【Hotwire Music Business Column】第49回グラミー賞を振り返る

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今年度のグラミー賞が幕を閉じたにあたり、栄冠を独占したディクシー・チックス、メアリー・J.ブライジ、レッド・ホット・チリペッパーズ、その他の印象的だった受賞者を改めて振り返ってみたい。

日本では一般的に人気がいまひとつのカントリーだが、アメリカではラップに並んでビルボードのチャートをにぎわすジャンルである。ディクシー・チックスは、ポップやブルーグラスなど様々な要素を取り入れた独自の音楽を生み出し、日本でのファン獲得に成功している。リック・ルービンがプロデュースを手掛けたアルバム『テイキング・ザ・ロング・ウェイ』は実に価値のある作品で、今回の受賞はブッシュ大統領を公で批判した彼女たちに対してアメリカ国内で繰り広げられた不買運動を覆す特別な結果となった。一連の騒動の中で死の脅迫を体験した以外にも、ブッシュ大統領と懇意にしているローリー一族が所有する全米最大のラジオネットワークのクリア・チャンネル(1100のラジオ局を保有)を筆頭に、複数のカントリー・ラジオ局が彼女たちの音楽をボイコットしていた。

アルバム『ザ・ブレイクスルー』で部門を受賞したメアリー・J.ブライジは受賞スピーチで感激を露わにし、感動的な場面となった。元電話オペレーターだったブライジは、4歳の時に両親が離婚。貧困街で育ち、性的虐待に苦しむ少女時代をおくった。その後の不安定な男性関係、麻薬にアルコール問題と波乱続きだった人生を克服して、失敗を指摘されていた前作から見事に起死回生を果たした。

1983年に結成し、1992年に初めてのグラミー賞を受賞。世界的に最も人気のあるロックバンドとして不動の地位を築いてきた、レッド・ホット・チリペッパーズの受賞は当然だったと言えるだろう。彼等は3月に東京ドームで2日間の日本公演を行う予定だ。

最優秀メタル・パフォーマンス賞を受賞した南カリフォルニア出身のスレイヤーは'80年代初期に結成した。最もエキストリームなメタル・バンドとして一世を風靡した彼等は、その息の長さと、ハードで揺るぎない攻撃的な演奏で幅広いファン層を魅了してきた。

最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞は、ロック史を遡って“フィンガープリンツ”・ピーター・フランプトンに授与された。フランプトンは、ハードのメンバーだった1967年に10代にして初めてのヒットチャートを経験する。その後はハンブル・パイで活動し、1975年にアルバム『フランプトン・カムス・アライヴ』で1600万枚のせールスを記録し大成功を収めてからは、長年カムバックの機会を窺っていた。

その他には、ロックのルーツを象徴する人物として最優秀トラディショナル・ブルースアルバム賞を受賞したアイク・ターナーと、最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞したアーマ・トーマスを心から祝福したい。

アイク・ターナーは、元妻ティナ・ターナーの自伝や映画で暴露された家庭内暴力癖や、コカイン中毒者(刑務所で服役した)である事実を周囲に知られながら生きることを余儀なくされたが、彼がロックのパイオニア的存在で才能豊かなギタリスト/ピアニスト/ソングライターだという事実は今も変わらない。多才なターナー氏はロックの殿堂入りも果たし、最近では映画監督のマーティン・スコセッシや英バンドのゴリラズと仕事をしている。

ようやくメインストリームとして認識されたのは、“ニューオリンズのソウル・クイーン”である素晴らしいアーマ・トーマスだ。彼女のキャリアは、1960年の名曲「ユー・キャン・ハヴ・マイ・ハズバンド(バット・ドント・メス・ウィズ・マイ・マン」、「ウィッシュ・サムワン・ウッド・ケア」、「ルーラー・オブ・マイ・ハート」(オーティス・レディングの「ペイン・イン・マイ・ハート」としてもヒット)、「ブレイク・アウェイ」(トレイシー・ウルマンがカバーしてヒット)、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」(ローリング・ストーンズがカバー)等がある。

ハリケーン・カタリナによって崩壊してしまったが、ニューオリンズでは自身のクラブ“ライオンズ・デン”を経営していた。1991年と1999年にグラミー賞にノミネートされていたが、今回のアルバム『アフター・ザ・レイン』が初めての受賞となった。2月18日に76歳の誕生日を迎えたばかりのアーマ・トーマスに、ハッピーバースデーと受賞おめでとうの気持ちを伝えたい。


キース・カフーン(Hotwire
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