【ライブレポート】西寺郷太のジャクソンズ「モータウンの申し子達による奇跡」

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西寺郷太のジャクソンズ来日記念コラム第三弾は、東京国際フォーラムで行われたジャクソンズ来日公演初日の様子を即日レポートします!

◆ジャクソンズ画像

(5)「モータウンの申し子達」による、奇跡。

2012年12月6日、遂にその日が来ました。僕と湯川れい子さんがオレゴン州リンカーン・シティ、シヌーク・ウィンズ・カジノを訪れ、〈ユニティ・ツアー〉を体感したのは7月28日。その時から、日本のファンと共に4人のジャクソンズのライヴを分かち合う日を待ち望んでいたんです。

なぜ、そんなに嬉しかったか…。「リード・ヴォーカルであり、中心人物のマイケルがいないのに?」「ただのマイケルのお兄ちゃんなだけやん」と思う人も多いかもしれません。でも、「ジャクソン・ファイヴ」「ジャクソンズ」の復活は音楽の伝統という意味ではそういう人が考えるよりもっと深く、奇跡的なことなんです。

僕は(メディア的に言えば)「マイケル研究家」と言ってもらうことも多く、二冊の本まで書かせてもらいました。現在、SONYからリリースされているほぼすべてのマイケルとジャクソンズの作品のオフィシャル・ライナーノーツも書かせてもらっています。が、そもそももっと言えば、十代の頃からジャクソン兄弟が所属していたモータウン・レコードのアーティスト全般を偏愛していました。スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ…、ため息が出るようなスター達による躍動感のあるポップ・ミュージック。僕のバンド、ノーナ・リーヴスという名も、モータウンのマーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラスとマーヴィン・ゲイの娘ノーナからとってます。自分では普通にいわゆる「バンド」形態で活動してますが、コーラス・グループが今も本当に好きです。

モータウンの中でも特に心酔したのが、強烈なリード・ヴォーカルがふたり(デヴィッド・ラフィンとエディ・ケンドリックス)いるテンプテーションズ、同じ意味でジャクソン・ファイヴ(もちろんマイケルとジャーメイン)でした。

モータウンの実質的な「黄金期」は1960年代。当時のモータウンのスター・グループのメンバーが揃って歌い踊れる姿が見れる、というのはもう今やかなり珍しいことなんです。今もし、テンプテーションズの再結成がもしも観れたなら、本当に嬉しいけどそれは叶いません。なぜなら「クラシック5」と呼ばれるオリジナル・メンバーで、71歳のオーティス以外の4人は既に(全員52歳以下で)亡くなっているからです。ジャクソンズがライヴをして、それでいて日本にツアーに来てくれる、モータウン時代のソウル・クラシック「アイ・ウォント・ユー・バック」「ABC」「アイル・ビー・ゼア」「ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ」を歌い踊ってくれる…。十代の若さでデビューし、「モータウンの申し子」とも言える彼らのステージを味わうことは、「モータウンの歴史」「空気感」をその目に焼き付け、浴びることを意味するのです。

(6)ショーがスタート!!!

ジャクソンズらしい、ドラマティックなSEの重低音が響き渡り、ライヴ盤として作品化されている81年の<トライアンフ・ツアー>を彷彿させるセンセーショナルな「キャン・ユー・フィール・イット」でショーはスタート!マイケルとジャクソンズのライヴは、登場シーンが何より肝心!いきなり、マイケルが演出したあのステージ登場の「型」に、観客は総立ちに。リフレインが繰り返される中で、微動だにしない4人のポージングからの、トレードマークとも言えるサングラスをゆっくりと外すアクション。スタートから、「ジャクソンズのライヴだーーーー!」と叫びたくなるほど、4人の立ち姿に胸を打ち抜かれます。

黒を基調としたどことなく「BAD」のショート・フィルムでのマイケルを彷彿とさせるジャーメインの衣装もクール、特に61歳(!)の長男ジャッキーのあまりの若々しさには驚きます。ともかく身体を鍛え直し、ハードなトレーニングを繰り返し、2011年の再結成からどんどんシェイプされ、ライヴ勘を取り戻し進化していることがスタートから数分で伝わってきました。

なにより、今回の<ユニティ・ツアー>は4人のタフさ、気合いが半端ないです。まず曲数が今までと全然違う(そもそも単純計算は出来ないし、曲が多ければ多いほどいいというわけではないものの)。ちなみにマイケル在籍時の最後のライヴである1984年の<ヴィクトリー・ツアー>はイントロダクションとメドレーを含め、15曲。1981年の<トライアンフ・ツアー>が、メドレー含め14曲。1979年から1980年の<デスティニー・ツアー>も、大ヒットしたサード・アルバム『デスティニー』リリース直後の前期が12曲、マイケルのソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』が空前のベストセラーになりセットリストに組み込まれた後期が10曲。そう考えると、若き日のジャクソンズのライヴは、代々1時間を少し越える程度に凝縮されているのが、ひとつの形でした。

