矢沢永吉、とてつもないエネルギーに満ち溢れたロックンロール・アルバムの最高傑作『Last Song』大特集

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矢沢永吉 BRAND NEW ALBUM『Last Song』2012.8.1 Release

──オリジナル・アルバムは、2年ぶりになりますね。

矢沢永吉(以下、矢沢):良い作品ができたでしょ? いつ頃の盤を聴きました? 1か月ぐらい前?

──いえ、1週間ほど前のものです。

矢沢:それなら大丈夫。音、良かったでしょ? でももっと良くなりますから。最後に僕がOKしたのが3日前ですから、前のものよりも1ランクも2ランクも良くなってます。でもね、そのぐらいになってくると、あとは細かい部分ですから。たとえば「LAST SONG」がもっと来るとか、『「あ.な.た...。」』という曲がもっと来るとか、細かいところが変わってます。その最終ができたのが3日前です。アルバム、いいでしょ?

──最高です!

矢沢:最高だよね。正直言って、色々な方から絶賛されてます。このアルバム、すごいって。今の時代、みんな待ってんじゃないんですか? こういうアルバムを。こういう“LOVE”を感じるアルバムを。

──ああ、まさにそういう作品ですね。ぬくもりというか、包容感というか。

矢沢:ロックなんだけど、LOVEがある。みなさんそう言ってくれます。“矢沢さん、このアルバムって愛がありますよね”と。エイトビートが効いてても、そこには優しさがある。ビートルズも、そうじゃない? ♪Can't Buy Me Love~って、“LOVE”なんですよ、要は。その何とも言えないゾクゾクする感じを、僕は覚えてるんだけど。そういうアルバムを作れたら最高です。今、正直言って、自分のアルバムですけど、ものすごく興奮してます。近年、アルバムを作ったあとにこんなにソワソワしてるのは久しぶりです。だって僕、昨日の夜だって一昨日の夜だって、寝る前にベッドでボリュームガンガン上げて、パジャマ姿で踊ってたよ(笑)。自分で自分のこと、ほめてますよ。おまえは天才だねって。

──自分で作ったものにそこまで惚れるのは、アーティストとして最高だと思います。

矢沢:うちの奥さんも、“あなたと一緒になって30何年、歴代のグレイトなアルバムはいっぱいあるけど、ベスト5に入っちゃうんじゃない?”って言ってましたね。なんでここに来れたかというと…やっぱり洋楽に憧れ、海の向こうへ行ってすごい奴らとやって、洋楽一辺倒になって…“あれ、ちょっと待てよ”と。これじゃあ、まるっきりモノマネじゃない。そんなことじゃ駄目なんだよ、それを超えたものを作らないと、ニッポンやアジアを経て、矢沢永吉のオリジナルを作らなきゃいけないというところへ、また戻ったから。ぐるっと回ったから言えるんですよ。それもあって、この『Last Song』というアルバムに来るんですよ。

──作る前には、どんなコンセプトがあったんですか。

矢沢:このアルバムはとにかく、きっちりかっちり作るのをやめようと。もっとルーズな、揺れてるようなざわめいてるような、多少トチリがあってもいいから、グルーヴを大事にする、と。だからこの11曲、ほとんどテイク・ワンで録ってます。

──マジですか? すごい…。

矢沢:だから1曲3分50秒で制作が終わってるんですよ(笑)。だいたい昼ぐらいにスタジオに集まって、“今日やる曲聴かせて”“OK”って、デモテープを聴いて、みんなコード進行をメモするよね。それで、2~3回聴いて確認して、“じゃあ録ろうか”って言って、だいたいテイク・ワン。ベースとドラムは一発で録っちゃう。多少の間違いはどうでもいいの。よっぽど間違えたらパンチ・インするけど、ほとんどやらない。その“揺れ感”がいいんですよ。だから12時に集まって、2時ぐらいには帰るから、2時間。その間に3曲上げる。初日は3曲入れるのに3時間ぐらいかかったけど、2日目からは1時間半で終わっちゃいました。しかもそのうち、ほとんどは世間話だからね(笑)。それで“今日はヤバイね、神業だね”って言って、さっさと帰る。そこまで録れたら、マルチテープを東京に持って帰って、東京で料理するんですよ。

