ムックが“幼年期”を完全に卒業した日。11月25日、十周年メモリアル・ライヴ『家路』鑑賞記
実執念。変換ミスではない。ムックの“十周年”にちなんで何かいい言葉はないかな、と考えていて、ふと浮かんだのだ。要するに、彼らのなかで芽生えた執念が十年の歳月を経て実った、と言いたいわけである。
確かに、執念なんて言葉はめでたい局面に相応しいものではない。なにしろ確執とか執拗とかの“執”に、疑念とか怨念の“念”なのだから。しかし実際、このバンドがこれまで身を置いてきた活動サイクルというのは、いわば常軌を逸したものでもあったし、そこで彼らが弱音を吐くことがなかったのは、まさにある種の執念ゆえではないかという気がする。それをもう少しカッコいい言葉に置き換えれば、向上心とか自己探究欲といったものになるのだろうが。
11月25日、茨城県立県民文化センターにて、彼らの十周年メモリアル・ライヴ『家路』を観た。いわゆるライヴ・レポートは12月末発売のフールズメイト誌で書かせていただく予定なのでそちらを待っていて欲しいのだが、僕がこの夜、3時間に及ぶ堂々たるライヴを観ながら感じたのは、そんなことだった。
いまやムックは、武道館のステージも経験済みで、国内ツアーの延長のような感覚でヨーロッパ・ツアーを行なっていたりもするバンド。2008年には『TASTE OF CHAOS』への前面参戦も決まり、全米各地で40本を超えるライヴを展開することにもなっている。アメリカでメジャー契約のある新進バンドたちが、喉から手が出るほど欲しているようなチャンスを、彼らは手に入れたわけである。
ただ、ムックは、そんな状況のなかにあっても、いまだに自分たちが“根”を張っている場所を忘れていない。いや、もちろん、単純に“地元にやさしい”とか“インディーズ精神が健在だ”とか、そういうことを言っているわけじゃない。敢えて現在の彼らに対してものすごく失礼な言い方をするなら、“じぶんたちがかつて、いかに駄目なバンドだったか”を忘れていない、ということなのだ。
実際、ムックは最初から“優秀なミュージシャンの集合体”だったわけではないし、あらかじめ将来を約束されていたわけでもない。むしろ血統書とは無縁の雑種に近いし、花屋では売りものにならないような雑草に近い。が、だからこそ彼らには、枯れてたまるかという意地と執念があった。たいして上手くもない頃から凄みがあった。背伸びをしながら説得力を求め、いつも自分たちに高いハードルを課し続けていた。自分たちを開花させるためなら、キツい制作スケジュールで自分たち自身を苛めることもいとわなかった。
そんな4人の『家路』でのライヴ・パフォーマンスは、お祝いモードのものでもなければ、風格を見せつけようとするものでもなかった。久しぶりに笑える要素が盛り込まれていたりもして、どこか懐かしい手触りを感じさせられる部分もあった。が、一歩間違えばFCイベント的なユルい空気になってしまいかねない雑多さのあったこの長尺ライヴを、ムックは説得力の重みを失わないままに完走してみせた。そこに僕は、彼らの明らかな進化というか、頼もしい成熟を感じずにいられなかった。
そして、ふと思った。『家路』を経て“これまで”のすべてを同列にすることに成功したムックは、もしかしたら“今”を起点としながら本当の等身大の姿を見せてくれることになるのかもしれない、と。
もちろん彼らのなかで、向上心が途切れることはないだろう。が、もはや彼らに前を向かせる動機は、“昨日までの駄目な自分たちからの脱却”への執念ではなく、純粋にその瞬間を楽しもうとする気持ちであって構わないのではないだろうか。
結局、この『家路』は、十周年のアニヴァーサリー・イヤーを完結するための卒業試験のようなものだったのかもしれない。そして4人は、無事にムックへの永久就職を決めたわけである。
もちろんこれから先、何が起こるかはわからないし、このバンドが揺るぎない“保証”を得たという意味ではない。が、彼ら自身にとってムックというバンドが本当に“一生モノ”になった瞬間、それが2007年11月25日という日だったのではないだろうか。こんなことを真顔で言えばきっと彼らは笑うだろうが、できることなら今から十年後、彼らに同じ言葉をぶつけてみたいと思う。
