【インタビュー】西寺郷太の「歴史を体感!今なら、間に合うジャクソンズ!」

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12月6日(木)、7日(金)に東京国際フォーラム、12月9日(日)グランキューブ大阪で待望の来日公演を行うザ・ジャクソンズ。マイケル亡き後、ジャーメイン、ジャッキー、マーロン、ティトが約28年ぶりに遂に共演を果たす待望の公演ということで、マイケル・ジャクソンやジャクソンズマニアとして知られるミュージシャン/音楽プロデューサーであるNONA REEVESの西寺郷太が、ジャクソンズのメンバーに直接インタビューを行った。以下は、西寺郷太が「ジャクソンズとは」というおさらいにも触れながら、ジャクソンズを掘り下げていくスペシャル企画である。

西寺郷太の「歴史を体感!今なら、間に合うジャクソンズ!その1」

2011年に引き続きジャクソンズが日本で来日公演を行う。それも今回は待望の単独公演であり、なんと三男ジャーメインも再合流!…ということで、1984年に彼らジャクソン兄弟のアルバム『ヴィクトリー』を手に入れて以来のジャクソンズ・フリークである僕、西寺郷太も毎日非常にウキウキしております。

(1)「ジャクソンズ」とは?

改めて説明しますと、ジャクソンズとは、1969年にインディアナ州ゲイリーの工業地帯から彗星のように登場し、一躍トップスターとなったジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、マイケルの5兄弟による「ジャクソン・ファイヴ」を母体とするグループ。

デビュー当時、リード・シンガーのマイケルはなんと11歳。彼の圧倒的な歌唱力と、厳しいリハーサルによって鍛え上げられた兄弟揃っての一糸乱れぬダンス・パフォーマンスは、人々を驚嘆させ、デビュー以来4曲連続ナンバーワンという偉業も成し遂げました。

1970年代中盤まで、ソウルの名門レーベル「モータウン」に所属したジャクソン・ファイヴ。敏腕社長ベリー・ゴーディ・ジュニアの指揮の元、優れたプロデューサー、ソングライター、ミュージシャンに囲まれ、「パフォーマー」として世界中から賞賛を浴びた大成功の日々は続きましたが、栄枯盛衰は世の常。次第に「幼い少年」ではなくなったマイケルや兄弟達の声域と容姿の変化、そして「時代の波」によってヒット曲が以前と比較して少なくなってくると、モータウンとの蜜月の日々は終焉を迎え、不協和音を奏ではじめます。

1976年、マイケルを中心として「大人のグループ」へと意識変革を進めていた兄弟は、「創作の自由」を求めて新レーベル、エピックに移籍。

その時、彼らはグループの商標権をモータウンが登録していたことから、「ジャクソンズ」とその名を変えました。しかし、この移籍がひとつの「悲劇」をジャクソン家にもたらします。若くしてモータウン社長の愛娘ヘイゼルと結婚していた三男のジャーメインが、両親・兄弟と、妻・義理の父親ゴーディ、両者の板挟みとなった結果、兄弟と離れ、ソロ・シンガーとしてモータウンに残留することを決断したのです。

マイケルより4歳年上、豊かな低音ヴォイスが持ち味のセクシーなソウル・シンガーとして、上品さと野性的な魅力の両方を全身から放つジャーメインはアイドル誌でもティーンの女子から驚異的な支持を誇り、ジャクソン・ファイヴの人気をマイケルと競い合っていたほど。ジャクソン・ファイヴのヒット曲の多くのはマイケルとジャーメインの掛け合いによって成り立っていました。シンガーとして卓越した能力を持つジャーメイン離脱の衝撃は、彼を頼りにしていたマイケルにとっても大きいものでした。

歴史を現在の視点から遡って「今の視点」で見てみると、この移籍は大成功に終わったと言えるでしょう。ジャーメインの抜けた戦力を補強するため末弟ランディを加え新たに5人編成となった「ジャクソンズ」は、1978年、マイケルとランディの共作による傑作シングル「シェイク・ユア・ボディ」とその曲を含む傑作アルバム『デスティニー』で、彼ら自身が目指したセルフ・プロデュース可能なアーティストとして「再ブレイク」を果たします。

その後、成人したマイケルはクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えた1979年の『オフ・ザ・ウォール』と、ジャクソンズでの『トライアンフ』での躍進を経て、1982年のソロ・アルバム『スリラー』によって、ソロ・シンガーとしてギネスブックの記録をも塗り替える前人未到の領域に到達します。

