【インタビュー】アーティストとしての闘い、ヴィジュアル系バンドとしての誇り。MUCC最新アルバム『シャングリラ』が放つジャンルを凌駕した魅力

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MUCCの約2年ぶりとなるオリジナル・アルバムがついに完成、11月28日に世に送り出される。『シャングリラ』と名付けられたこのアルバムは、今年(2012年)結成15周年を迎えた彼らの進化の足跡をしっかりと刻み込みながら、次なる扉が開く手ごたえをも感じさせる、音楽ファン必聴の会心作となった。アーティストとしての闘い、ヴィジュアル系バンドとしての誇り、そして覚悟。最新アルバム『シャングリラ』が放つジャンルを凌駕した魅力を探る、逹瑯(Vo)ロングインタビュー。

取材・文●武市尚子

【Page1】MUCCはなぜ“ヴィジュアル系戦国時代”といわれたネオヴィジュアルシーンで勝ち残ったのか?
【Page2】ヴィジュアル系はヴィジュアルでしか勝負できないのか?
【Page3】MUCCは脱ヴィジュアル系を狙っているのか?

 ◆  ◆  ◆

◆MUCCはなぜ“ヴィジュアル系戦国時代”といわれた
ネオヴィジュアルシーンで勝ち残ったのか?


――今回は、ニューアルバム『シャングリラ』に至るまでのMUCCを、いつくかのテーマに分けて、深く探っていけたらなと思ってます。まず、MUCCは、【MUCCはなぜ“ヴィジュアル系戦国時代”といわれたネオヴィジュアルシーンで勝ち残ったのか?】と。

逹瑯:何それ、アイドル戦国時代みたいな、“ヴィジュアル系戦国時代”って初めて聞いたってば(笑)。まぁでも、その言葉を使うとするならば、MUCCはネオヴィジュアル系じゃないからなんじゃない? そう呼ばれるようになってから出て来たバンドよりも、MUCCはちょっと早いからね。ネオヴィジュアル系って、Alice Nineあたりなんじゃない? ナイトメアはもうネオヴィジュアル系ではないと思うからね。ほとんど同期に近いからね。

――そうね。でも、MUCCは、特にヴィジュアル系シーンから脱しようとせずにも、いろんなジャンルと絡んだりする中、楽曲の変化はすごく大きなものがあり、まだまだそこは進化し続けている訳だけど。そこで、古くからの聴き手が離れず、更に幅を広げ、支持され続けているという現実を逹瑯くん自身はどう思う?

逹瑯:ん~。なんだろな。サウンドが変わっても歌詞に重きを置いてるっていうスタンスが変わらないからじゃないかな。【唄】っていうとらえ方が変わってないからなんじゃない? 歌詞にも、その時々のサウンドに合わせた遊びは入ってるんだけど、根本的なベクトルは変わっていないというかね。

――なるほど。最新シングル「MOTHER」のインタビューのときにね、「2000年とか2001年の頃に書いてた歌詞の自分を見ながら歌詞を書くと、こうなる。大人になってるから、そこに感謝の気持ちが入ってる。昔の気持ちを今の目線で書くとこういう歌詞になるのかなって思う」ってミヤ(G)くんが言ってたのね。「自分の親が死んだときのことを書いた「断絶」がきっかけ。そこから歌詞を意識するようになって。昔は、“悲しい。なんでこんなに悲しいんだろう?”としか思わなかったのが、いろんな歌詞を書いて、いろんな人生経験をしてきたことで、その経験すらも有り難かったって思えるようになってる」って。逹瑯くん的には、「家路」(Sg/2001年7月15日発売収録)とかの歌詞を書いていた頃から、歌詞に対する想いは変わっていない?

逹瑯:うん。そうだね。俺、フォークとか好きだからね。だから、自然と歌詞に気持ちが向いてたんだと思うよ。歌詞に重きを置くとか、そういう意識も当時はなく、自然とそうなってたんだと思うな。ブルーハーツとかフォークとか本当に、いまだに大好きだからね。やっぱ最初にそこ見ちゃうしね。この曲にこの歌詞が乗っかんのかぁ、すげぇなって。その頃好きだった人たちの新譜はいまだに買って聴くしね。吉井(和哉)さんとかの歌詞にもすごく惹かれる。すごく好き。

