が彼に対する先入観を持たずに、ブラックモアズ・ナイトの作品を聴くことができると思ったのかもしれない…と勝手に判断しよう。私はクリスチャンではないし、賛美歌やキャロルに興味があるわけでもないけれども、『ウィンター・キャロルズ』を聴いたとき、心に染み入るようなサウンドに思わず耳を奪われた。
豊かなアコースティック・サウンドと、柔らかく神秘的なキャンディス・ナイトの歌声によって、美しく装飾された楽曲たちは、聴いた瞬間、リスナーの頭の中に風景を描き出す。壮大なスケール感を持ってアレンジされた楽曲たちは、やさしい気持ちにさせてくれると同時に、自然と心を癒してくれる。“元ハード・ロックバンドの凄腕ギタリスト”が持つ音楽センスの奥深さは、計り知れないものだと実感できる作品だ。 ▲PAGE UP


 

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