増田勇一のライヴ日記 2009年2月3日(火)VITAMIN-Q@東京・渋谷AX

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すごいものを観てしまった。人一倍ライヴはたくさん観ているつもりだが、ちょっとこれは、滅多に味わえるタイプの興奮ではない。噂のVITAMIN-Qの話である。

加藤和彦、小原礼、土屋昌巳、そして屋敷豪太。各々の過去の経歴についてはもちろん、誰の担当楽器が何かなんてことすら敢えて書き記すことを躊躇わされるような演奏陣。そしてそんな顔ぶれを従えてステージの最前線で歌うのは、彼らにとっては“年齢の離れた妹”と言うにも少々無理のあるANZA。それぞれの素性について触れようとすると、とんでもない長さの原稿を書かなければならなくなってしまうので、敢えてそこにはノー・タッチということにさせていただくが、要するに“巨人たちと新世代クイーン”みたいな成り立ちをしているわけである。

2008年12月にリリースされたセルフ・タイトルのデビュー・アルバムを聴けばわかることだが、VITAMIN-Qは、オトナのロック・バンドである。が、いわゆる“おやじロック”ではない。技量も余裕もアソビゴコロもある正真正銘のオトナたちが、いい意味でのあざとさと無邪気さをもって、肩の力を抜きつつもどこか真剣にロックに取り組んでいる集団なのである。乱暴なことを言えば、“どうしてもロックじゃなきゃいけない人たち”ではないと思う。が、具体的には説明しにくいけども、ロックだけしか見ずにいると気付けないロックのカッコ良さ、というものが確実にある。それを熟知した達人たちが“ロック・バンドをやりたい”という単純すぎる動機で取り組んでいたりするわけなのだから、そこで生まれ得るものがカッコ悪かったりするはずもない。

ステージ上はまるで博物館の様相。楽器や機材にはかなり疎い自信のある僕のような人間でも、ここにモノの価値のわかる窃盗団が侵入したならタイヘンなことになるのがわかる。そしてそれらを操るのは、いわばある種の偉人たち。馬鹿みたいな言いぐさだが、いい楽器をすごい人たちが鳴らすと、やっぱり素晴らしい音がするものなのだなと今さらながら感じさせられた。

次々と繰り出されてくる楽曲たちは、70年代序盤あたりまでの英国の匂いを色濃く持ち合わせたスタイリッシュなロック・チューンばかり。ザ・ビートルズとかの要素ももちろん感じさせられるけども、それよりもむしろザ・フーだったり、T・レックス、モット・ザ・フープルだったり。曲と場面によってはキース・ムーンやミック・ロンソンの亡霊の姿さえうっすらと見えてくる気がする。さらに言えば、「オマージュとパクリは違うんだぞ」と、無言のまま教えられたような感覚でもあったし、すべての歌をANZAに任せるわけじゃなく、各々のメンバーに“持ち歌“があるという構図がいい。失礼を承知で言えば、誰もがすごい歌い手というわけじゃないが、“みんな歌いたがる”というあり方がとても素敵だ。

もちろんバンドの平均年齢がいかに高かろうとVITAMIN-Qは“新人”であり、アルバムも1枚しか出ていないわけで、この夜のライヴにはいくつかのカヴァー曲も盛り込まれていた。が、それらが『VITAMIN-Q』の収録曲たちとまったく温度差なく感じられたのが興味深かったし、何よりも僕は、ANZAという存在の稀有さを痛感させられた。HEAD PHONES PRESIDENTでの活動や、ミュージカルなどへの出演歴でも知られる彼女のたたずまいは、自意識過剰な女優でもなければ、やさぐれたロック・ビッチでもない。デボラ・ハリーでもリンジー・ディ・ポール(たとえが古すぎますか?)でもない。しかし彼女ならではの華があり、しかもどこかに毒と棘を隠し持っていて、凄腕たちの演奏を単なる“伴奏”に感じさせてしまえるだけの存在感がある。逆に言えば、そんな彼女だからこそこのバンドのヴォーカリストに抜擢されたのだろう。

実際のところ、このVITAMIN-Qがいかなる将来的ヴィジョンを持っているのかを僕は知らないし、このバンドがどれだけ存続し得るものなのかについても見当がつかない。が、とりあえず、少なくとも当人たちにとってこのバンドがスリリングで楽しいものであるうちは存続して欲しい。まだまだ観たいし、まだまだ聴きたい。僕らが知らずに育ってきたことを、こうして説教くさくないカタチで教えて欲しい。目上の人たちに対してあまり素直になれることの多くない僕が、めずらしくそんな気分になった一夜だった。

増田勇一
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