元祖外人演歌歌手チャダ、30年のときを超えて再デビュー

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世界初の外国人演歌歌手:チャダが約30年ぶりに再デビューする事が決まり、9月27日<ナマステ・インディア2008>東京代々木公園野外ステージで再デビュー記念お披露目ライヴを行なった。

◆チャダ再デビュー記念お披露目ライヴ写真

20分のステージでは再デビューシングル「踊るマハチャダ」と1975年レコード大賞新人賞を獲得した当時のヒット曲「面影の女(ひと)」の2曲を披露。アンコールでは自分の歌で日本を元気づけたいと企画されたニッポン応援ソング「踊るマハチャダ」を再び熱唱。30年のブランクを感じさせない歌声に会場は大きな拍手に包まれた。

ライヴの後行なわれた囲み取材で、チャダは約30年ぶりにデビューする事が決まった今回の経緯を語った。

「僕が引退して30年間外国人で演歌を歌う人がいなかったが、ジェロさんがブレークして、やはりもう一度私も演歌を歌いたいと思うようになり、そして何より皆さんが応援してくれて、私はまだ日本の皆さんに愛されているんだと実感したことが再デビューをする一番の決め手になりました。ジェロちゃんにはまず“ありがとう”と言いたい、演歌界を盛り上げている事に感謝しています。これからともに演歌界を盛り上げていきたい」

今後の目標を聞かれると「これからの人生は演歌の道歩んでいきたい」と貿易会社の社長の座を捨て演歌一筋でいく決意を表した。

しかし、歌唱力もさることながら、当時と何も変わらない風貌にも驚く。恐るべしチャダ。

ところでチャダって誰? という素朴な皆さんのために、解説しよう。

   ◆   ◆   ◆

30余年前、当時の人気バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」で、髭面にターバンという特異な出で立ちながら、流暢な日本語を話すユニークなキャラクターでお茶の間の人気者となり、後に演歌歌手としてデビューし「面影の女」等をヒットさせた、あの“謎の外国人”チャダを知っているのは、おそらく40代半ば以降の世代かと思う。その彼が日本の音楽シーンに戻ってきた。「日本を元気づけたい」「乾いた心に潤いを与えたい」という大きな志を胸に抱えて。

そこでお復習いを。
知っている人にはあらためて、知らない人には簡潔に、彼の人となりを紹介しよう。
1952年、インドに生まれた彼が初めて日本にやってきたのは16才の時。国際技術者交流の支援団体の後押しで、みかん栽培の技術習得が目的だった。しかし実際の目的は他にあった。

「当時の日本は技術革新も経済成長も著しい、アメリカもイギリスも比較にならないくらいの憧れの国でしたから、とにかく(日本に)行ってみたかった。もちろんみかんの栽培は真面目に学びましたよ。でもね、実は私にはそんなことどうでもよかったの(笑)。日本という国を見て感じることが一番の目的だったから。指導する先生も、せっかく来たんだから、日本という国、日本の心を学んでいけと言っていた。実際に生け花、箏曲、書道…いろいろ習いましたよ。そのうちに、本当に日本の文化や習慣、そしてなにより日本の演歌に魅せられてしまった。気がついたら、私もいつかこの国で歌手になりたいという夢がどんどん膨らんでいった」

幼い頃から歌が好きだった。来日直前にはインド国内のとあるコンテストで1位になるなど、歌には自信があった。「酒よ」「北国の春」「星影のワルツ」「雪国」「みちづれ」「与作」…日本で知った音楽で好きになったのはほとんど演歌だった。中でも「影を慕いて」を歌う時がいちばん好きだという。しかしなぜ演歌だったのか?

「メロディの美しさがインドの音楽に似ているし、なにより歌詞が心を打つでしょう? 出逢いを歌い、別れを歌い、自然や人への慈しみを歌い、切なさを歌う。つつましく、奥ゆかしく、ね。しみじみとしつつ、感動するんですよ。こんなに素晴らしい音楽文化はほかにはないですよ」

“つつましく”“しみじみと”…。昨今、日本人でさえなかなか口にしないような言葉が、ガイジンである彼から当たり前のように出てくる。そのキメの細やかな感性には“日本人もビックリ”である。

日本での研修を終えた彼は、一旦はインドに戻るものの、夢の実現に向けて再度来日を果たす。通訳や皿洗いなどをしながら歌える場所を求めては積極的に美声を披露するうち、噂を聞きつけた関係者の耳目を引き、歌手デビューの道がひらけた。

件のテレビ番組の影響もあり、アーティスト活動は順調で、アッという間に人気者に。日本人以上に日本人の心を理解する彼だけに、歌の評価も高く、シングル4枚、アルバム2枚をコンスタントに発表したものの、就労ビザの問題で、帰国を余儀なくされる。

「応援してくれる人がたくさんいただけに、断腸の思いでしたよ。だけどいつかまた日本で歌える日が来るはずだと思っていました、ずっとね。結果的に約30年が経ってしまいましたけど、こうなる運命だったんだなと思います」

音楽活動を一旦封印し、彼は知人と貿易会社を起こして、アジアやアメリカをまたにかけるビジネスマンとして成功を収める。だけどその間も、歌への思いは褪せるどころか日に日に強くなっていった。

「家にカラオケセットがありますから、暇を見つけては歌っていましたし、インドに駐在している日本のビジネスマンが集うお店でも歌ったりしてましたね。また日本で歌を出したいなぁとぼんやり思いながら…」

そして2008年、その時がやってきた。

「会社も軌道にのり、ビジネス上の自分の役割も終えたんじゃないかという思いがあって…。そろそろ自分の好きなことを始めようかと考えて、奥さんに相談したら“パパの好きなようにしたらいいよ”といってくれた。そんな折に日本からテレビ番組が取材にきたの。なんでも日本で外国人演歌歌手が話題になっている、と。でも、外国人演歌歌手のはしりはチャダだ、チャダは今どうしているのか、という取材で」

久々に日本のメディアに登場したことを機に、音楽活動を再始動させるためのきっかけを探し始めたところ、縁あって現在のスタッフ&プロジェクトと出会う。偶然のようだが、彼は「必然だった」と断言する。

「すべての行ないには、実現させるに相応しい時があるんです。私にとっての歌もそう。今こそ歌うべき時期だということです」

きっと前世は日本人だったはずという彼は、今の日本を憂えている。

「今、日本は元気がなさすぎだね。だから、私が歌うことで、ほんの僅かでも日本の人たちを元気づけられれば…と思うんですよ」

再デビュー曲は「踊るマハチャダ」。人を喰ったようなタイトルだが、今を生きるすべての人にエールを送る応“演”歌。日本人の大切にすべき心のあり方を歌に込めこぶしにのせる彼の歌心は祈りに近い。

そして――。

外国人演歌歌手の元祖であり、時代に導かれた男、チャダ。彼の再デビューで、演歌界、音楽界は一層の賑わいをみせるはずである。人生の年輪を刻んだ男の歌心には説得力がある。元気な国・日本の再興はすぐ目の前だ。

文●轡田 昇

◆チャダ・オフィシャルサイト
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