「ビリー・ジーン」「ビート・イット」「スリラー」のビデオで、マイケルを知った世代、まさに1973年生まれの僕が小学生だった頃ですが、それ以降の世代にとってマイケルが「グループのリード・シンガー」というイメージよりもソロ・アーティストとしての印象が強いのは、これは自然なことなのですが、まだこの時期はマイケルはまぎれもなく「ジャクソンズの一員」だった、というわけです。

「スリラー現象」が、世界中に伝播した熱狂の最中の1984年、ソロ・シンガーとしてモータウンで紆余曲折を経ながらも遂に「レッツ・ゲット・シリアス」などのヒット曲をものにしていたジャーメインがグループに復帰し、6人でのジャクソンズによって史上最大規模の<ヴィクトリー・ツアー>が敢行されました。

しかし、このツアーを最後にマイケルはジャクソンズを脱退。彼は1987年に歴史的傑作『BAD』を発表。「キング・オブ・ポップ」の称号を与えられるほどの孤高の存在へと登り詰めてゆきます。

ジャクソンズが最後のオリジナル・アルバムをリリースしたのは1989年。マイケルの脱退を受けて、ジャーメインがリード・シンガーに就任し、傑作『2300・ジャクソン・ストリート』を発表しますが、グループとしての活動はここで一旦終止符を打ちます。

わかりますかね?ややこしいですよね(笑)? 40年以上の波瀾万丈のキャリアなんで、ある程度のややこしさはすいません…。

ともかく伝えたいのは、「ローリング・ストーンズがミック・ジャガーだけのグループではない」、「ビーチ・ボーイズがブライアン・ウィルソンだけのグループでない」のと同じで、ジャクソン・ファイヴ、ジャクソンズが(もちろんマイケルというリード・シンガーの偉大さは計り知れないのだけれど)兄弟のハーモニー、関係性の中で不思議な魅力を放つ、伝説的なスーパー・グループであること。そして、一時は正式にリード・ヴォーカルも務めた三男ジャーメインが日本で「ジャクソンズ」名義でライヴをするのは史上初だと言うこと。

ジャクソン・ファイヴ時代の来日、ジャーメインのソロ・シンガーとしての来日、そして2011年のジャッキー、ティト、マーロンの来日、これはあったけれど、マイケルを除いたオリジナル・ジャクソン・ファイヴが揃う、この4人が一緒にステージで歌い踊る、などということは、僕のようなフリークによっては夢のまた夢のような、信じられないほど嬉しい出来事なんだ、ということがわかってもらえると嬉しいです!

マイケルが完全にソロに転じたアルバム『BAD』、そして1987年の<BADワールド・ツアー>までのマイケルのステージはジャクソン・ファイヴ、ジャクソンズのメンバー抜きにはありえませんでしたし、それ以後も彼が後ろに4人のダンサーを引き連れてライヴをするフォーマットを最後まで大切にしていたことからも、兄弟と歩んできた道がマイケルのパフォーマンスの「基礎」となったことが伝わると思います。

ジャクソンズの歴史はここまでにしましょう。


(2)ジャッキー、ティト、マーロンへのインタヴュー

で、12月3日(月)、ジャッキー、ティト、マーロン3人と、ジャーメイン単独。僕は来日直後の彼らに2度のインタヴューを行うことになりました。

まず、最初に2011年も日本を訪れた3人、ジャッキー、ティト、マーロンと。彼らとは、ここ数年、昨年の「マイケル・ジャクソン・トリビュート」のスーパーヴァイザーを僕が務めていたことや、彼らジャクソンズのオフィシャル・ライナーノーツを執筆していることもあり、英国のカーディフで、ロンドンで、東京で、アメリカのオレゴンで、と何度も一緒に食事やトークを交わす関係になっています。なので、再会とインタヴューも自然でなごやかなムードの中で行われました。特に四男のマーロンは本当にふざけたことや悪戯ばかりするので、一時も目が離せません(笑)。

今回も僕がマーロンに対し「あなたのとことんエネルギッシュで豪快なステージ・パフォーマンスは、繊細な爆発力を持つマイケルとまた違った魅力を放っていて大好きですよ」と言ったら、シリアスな真顔で「僕は、君、郷太から影響を受けたんだよ」とか言ってきて、いや、そんなわけないし(笑)。本人も笑ってるし(笑)。つか、あなた伝説のジャクソン・ファイヴでしょ(笑)!とか…。