──ああ、なるほど。

矢沢:ミックス・ダウンのエンジニアはもちろん日本人ですし、オーバーダブとか、コーラスも全部日本人。トシ・ヤナギなんか、あいつは半分アメリカ人みたいなもんですけどね。レコード自体は1か月半ぐらいで全部終わってる。終わってるんだけど、そのあと2か月半はずーっと手直し。EQをちょっと上げる、下げる、もうちょっとベースをデカく、小さくとか、そういうことばかり2か月半やりました。レコード作るのは、1か月半で全部できてるんです。あとは“いじり”で2か月半から3か月、終わったのはつい最近。だから6か月かけてるんだけど、聴いてるほうが3か月ぐらいあるんですよ。

──そっちのほうが長いですね。

矢沢:そっちのほうが圧倒的に長い。それで、聴くことのほうが圧倒的に長いレコードって、過去にあっただろうか? というと、そんなのないんですよ。日本の今のほとんどの現状は、発売日に追われて、徹夜してでもやってすぐ納品、みたいな感じじゃないですか。みんなもわかってるはずですよ、できてすぐ納品なんてありえない。一番大事なことは、できてから、じーっと聴く。ぼーっと聴く。そうするとね、ボーカルがデカいとか、ベースがデカイとか、色々と出てくるのよ。それをまた車の中で聴くとまた環境が違う。自宅で聴くと違う、スタジオで聴くと違う。僕のオフィスで聴くとまた環境が違う。それをずっと繰り返して、やっとここにたどりつけたんですよ。今、下(撮影スタジオ)で流してたのが最新版です。だから、ほしいところに楽器の音が出てくるし、ハイ・パートになるとスッとボーカルが逃げて、向こうのほうで聴こえるから、ものすごく立体感がある。かっちりきっちり作らない、ちょっといい加減さも加えて、がさつき感を入れることによって、もっとロックンロールになるし、もっとセクシーになる。詞の内容も含めて、そこに“LOVE”を感じる。そういうふうになったらいいなというものが、やっとできたという感じがしますね。それが、40周年にこのアルバムを出せるということの嬉しさですね。

──それはやはり、この前に『ROCK'N'ROLL』『TWIST』というものすごいロック・アルバムを作ったことが、今回の作品の布石になったというか…。

矢沢:そうです。きっちりかっちり作らないんだという手法は、『ROCK'N'ROLL』から取り入れてますからね。だから三部作の最後のアルバムなんですよ。それと、僕は、レーベル(GARURU RECORDS)を立ち上げたじゃないですか。『ROCK'N'ROLL』からうちのレーベルで、売上枚数も半分ぐらいに下がっちゃうんだろうなと思ったら、とんでもない、メジャー時代の倍売れてるんですよ。だから何が大事だと言ったら、やりたいことを思いっきりやるっていうことですね。自分でレーベルを立ち上げたことで、ますますそうなってきましたよね。インタビューもそうですよ。僕、これから四泊五日で地方へ行くんですよ。それは『ROCK'N'ROLL』『TWIST』の時にも行きましたけど、普通、地方に四泊五日で行くなんて、新人アーティストのやることですよ。

──そうですね…(笑)。

矢沢:新聞社行って、ラジオ局回って、“よろしくお願いします”というのは、新人アーティストのやることですよ。それを喜んでやってるから。それにはいくつか理由があります。ひとつは自分のレーベルだから、そりゃ何でもやりますよ。それもありますが、やっぱり40年もやってきて…人がやらない扉を、オレがけっぱぐってやるという自負を持ってやってきました。マジに頑張ってきたつもりですよ。そうやってきて、これぐらいになってくると、“ああ、うれしいな。オレはロック・シンガーだ。ありがたいことだな”という気持ちになって、ちょっとニンマリしながら地方へ行けるんですよ。どのくらいやると思います? 四泊五日で30数本のインタビュー受けるんですよ? ラジオの収録も含めて、1日に平均6本受ける。すごいでしょ?

