陰陽座、4つの鬼が極限の姿を曝す渾身の8thアルバム『魑魅魍魎』リリース特集

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陰陽座 つの鬼が極限の姿を曝す渾身の7thアルバム『魑魅魍魎』リリース特集

ヘヴィメタルのあらゆる要素を呑み込んだ激作が登場


――前作から1年。時間が経過してきたなかで『魔王戴天』という作品が持つ意味合いも変わってきつつあるんじゃないですか?

瞬火:まず『魔王戴天』というのは、その前の『臥龍點睛』から2年を経てリリースに至っているわけですけど、何故そういうことになったのかと言えば、単純に制作期間を確保しにくいくらいにツアーをしまくっていたからです。さらに『臥龍點睛』で、それまで自分たちが培ってきたものを総決算したいという気持ち…文字通り“龍の最後の瞳を灯す”ようなものを作りたいという気持ちがありました。だから『魔王戴天』は、どうしてもある種の“区切り”がついたところでの“次の一手”というふうに見られることになったし、実際、自分たちにもそういった意識がありましたし。

――ただ、結果、そこで極端な方向転換があったわけではないですよね?

瞬火:ええ。とかくロック・バンドが“次の章の幕開け”みたいな局面を迎えたときというのは「次はポップになるんじゃないのか?」とか「何かを狙ってくるんじゃないのか?」というような不穏な感じの推測がなされがちですけど(笑)、陰陽座の場合は、「さらに自分たちを色濃く出していく」ということでしかなかったというか。区切りというのは、結果的には時間的な意味での便宜上のものでしかなかったんですよね。だから結局のところ『魔王戴天』に込められていたのは、「それまで積み重ねてきたことを、さらなる高みへと昇華させたい」という意志だったわけなんです。で、その『魔王戴天』とマテリアル的にはほぼ同時期に揃いつつ、アルバム全体の雰囲気もその像を踏まえながら並行して作ってきたのが、今回の『魑魅魍魎』というわけなんです。

 

――『魔王戴天』と『魑魅魍魎』は一対になっている、ということですね?

瞬火:内容的にかならずしも“対”にはなっていないんですけど、前作があっての今作、前作の性質を踏まえているからこその今作という点については、メンバー全員が同じ認識をしていると思いますね。

招鬼:たとえば前作が、陰陽座の力強さとか勢いといったものをメインに押し出した感じのアルバムだったとすれば、今回ももちろんそういった要素はあるんだけども、それをさらに超越しながら、もうひとつの大きな持ち味である“楽曲のヴァラエティ”を追求したという感じですね。ある意味、前作でそういった側面を出し切れたからこそ今回はこうなったというか、そういうところもあると思いますね。

瞬火:あらかじめ、“ものすごいもの”を作ってやろうという気持ちはありました。なんせタイトルからして『魑魅魍魎』ですから。でも結果、自分が想定していた以上にすごいものができてしまったという手応えを今は感じていますね。なんだか、良すぎて具合悪くなるぐらいの満足感があって(笑)。

――その“ものすごいもの”というのは“インパクト勝負”という意味ではないわけですよね? 実際、僕は今回のアルバムに、瞬間的な衝撃度の強さよりも、しっかりと地に足の着いた重厚さを感じたんですが。

瞬火:そう感じてもらえたのであれば嬉しいですね。陰陽座の場合、“前に進む”ことは常に重要ではありますけど、それは“過去を断ち切る”ということではないし、“ここではないどこか”に瞬間移動するような進み方を望んでいるわけではないんです。常に一歩一歩、自分たちがこれまで歩いてきた道程の先にあるものを確かめながら進んでいきたいと思っているので。

 
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