ステレオポニー、亡き恩人に捧げた新曲が映画主題歌に

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ステレオポニーの書き下ろし新曲「ありがとう」が、彼女たちの恩人である仲宗根陽(なかそねひかる)氏をモデルとした映画『天国からのエール』の主題歌に起用されることが発表された。

映画『天国からのエール』は、美ら海水族館で有名な沖縄県本部町(もとぶちょう)にある、全てが無料の音楽スタジオ「あじさい音楽村」を作った仲宗根氏の半生を描いた作品。

数多くのプロ・アーティストを輩出し、現在も音楽を目指す多くの若者達が集うこのスタジオは、現地で小さな弁当屋を営んでいた仲宗根陽氏が、夢を持つ高校生たちを応援したい一心で、借金をして手作りしたものだった。

しかし、仲宗根氏は志半ばで病に倒れながらも若者を信じ、愛し続けた。そうした仲宗根氏を“ニイニイ”と呼んで慕い、音楽以上に大切な“生きること”や“夢を追いかけること”を教えられる若者たちの実話をもとにした作品となる。

ステレオポニーは「あじさい音楽村」で結成されたガールズ・バンドだ。中学生の頃「あじさい音楽村」に憧れて、県外から本部高校を受験、仲宗根氏に身元引受人となってもらい、仲宗根氏と暮らしながら練習を積んだNOHANA(ベース)。「あじさい音楽村」のアーティストのライヴの常連で、観客の立場から仲宗根氏にスカウトされた、AIMI(ヴォーカル)。AIMIのクラス・メイトだったSHIHO(ドラム)。父親のように慕う仲宗根氏の優しさと叱咤激励のもと、2008年11月にメジャー・デビューを果たした経緯を持つ。

2009年に仲宗根氏がこの世を去り、ほどなくして今回の映画化が決定したが、主題歌には仲宗根氏ともっとも関わりが深いアーティストとして、ステレオポニーが抜擢された。

仲宗根氏の厳しい優しさを一身に受け、信じれば願いはかなうと教えられ、今も大きな夢に向かって階段を昇り続けるステレオポニーが、今は亡き仲宗根氏への言葉にならない“感謝”の気持ちを書き下ろした楽曲「ありがとう」。嘘のない、ありのままの歌詞、切なくも前向きな力強さを感じさせるメロディが、映画のエンディングに“真実の感動”を与えることだろう。

「私達ステレオポニーの人生を変えてくれた、「音楽」という夢を与えてくれたのがニイニイです。この映画を観て、ニイニイに対する感謝の気持ちがまた涙となって溢れました。「天国からのエール」という作品が現実と向き合う機会をくれて、私達が本当にニイニイに伝えたかったことをそのまま曲にしました。ちゃんと言葉に出来たのか私達にもまだ分からないけど、それでもこの曲をニイニイが空の上で聴いてくれて、きっと笑っているんじゃないかなって信じています。」──ステレオポニー

「大切な人を想う気持ちが溢れている彼女達のまっすぐな歌声が自然と胸に響き渡り、いとおしさや優しさで涙がこぼれてしまう。エンディング曲という範囲を飛び越えて、もはやひとつのシーンとなっている。」──熊澤誓人監督:

『天国からのエール』
2011年10月 全国ロードショー
出演:阿部寛、ミムラ、桜庭ななみ、矢野聖人、森崎ウィン、野村周平
監督:熊澤誓人
脚本:尾崎将也 うえのきみこ
企画:アスミック・エース エンタテインメント
原案:「僕らの歌は弁当屋で生まれた・YELL」(リンダパブリッシャーズ刊) 
制作プロダクション:ジャンゴフィルム
配給:アスミック・エース
(C) 2011 『天国からのエール』製作委員会

【「あじさい音楽村」創設者 仲宗根陽(なかそねひかる)】
1967年1月21日沖縄県国頭郡本部町生まれ。高校を自主退学後、海上自衛隊に勤務。18歳で上京し運送会社を興す。10年後運送会社を手放し、故郷の本部町で「あじさい弁当」を始める。98年、弁当屋の地下に借金をして手作りの音楽スタジオ「あじさい音楽村」を創設。すべてが無料の音楽スタジオは高校生を中心に大人気となる。やがて、プロを目指す若者が増え、有限会社あじさいミュージックを設立。数々のアーティストをメジャーデビューさせる。2005年8月、腎臓がんと診断される。再発を繰り返しながら、08年1月に余命3カ月と宣告される。同年から本部町観光大使に就任。同年、「あじさい音楽村」の功績が認められ第1回沖縄タイムス地域貢献賞を受賞。2009年11月15日逝去。享年42歳。

◆ステレオポニー・オフィシャル・サイト
◆ステレオポニー・レーベル・サイト
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