陰陽座、4つの鬼が極限の姿を曝す渾身の8thアルバム『魑魅魍魎』リリース特集

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陰陽座 つの鬼が極限の姿を曝す渾身の7thアルバム『魑魅魍魎』リリース特集

ヘヴィメタルのあらゆる要素を呑み込んだ激作が登場


――この曲がないと涙腺のダムは決壊しない、と?

瞬火:ええ。「なんか胸に突き刺さってくるいい話だったね」という余韻で終わるような。そこで終わるのも確かに美しいでしょうし、それが普通なんでしょうけど、余韻に浸るまでもなく「にょろにょろ」のイントロが流れてくるところに陰陽座らしさがあるというか。

――“いい話”のままクールにカッコ良く終わるんじゃなく、最後に“これでもか!”とダメ押しをするのが陰陽座である、と。

瞬火:そうなんですよね。結局はライヴのやり方と共通してくるんですけど、どんなにいかつい曲、メタル然とした曲をやっていても、最後はみんなで音楽を共有したその場を、楽しく笑って終わらせたい。しかし顔は笑ってても、心ではみんな号泣してるわけなんです(笑)。実際、“顔で笑って心で泣く”というキーワードがこのバンドにはあるんですけど、まさにこれはその系統のカテゴリーの曲ですね。

――要するに、ライヴの帰り道に難しい顔をしていて欲しくないということでもあるわけですよね?

瞬火:ええ。僕たちには、自分たちがアーティスト、すなわち芸術に携わっている高尚な人間たちだという意識は一切ないんです。あくまで娯楽を大衆の皆様に提供している、というスタンスでやっているんで。何かを観てカッコいいと思ったり、笑ったり、怖がったり、感動したり……そういったことすべてが娯楽じゃないですか。そこに深いメッセージがあるかないかは、制作者の意図ひとつでどうにでもなり得るわけですけど、どちらにせよみんな、楽しむために怖い映画を観たり、悲しい本を読んだりするわけですよ。陰陽座のライヴに足を運んでくれる人たちというのも、こむずかしい世界観を押し付けらるために来てるわけじゃなく、楽しむためにそこに集まってくれているんだと思うんで、そこでは徹底的に娯楽を追求したい。「今日のライヴにはいったいどんな意味があったのか?」と議論されるよりは、「汗かいて気持ち良かった!」であって欲しいんです。

 

――アーティストというよりもエンターテイナーでありたい、ということですね。でも、やっぱり心のどこかに、アーティストとして認められたいという願望もあるんじゃないですか?

招鬼:いや、そういう感覚はないですね。単純に陰陽座としてカッコいいものを目指して、そこで生まれた音楽をバンドの一員としてお客さんと一緒に楽しめれば、それ以上にシアワセなことはないというか。「あの人はすごい!」みたいに見られたいという願望は皆無に等しいです。

――なるほど。ところで改めてアルバム・タイトルについて訊きたいんですが、『魑魅魍魎』というのは、陰陽座としては“絶対にいつか使いたかった言葉”だったはずですよね? まさに、とっておきの言葉というか。

瞬火:ええ。僕の場合、だいたいアルバムの構想はタイトルから始まるんです。“名は体を表す”じゃないですけど、「こういう名前だから、こういう内容であるべきだ」というアイディアを完成させるところが出発点だったりするんで。今回は『魑魅魍魎』。すなわち、すべてのあまねく妖怪。陰陽座はこれまで妖怪というものを通して人間の心を歌ってきたわけですけど、それを、これ以上あり得ないような次元で投影させた作品にしたかった。そんな気持ちがここには反映されているんです。

 
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