──すごすぎます…。

矢沢:それは何でできるかと言ったら…楽しんでるからじゃないですか? それと、ここへ来てこういうアルバムを作れて、一回でも多く皿回し(オンエアする)して欲しいと思いません? 夏フェスと一緒。ここへ来て、僕は夏フェスにバンバン出始めたでしょ。そしたら若いファンがバンバン武道館に増えたんですよ。<ROCK IN JAPAN>に最初に出た時なんて、“矢沢永吉? コマーシャルのオジサンじゃないの?”なんて見てたら、“OH MY GOD!”ってぶっ飛んじゃって、すげぇ!って、そのままファンになったって人がいっぱいいるわけです。プロモーションもそうですよ。キャリアが40年もあるような人は普通行かない。でも、行くから面白いんじゃない? “このレコード、よろしくお願いします”って、いいじゃないですか。この『Last Song』は、名アルバムですよ。この何とも言えない揺れ感、ロックンロールですよ。今のアーティストはもうほとんど、ピッチリ作っちゃうから、つまらないでしょ? これはあんまり言っちゃいけないのかな(笑)。この間、誰かが言ってましたよ。“今の若いロックバンドはこういうアルバムを作らないんですよ”って言うから、“なんで作らないんですか”って聞いたら、“いや、作れないんです”って。作れないんですね。作り方教えるから、僕のところへ来いよ(笑)。

──もうね、このアルバムは、すごい刺激になると思いますよ。

矢沢:やっぱり、今までのキャリアですよ。無駄になってない。早くからアメリカに行って、世界的な連中とやって、憧れまくって、壁にぶつかって。それを経て、噛んで、消化して、それからジャパン、アジアの匂いをプンプンさせた矢沢永吉サウンドというのはどれなんですか? っていう、ここに行きたいですよね。今回僕はね、この『Last Song』は、来たんじゃないかなと思いますよ。62でようやくこのサウンドを出せましたね。

──それと、長く聴いてるファンには、山川啓介さんの詞が聴けることも、すごく大きな出来事なんですよ。久しぶりですよね?

矢沢:20年振りぐらいになるのかな。僕、今回は直接山川さんに電話しました。“山川さん、久しぶりです。元気にしてますか?”と。“実はね、山川さん。僕も60になって、今回、凄くいいバラードを1曲書いたんですよ”。これはアルバムの最後の曲になるんですが、タイトルもすでに「LAST SONG」に決めてる。で、ふっと思った時に、もう40年も走ってきて、矢沢永吉の「マイ・ウェイ」みたいな曲がほしいんだと。誰がいいかなと思ったら、山川さんしかいないでしょうと。“1曲、矢沢永吉の「マイ・ウェイ」を書いてくれませんか?”と、言いましたよ。そしたら山川さん、喜んでましたね。“ちょっと時間かかりますけど、矢沢さん、自分に任せてくれませんか”“もう好きにやってください”と言ったら、これが上がってきた。ああ、山川さんも、糸井重里さんも、ちあき哲也さんも、みんな矢沢永吉の応援団長みたいなものなんだなと、僕は思いましたよ。応援団長としての山川啓介の、矢沢永吉に対する思いがこの詞になってますよね。

──もう、まさに、そうなんです。

矢沢:虹を見た少年が今のオレに言ってる、まだ旅を続けろと。全部手にしてみたけれど、まだたどりつけない。あれは、山川さんの気持ちが入ってますよね。“永ちゃん、歌い続けてね”って言ってるんですよ。僕はこれをスタンダードにして、ずっと将来にわたっても歌い続けますから。カッコいいじゃない? 70ぐらいになって、ブルーノート東京とかで歌っていたら。それで、山川さんがこれを書いてくれたわけですけども、デビューから40年、武道館も117回やってきまして、日産スタジアム(9月1日)に65,000人を集めてやる、相当なメンツがこの日集まりますよ。スペシャルアクトで、ロックをビンビンやってる仲間が5~6バンド、夏フェスでも集まらないんじゃない?っていうぐらいのバンドが集まりますから。あらためて矢沢のロック40年にサンキュー、という気持ちをみんな持ってくれているんじゃないですか? ロックンロールを通じてみんなが同じように感じているのは、非常に嬉しいことですよね。僕が60歳の時(東京ドーム公演)にも、氷室(京介)さんが駆けつけてくれたり、ああいうようなことですね。これから先、僕は41年、42年、45年と、歌えるまで歌いたいんですけど、これを僕はどういうふうにやり続けて、どういうふうに降りていくか。どういうふうに着地して、どういうふうに“サンキュー”と言って閉じるのか。これはたぶん、いろんな形で、新しいロックバンドが僕を見てるというひとコマですから。カッコいい閉じ方をしてるよね、という閉じ方をしたいですよね。だから今どんな気持ちかと言ったら…ズバリ、このアルバムのタイトルは『Last Song』ですけども、まあ、また作るでしょう、たぶん。