もうひとつ僕が兄弟っていいなー(?)と、死ぬほど笑ったのが、ジャーメイン再合流の話題。アメリカでDVD化された彼らのリアリティ・ショー「ジャクソンズ・ダイナスティ」で、ジャーメインが感極まって3人に対し「俺はジャクソン・ファイヴを脱退したくなかったんだ」と涙を流して訴えたシーンがありました。「ゴーディや妻の気持ちを考えれば、あの時自分にはああいう決断しか出来なかった。それにエピックへの契約話も俺ひとりにだけ最後まで内緒にされていた。皆が揃って歌い踊る姿を、ソロになってひとりで見ていた気持ちがわかるかい?僕は寂しかったんだ。兄弟一緒に歌いたかったよ…」と、ジャーメインがせつせつと話し、その場面では兄弟3人ももらい泣きをしてジャーメインを抱きしめていたんですが、僕が「あのシーンには感動しました。ジャーメインがそんな風に孤独に思っていたことを、あの時知って皆さんも涙されていましたね」と話をふったところ、マーロンが即答でこう言ったんです。

「ジャーメインはモータウンでヒットがなかなか出なかったから寂しかっただけさ(笑)!エピックで俺達、大成功したからね!あんなこと言うのは、んー、結果論(笑)!」

皆、それ聞いて爆笑してるんです(笑)。「そんなこと言いつつ、あんたらあん時泣いてたやん!」って、僕も一応つっこんどいたのですが、これは、ジャクソンズを長年大好きだった人間にとってはヒリヒリしてて面白過ぎて…(笑)。改めて彼らのジョークのセンスというか、あぁマイケルも、シビアでシリアスなショービジネスの世界にありながら、こういう兄弟達の愛のある辛辣さ、ユーモアに包まれた文化の中で育ったんだなぁ…と実感する素敵な瞬間でした。

長くなりました。最後に今回のステージに印象に残ったのはやはり、セットリストの話。

僕がオレゴンで観た今回の<ユニティ・ツアー>の選曲はある意味意外なものも多かったんです。つまり1970年代後半からの代表的な<デスティニー・ツアー><トライアンフ・ツアー><ヴィクトリー・ツアー>でもやらなかった初披露の曲も多いこと、そしてヒット曲満載ながらもシングルに偏らずアルバムの佳曲もふんだんに選ばれていることは嬉しい驚きでした。そのことを長男ジャッキーに告げると、彼は「ファンの聴きたいもの、自分たちの歌いたいものを全部やると時間が足りない、それほどヒット曲や愛されている曲が多いんだ」と笑っていました。確かに…(笑)。

次男ティトは、今ジャクソンズは新しいアルバムを作ろうとしていて1月にはアメリカに帰ってスタジオにこもるんだよ、とも教えてくれました。

本質的な意味であまりにも仲の良い、宿命の関係性を持つ4人が奇跡の再集合。亡き弟マイケルへの、少年時代から同じステージを共にして歌い育った想い出と、深い愛を持って、それぞれの決意のもと協力して、彼らが再び厳しいリハーサルを重ねて日本にやってきれくれたこと、そして日本のファンと分かち合えることに、僕は心から感謝しています。

明日は、ジャーメインとのインタヴューと今夜の代官山蔦屋書店での急遽決定した「ジャクソンズ/湯川れい子/西寺郷太」のトークショーの話を中心に第二弾コラムをお送りします!

文執筆:西寺郷太(NONA REEVES)

<ザ・ジャクソンズユニティジャパン・ツアー2012>
今なら間に合う、ジャクソンズ!マイケル・ジャクソンの映像満載のステージ。世界に二つとない、実の兄弟だからこそ実現した奇跡の来日公演
Jermaine (ジャーメイン)Jackson/ Jackie (ジャッキー)Jackson/ Marlon (マーロン) Jackson / Tito (ティト)Jackson
12月6日(木)~12月7日(金)
@東京国際フォーラムホールA
12月9日(火)
@グランキューブ大阪(大阪国際会議場メインホール)

◆<ザ・ジャクソンズユニティジャパン・ツアー2012>オフィシャルサイト
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