“人生を駆け抜け、若くして死に、美しい遺体を残す”エディ・コクラン

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“人生を駆け抜け、若くして死に、美しい遺体を残す”のは伝説の人物になるための方法である、と良く言われる縁起の悪い格言だ。

10月3日に73回目となる誕生日を迎えるはずだったエディ・コクランも、その短い人生を駆け抜け、世界的な伝説のロックスターになった。ロックンロール草創期に活躍した大スターの一人である彼は、独自のギタースタイルを開拓し、数々の伝説的な名曲を生み出し、いかつい外見を損なわないまま21歳の若さで他界した。

アメリカ中部のミネソタ州にある小さな町で生まれたエディは、10代で家族と共にカリフォルニア州へ移った。幼い頃からギターを肌身離さず持ち歩き、やがて独学でギター、ベース、ドラムの演奏法、さらにはレコーディングのテクニックをも習得する。カントリーミュージックとブルース・サウンド、その両方の影響が見られる彼のギター演奏スタイルは、後に彼のロカビリー・サウンドを築く大きな土台となった。

1955年、エディは学校を辞め、プロとしての音楽活動を開始する。そしてまだ10代の内に当時セクシー女優として名を馳せていたジェイン・マンスフィールド主演の映画『女はそれを我慢できない』に出演、演奏する機会に恵まれた。映画でエルビス・プレスリーに扮しての演奏が評判となり、リバティー・レコード(現在はEMI傘下)と契約を結ぶ。1年契約という短い期間にオリジナル楽曲やカバー曲など次々とヒット曲を連発、シングルとしてリリースされなかった曲も大ヒットとなった。1960年、初めてのイギリスツアーを大成功の終わらせ、帰国のために空港へと向うタクシーが、街灯に衝突して大破。同乗していた婚約者でソングライターのシャロン・シーリー、歌手のジーン・ヴィンセントと共に病院にはこばれた。同乗者の2人は重症を負ったが負傷しただけで済むが、車外に投げ出されたエディは脳挫傷のために翌日4月17日に息を引き取った。享年21歳。

しかし、彼の残した音楽は人々を魅了し続け、今でもその多くがロックスタンダードの名曲となっている。以下でエディの代表曲の一部を紹介する。

●カモン・エヴリィバディ(C'mon Everybody)
(ジェリー・ケイプハート/ エディー・コクラン)
マネージャーのジェリー・ケイプハートと共作したこの曲はティーンエイジャーに人気のテーマ“俺ん家でパーティーしようぜ”という内容。
ブライアン・セッツァー、ブライアン・アダムス、クリフ・リチャード、ハンブル・パイ、イギー・ポップ、レッド・ツェッペリン、NRBQ、PJプロビー、セックス・ピストルズ、シド・ヴィシャス、ジグ・ジグ・スパトニック、ザ・レヴォネッツ、ストレー・キャッツ、UFO、ヴィンス・テイラー、日本人でもザ・ルースターズ、布袋寅泰など多くのアーティスト達がカバーしている。1988年にはLevi'sのキャンペーン広告に起用され、ニューオリンズの名セッション・ドラマー、アール・パーマーが演奏している。

●カット・アクロス・ショーティー(Cut Across Shorty)
(ウェイン・ウォーカー/マリジョン・ウィルキン)
曲のテーマは愛する女性のハートを射止めるために戦う2人の男の物語。古風なサウンドだが、生き生きとしたロカビリー調の曲だ。ブライアン・ジェームス(元:ダムド)、フェアポート・コンベンション、フレディー&ザ・ドリーマーズ、ロッド・スチュワートをはじめ幅広いアーティストにカバーされている。

●ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー(Hallelujah I Love Her So)
(レイ・チャールズ)
オリジナルは1956年に大ヒットしたレイ・チャールズの曲。ピアノがメインだったヒット曲をエディがギター・バージョンに編曲して1959年に発表した。
ロックとジャズ・バージョン共に人気があり、アニマルズ、ビートルズ、ハンブル・パイ、モッズ、カウント・ベイシー、デヴィッド・サンボーン、エラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラ、ジェリー&ザ・ペースメーカーズ、ペギー・リー、ピーター&ゴードン、リタ・クーリッジ、スティーヴ・トゥーレなど多数のアーティストにレコーディングされている。

●ジニー・ジニー・ジニー(Jeanie, Jeanie, Jeanie)
(マイケル・チャップマン)
1958年のマイナーヒット曲で、ロカビリーっぽい雰囲気が漂う陽気な曲だ。ストレー・キャッツ、日本ではスリー・ファンキーズ、ブラック・キャッツ、SAらにカバーされている。