――ブルーハーツの歌詞はストーリーではないでしょ? 逹瑯くんの書く歌詞とはまたスタイルが違うモノだと思うけど。

逹瑯:そうだね。なんかね、影響を受けたというより、やっぱ惹かれるんだと思う。そこがそのまま自分のモノになるっていうんじゃなく、惹かれた感覚とか、惹き付けられる感情に共感するんだと思う。自分の作風に影響を受けてるっていうんじゃなく、マインド的にね、すごく大きい刺激を貰ってると思うんだよね。そういう意味では、長渕剛さんとかもそうだね。近い先輩でも、カリガリの青さんとか、プラスティックトゥリーの竜太朗さんとか、ラヴィアンローズのkyohsukeさんとか、すごくいい歌詞を書く人が多かったからね。すごくいい刺激を貰っていたと思う。そういうのをガキの頃から聴いてたから。本当に自然と歌詞を大事に想うようになったんだと思うよ。唄でお客さんの心を掴んでいるバンドが周りに多かったからね。そこは大きいと思う。

――逹瑯くんが歌詞を書くときは、MUCCというバンドを意識して書いてるの?

逹瑯:ん~。バンドの色を意識してってこと? そういうのはないな。自分の中で、このワードは有りか無しかっていうのはあるけど。まぁ、それも最近は少なくなってきたけど、MUCCを意識して書けない歌詞はないね。

――「ファズ」(Sg/2007年10月31日発売)のあたりで随分歌詞に変化があったように感じたけど。今回の「Marry You」なんて、絶対に昔のMUCC、昔の逹瑯くんからは出てこなかっただろうから。

逹瑯:うん。そうだね。「ファズ」の頃はね、より具体的なワードを入れることで、より情景描写が色濃くできるのかなってことを感じた時期だったというか。俺が好きなアーティストの歌詞って、その人のその時の心境とかがそのままリアルに入っているからこそ、心に響いてくるなってモノばっかだし。自分的にもそういう歌詞が書けたらいいなって思っていたとこもあったし。その当時のレコード会社(ユニバーサル)のディレクターの人が歌詞にもすごく意見を出してくれる人で、結構MUCCの中を引っ掻き回してくれたのね。いままでにないことにチャレンジできたのもその頃だったし。「ファズ」の歌詞もそう。まだ柔軟じゃなかった頃でもあったから、すごく悩まされたし、苦しんだし、クソッって思えたし。だけど、楽しんでやれてた自分もいたしね。今思えば、あの時期があの時代にあって良かったなって思ってる。今みたいに、いろいろと経験して、柔軟になってからだとすんなり受け入れちゃうと思うからね。葛藤のある時期にそういう経験ができたことも良かったと思う。

――そうだね。素直に聞けてたら、また少し違っていたかもしれないからね。そこの違いは大きいよね。ミヤくんと擦り合せて歌詞を書くということも特にしたことはないの?

逹瑯:うん。別にそういうのはなかったな。好きなモノが似てたのもあるんだろうけど、そこまでかけ離れたことを書いていないってのはあるのかもね。

――でも、ミヤくんは、「アルカディア featuring DAISHI DANCE」(Sg/2011年11月23日発売)の中の“右手”っていうワードは、「ファズ」(Sg/2007年10月31日発売)の中に出て来た“右手”っていうワードから持って来たって言ってたのね。

逹瑯:あ、そうなんだ。でもね、そういうのだったら俺もあるよ。今回のアルバムの「夜空のクレパス」は、仮タイトルが「夜空」だったのね。仮歌詞をリーダー(ミヤ)が書いてて、アルバムに入ることになったときにちゃんと俺が書き換えたんだけど、すごく“夜空”っていうワードが合ってたから、そこは絶対に残そうと思って書いたしね。そういうちょっとした関連性を持たせるっていう遊びはたまにするね。

――そういう遊びはすごくいいね。やっぱり邦楽である以上、歌詞ってすごく大切だよね。

逹瑯:そう思うんだよね。俺ね、心に訴えかけるのって、サウンドじゃなく、やっぱ唄だと思うんだよね。サウンドはね、洋服みたいなもんなんじゃないかなって。洋服を全部取ったとき、ようは裸になったとき、アコギと唄だけでいい曲として成立するっていうのは、すごく大事なことだと思うな。MUCCは昔から、そこを大事にしてきたと思うからね、サウンドがどれだけ変化しても、そこだけは変わらずに居続けてるから、今があるんじゃないかなって思ったりはするよ。

⇒Page2:ヴィジュアル系はヴィジュアルでしか勝負できないのか?
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