臼井嗣人、「グッドラックイエスタデー」特集内インタビュー

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――臼井さんって元々はソロではなく、バンドでギター&ヴォーカルをされてたんですよね。

臼井嗣人(以下、臼井):はい。中学生のころからエレキ・ギターをずっとやっていて、歌も小さいころから好きだったんです。で、高校の友達にTHE YELLOW MONKEYのCDを借りたとき、そこに収録されていた「JAM」の“この世界に真っ赤なジャムを塗って”というフレーズに、すごく衝撃を受けたんですね。単純に“血”ではなく、そこに“ジャム”という言葉を持ってきちゃう吉井和哉って人の凄さを思い知って。そこから吉井さんのCDやビデオを集めるようになり、“俺もこの人みたいになりたい!”っていう憧れから、軽音楽部に入ってコピー・バンドをやるようになりました。

――なるほど。では、そこから現在のようなスタイルになったのは何故だったんでしょう?

臼井:音楽の専門学校を卒業して1年くらい経ったころ、学校時代の友達から誘いを受けてバンドを始めたんですよ。でも、やってるうちに行き詰まり感というか、未来のヴィジョンが見えなくなってきてしまって。やっぱり僕、吉井さんにすごく影響受けてるんで、歌詞にも比喩とか抽象的な表現を多用してたんですね。でも、吉井さんの詞とは違って人に伝わるものがない。それが何故なのかを探るうちに、吉井さんの詞には一本信念が通っているけれど僕のは単なる模倣であって、どうあがいても僕は吉井和哉にはなれないんだ、ってことを思い知ったんです。逆に、吉井さんにできなくて僕にはできることもあるんじゃないか? バンド・サウンドの音圧や勢いの気持ち良さで誤魔化すんじゃなく、僕ひとりになったときに何ができるだろう? っていうところから、アコギ一本でやるようになったんですよ。

――ソロに移行した2004年12月以降、活動は順調に進みました?

臼井:いや、バンドのときはセッションで曲がドンドンできていったんですけど、一人になると当然その手法は無理なわけで。まったく曲が生まれない時期も1年くらい続いたんですよ。そんな試行錯誤の中で生まれた「春紫苑」という曲を、幸運にも配信させてもらう機会をいただき、いろいろ反響ももらったことで、初めて“自分のスタイルはこれでいいんだ”っていうのが見えてきましたね。やっぱり、日本語で歌いたいってことを再確認したし、抽象的な表現で“それっぽく”書くんじゃなく、本当の意味で歌詞を大事にしたいと考えるようになりました。

――確かに「グッドラックイエスタデー」でも、綺麗ごとでは生きていけない人間の弱さやズルさ、それを受け入れて生きていこうとする強さなど、臼井さん自身の想いが疾走するサウンドの中で赤裸々に描かれていますよね。

臼井:今のリアルタイムな自分の気持ちが一番よく表われている曲だったので、やっぱりデビュー・シングルにしたかったんですよね。僕が普段ついつい口にする言葉に、“あのころは良かった”っていうのがあって。だけど言ったあと、いつも胸の中がモヤモヤしちゃうんですよ。子供のころは嫌なことがあっても外で遊べば吹っ飛ぶ強さがあったのに、今はずっと引きずってしまう。僕が子供時代に“カッコイイな”と思っていた大人も、今の自分みたいに弱さを抱えながらも子供に隠していたのかもしれない。でも、それは逆にすごくカッコイイことだと思うし、今の自分はそれを誇りたい、後ろ向きにはなりたくない……っていう想いが、この曲には込められているんですよ。それに、“あのころは良かった”と言うってことは、同じように愚痴る大人たちの気持ちを理解できるようになったっていうことじゃないですか? そこに何か救いがあるんじゃないかと思うんですよね。

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