それが今回は、メドレーも含め23曲!「セットリストを決めるのに最も悩んだし、時間がかかった」「最後はティトの帽子にそれぞれが希望する候補曲を書いた紙を入れて、えいっとクジのように選んだ(笑)」などと彼らはインタヴューに答えてくれていましたが、選ばれた楽曲の豊富さと練られたアレンジに今回の<ユニティ・ツアー>における「ファンを喜ばせたい」「マイケル不在だから駄目だ、と言わせない」「マイケルと、ジャクソン・ファイヴ、ジャクソンズの名を汚せない」という強い決意が伝わってきます。

(6)タイムレスな魅力

特筆すべきは中盤のミディアム、バラード中心のセクションでしょう。ここはリード・ヴォーカリスト、ジャーメインとコーラスの達人、ジャッキー、ティト、マーロンの真骨頂。僕は岡村靖幸さん、ノーナ・リーヴスのギタリスト奥田健介、ノーナのサポート・ミュージシャンであり、□□□のベーシスト村田シゲの3人でショーを観ていたのですが、3人ともがジャーメインを中心としたこのメロウなパートを絶賛していました。特に、エピック移籍後すぐに名プロデューサー、ギャンブル&ハフによってクリエイトされた流麗なフィラデルフィア・ソウル期を象徴する「ショウ・ユー・ザ・ウェイ・トゥ・ゴー」や、反戦のメッセージ性色の強い「マン・オブ・ウォー」、『デスティニー』に収められたアダルトなミディアム・チューン「プッシュ・ミー・アウェイ」などでのジャーメインの表現力は凄まじかったです。

今回、ジャクソンズを支えるバック・バンドはマイケルの「THIS IS IT」ツアーに負けずとも劣らない超一流の布陣です。ミュージカル・ディレクターは、ジャネット・ジャクソンのツアーでも責任者を務める鍵盤奏者、プロデューサーのレックス・サラス。マッチョなギタリスト、トミー・オーガンは「THIS IS IT」でも女性ギタリスト、オリアンティとともにマイケルに選ばれた凄腕。そして、マイケルとまったく同じような声質で歌える若きコーラス・シンガーJPの存在が4人の声とマッチングした時に得も言われぬ「ジャクソンズ/ジャクソン・ファイヴ」フレーヴァーの駄目押しとなって、「あれ?これは?」というくらい自然にハーモニーが響くポイントとなっていました。

ともかく感じたのがジャクソン・ファイヴ、ジャクソンズの圧倒的な楽曲クオリティと、鉄壁のミュージシャンによる基本はそのままにアップトゥデイトされたアレンジと演奏の瑞々しさです。クラシックだけれど、新鮮。改めて、マイケルと兄弟がデビューから数年間(モータウン、フィラデルフィア時代)はいかに周囲のスタッフに恵まれていたか、そして自分たちで曲作りをするようになっても恐ろしいほどのクオリティの代表作、傑作を生み出し続けたのかを再確認することになりました。

「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー」「シェイク・ユア・ボディ」「ハートブレイク・ホテル」などのジャクソンズ印のダンス・ナンバーは楽器の絡み合いの妙で否応なく気分を高揚させますし、<トライアンフ・ツアー><ヴィクトリー・ツアー>でも披露されていたマイケルのソロ作「ロック・ウィズ・ユー」「ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ」「スタート・サムシング」なども彼ら流の唱法で上手く再構築されていました。特に「ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ」はファルセットを多用するため、コンディションを保って歌うことが難しく、あれだけのヒット曲にも関わらず、マイケルはほとんどライヴでとりあげることはありませんでしたから、ジャーメインの頑張りには頭が下がりました。マイケルの曲を歌うことほどハードルの高いことはありません。全編に渡りトレーニングを重ねて、あのレベルまで到達し、僕たちに届けてくれたのは、まぎれもなくジャーメインの「愛」によるものだと、僕は思いました。

終演後、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロンに会いましたが、「どうだった?」「どうだった?」と皆、ニコニコ顔。「最高のショーでしたよ!素晴らしかったです!」と僕が言うと「それは良かったー」と彼らから口々に満足そうな喜びの声が聞けました。7日の東京公演、9日の大阪公演も非常に楽しみです。

撮影:YUKI KUROYANAGI
文:西寺郷太(NONA REEVES)
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