──最初にタイトルを聴いた時はドキッとしましたけど。それは、また作ってもらわないと困ります。

矢沢:だけど昔とちょっと違うのは、いい意味で“オレ、頑張ったな”という気持ちはありますよ。時代背景が、アルバムをどんどん出して新曲をボンボン投入する時代でもなくなってきてるから、後悔しないアルバムを作り、これが最後のアルバムになってもいい、という気持ちもなかったこともないです。武道館の最終日が来たのと似たような気持ちで、“もうしばらくはステージに立ちたくないな”と思ってるところなんじゃないですか、今は。だけど必ず、僕のことだから、またアルバムを作ると思いますよ。そんなこんなを経て、これから40年先、どういう形で僕はスローダウンしていくのか。スローダウンの仕方も、楽しく、カッコよくスローダウンしていきたいなと思いますよね。

──最後に、40年ということで聞きたいです。昔の音源を聴いたり、映像を見たりすることはありますか。そして、そこで何を思いますか?

矢沢:この間、「若い広場」(NHKドキュメンタリー/1980年)を観たんですよ。最多リクエストだか、最多リピートだかに選ばれたということで、相当の回数流れてます。僕も悪い気はしないから、この前観ました、久しぶりに。でも、最初の15分、20分もたなかったね。もう観られなかった。

──どうしてですか?

矢沢:あまりにもトンガッてて、あまりにも青くて、あまりにも言いたい放題言ってるから、嫌になっちゃった。恥ずかしいやら、嫌やら(笑)。それはね、当人だからそう思うんですよ。良く言えば、それだけまっすぐだったし、マジだったし、あれは自分のケツを叩いてたんだろうね。言い聞かせて、“行けー!”みたいな、何か知らないけど、常に仮想の敵を作ってでも自分を押し上げるというところがあった、その時の僕ですよ。早口だし、怒ってるし、何怒ってるのおまえ?っていうぐらい怒ってるし(笑)。今思えば、そう思うことで自分を引き上げてたんだね。それを今の僕が見ると、気持ちはよくわかるんだけど、まっすぐ見れなくて、15分でやめちゃった。それが何で最多リクエストなのか? と思うんだけど、そのぐらいトンガッてたね。すごいですよ。だけど、こうやって消えもせず、40周年を迎えられる。65,000人の人がチケットを買ってくれる。そんな時に、こんなにケツを振りたくなる『Last Song』みたいなアルバムができちゃう。だから今の僕は、いい意味で気持ちのいい余裕を持ちながら、ステージに立ち続けていけたらいいなと思ってますけどね。

──もう仮想の敵はいないですか。

矢沢:今はもう、いないですかね。だから今、「若い広場」を見られなかったんじゃないですか? 今は仮想の敵を作る必要はなく、シンプルに、もちろん嫌なこともあるでしょう。いろいろあっても、仮想のものを作り上げて、憎しみを見つけて、そこから走る必要はないから。酒の一杯でも飲んで、またいいステージやれたらなって、そんな感じですよ。去年の武道館のライブでも、“近年で一番良かったです”とか言われて、“それ、毎年言われてるよ”みたいなね(笑)。でも、いいじゃないですか。“ボス、近年で一番良かったです”とか言われて、お世辞も半分あるんだろうけど、悪い気持ちはしないよね。だからそれは何かと言ったら、余裕を感じるんじゃないですか?“どこが良かったの?”“どこも何も、矢沢さんがとにかく楽しそうにやってる”と。“ああ、そうなんだ。サンキュー!”って感じですよね。“とにかく楽しそうだった”と言われるのが、今の僕の立ち姿なんでしょうね。また、そうでなければならないと思いますよ。40年、スティル・ロック・シンガーやらせてもらうって、いいじゃないですか。最高ですよ。ロックンロールですよ。

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