増田勇一
確かに、執念なんて言葉はめでたい局面に相応しいものではない。なにしろ確執とか執拗とかの“執”に、疑念とか怨念の“念”なのだから。しかし実際、このバンドがこれまで身を置いてきた活動サイクルというのは、いわば常軌を逸したものでもあったし、そこで彼らが弱音を吐くことがなかったのは、まさにある種の執念ゆえではないかという気がする。それをもう少しカッコいい言葉に置き換えれば、向上心とか自己探究欲といったものになるのだろうが。
11月25日、茨城県立県民文化センターにて、彼らの十周年メモリアル・ライヴ『家路』を観た。いわゆるライヴ・レポートは12月末発売のフールズメイト誌で書かせていただく予定なのでそちらを待っていて欲しいのだが、僕がこの夜、3時間に及ぶ堂々たるライヴを観ながら感じたのは、そんなことだった。
いまやムックは、武道館のステージも経験済みで、国内ツアーの延長のような感覚でヨーロッパ・ツアーを行なっていたりもするバンド。2008年には『TASTE OF CHAOS』への前面参戦も決まり、全米各地で40本を超えるライヴを展開することにもなっている。アメリカでメジャー契約のある新進バンドたちが、喉から手が出るほど欲しているようなチャンスを、彼らは手に入れたわけである。
ただ、ムックは、そんな状況のなかにあっても、いまだに自分たちが“根”を張っている場所を忘れていない。いや、もちろん、単純に“地元にやさしい”とか“インディーズ精神が健在だ”とか、そういうことを言っているわけじゃない。敢えて現在の彼らに対してものすごく失礼な言い方をするなら、“じぶんたちがかつて、いかに駄目なバンドだったか”を忘れていない、ということなのだ。
実際、ムックは最初から“優秀なミュージシャンの集合体”だったわけではないし、あらかじめ将来を約束されていたわけでもない。むしろ血統書とは無縁の雑種に近いし、花屋では売りものにならないような雑草に近い。が、だからこそ彼らには、枯れてたまるかという意地と執念があった。たいして上手くもない頃から凄みがあった。背伸びをしながら説得力を求め、いつも自分たちに高いハードルを課し続けていた。自分たちを開花させるためなら、キツい制作スケジュールで自分たち自身を苛めることもいとわなかった。
そんな4人の『家路』でのライヴ・パフォーマンスは、お祝いモードのものでもなければ、風格を見せつけようとするものでもなかった。久しぶりに笑える要素が盛り込まれていたりもして、どこか懐かしい手触りを感じさせられる部分もあった。が、一歩間違えばFCイベント的なユルい空気になってしまいかねない雑多さのあったこの長尺ライヴを、ムックは説得力の重みを失わないままに完走してみせた。そこに僕は、彼らの明らかな進化というか、頼もしい成熟を感じずにいられなかった。
そして、ふと思った。『家路』を経て“これまで”のすべてを同列にすることに成功したムックは、もしかしたら“今”を起点としながら本当の等身大の姿を見せてくれることになるのかもしれない、と。
もちろん彼らのなかで、向上心が途切れることはないだろう。が、もはや彼らに前を向かせる動機は、“昨日までの駄目な自分たちからの脱却”への執念ではなく、純粋にその瞬間を楽しもうとする気持ちであって構わないのではないだろうか。
結局、この『家路』は、十周年のアニヴァーサリー・イヤーを完結するための卒業試験のようなものだったのかもしれない。そして4人は、無事にムックへの永久就職を決めたわけである。
もちろんこれから先、何が起こるかはわからないし、このバンドが揺るぎない“保証”を得たという意味ではない。が、彼ら自身にとってムックというバンドが本当に“一生モノ”になった瞬間、それが2007年11月25日という日だったのではないだろうか。こんなことを真顔で言えばきっと彼らは笑うだろうが、できることなら今から十年後、彼らに同じ言葉をぶつけてみたいと思う。
増田勇一
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