●ナーバス・ブレイクダウン(Nervous Breakdown)
(マリオ・ロカッツォ)
精神衰弱について歌っているため“サイコビリー”に傾倒している曲かと感じる人もいるかもしれないが、とてもロカビリー色の強い1曲。ブライアン・セッツァー、ボビー・フラー、ジ・インメイツ、ジョー・ストラマー、キング・カート、ワンダ・ジャクソンなど多くのアーティストがカバーしている。
エディ・コクランの大ファンであるブライアン・セッツァーは、多くのエディの曲を何度もカバーするだけでなく、映画『ラ・バンバ』(1987)にてエディ役を演じている。

●シッティング・イン・ザ・バルコニー(Sittin In the Balcony)
(ジョン・D・ラウダーミルク)
1957年にリリースされた1stシングル。ビルボードチャートの18位にランクインした。恋人と映画館で過ごすロマンチックな時間がテーマ。日本ではミッキー・カーティスやスネイクマン・ショーらがカバーしている。

●サムシン・エルス(Somethin' Else)
(ボブ・コクラン/シャロン・シーリー)
エディの恋人と兄のロブが書いた曲で、高嶺の花に見える車と女の子への憧れを歌っている。1959年に発表され、アメリカはもとより、イギリスでも大ヒットとなる。アルカトラス、フレイミン・グルーヴィーズ、レッド・ツェッペリン、リトル・リチャード、モーターヘッド、ムーヴ、ニューヨーク・ドールズ、セックス・ピストルズ、シド・ヴィシャス、シルヴィ・ヴァルタン、サファリズ、トム・ペティー、UFOなど数多くのアーティストがカバーしている。

●サマータイム・ブルース(Summertime Blues)
(ジェリー・ケイプハート/エディー・コクラン)
10代のフラストレーションをテーマにした永遠の名曲。
元々はシングルのB面に収録されていたこのエディのオリジナルは、1958年に彼の経歴のなかで最高位のビルボードチャート8位を獲得、UKシングル・チャートでも18位を獲得した。
この楽曲は多くのアーティストがレコーディングし、自身のアルバムに収録している。ビーチ・ボーイズは1962年のデビュー・アルバム『サーフィン・サファリ』に、1967年、サンフランシスコを拠点としていたサイケデリック・ロックバンド、ブルー・チアーの、強烈かつ重厚なディストーション満載のヘビーなバージョンはビルボード・チャート18位にランクイン。1970年にリリースされたザ・フーのアルバム『ライブ・アット・リーズ』収録のライブ・バージョンも有名だ。1994年、カントリースターのアラン・ジャクソンによるバージョンは、ビルボードのカントリー・チャートで1位を獲得した。
日本ではRCサクセッションが1988年8月15日に発表したカヴァーアルバム「COVERS」で、日本語歌詞を載せたバージョンが露骨な原発批判の反原発ソングになってあり、アルバムは発売中止騒動に発展したのは有名な話だ。
他にもマーク・ボラン&Tレックス、ブラック・キーズ、ボビー・ヴィー、バブライアン・セッツァー、バック・オーウェンズ、べンチャーズ、ディオン、ディキシー・ドレッグス、フライング・リザーズ、ゲス・フー、ジェームス・テイラー(このバージョンは最悪)、ジョーン・ジェット、ジュリアン・クラーク、リトル・リバー・バンド、モーターヘッド、オリビア・ニュートン・ジョン、リッチー・バレンズ、ザ・ルーツ、ラッシュ、ストレー・キャッツ、テリー・レイド、ラッシュ、シルヴィー・バータン、ウルフルズ、Lolita18、BOWWOW、ギター・ウルフ、サーフ・コースターズなど世界中で多くのアーティストにカバーされている。
エディを崇拝したロックスターの1人であるマーク・ボランが、ファンとしてUKツアー中のエディのギターを車まで運ぶローディー役を申し出たのは有名な話だ。

●トゥエンティー・フライト・ロック(Twenty Flight Rock)
ネッド・フェアチャイルド作曲(本名:ネルダ・フェアチャイルド)
エディがプロの音楽活動を始めた初期の1957年に映画『女はそれを我慢できない』のために作曲・映画で演奏したこの曲は、彼のキャリアが軌道に乗るきっかけを作った。繰り返すメロディーが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と聞こえる。
クオリーメン、クリフ・リチャード、コマンダー・コディ、ジャック・ホワイト、ジェフ・ベック、モントローズ、ロバート・ゴードン、ローリング・ストーンズらにカバーされている。
ポール・マッカトニーがジョン・レノンの前で初めて演奏したのがこの曲で、それで、ジョンがビートルズの前身バンドであるクオリーメンへの加入を認めたと言われている。

キース・カフーン(Hotwire)

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