【イベントレポート】世界じゅうに笑顔を生み出した“奇跡の歌”「上を向いて歩こう」

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日本の枠を超え世界じゅうで愛される名曲として今も歌い継がれている、故・坂本九の名曲「上を向いて歩こう」。1961年にシングル盤として発売され、その2年後にはアメリカの音楽チャート“ビルボード”“キャッシュボックス”で日本人初の第1位を獲得するという、現在もなお他の日本人が誰一人成し遂げていない快挙が達成されて2013年で50周年を迎える。その「上を向いて歩こう」の全米ナンバーワン獲得50周年となる本年、2013年1月13日・赤坂BLITZにて<海を越えて50年バラエティ・ショウ 『上を向いて歩こう』>が開催された。

◆<海を越えて50年バラエティ・ショウ 『上を向いて歩こう』>画像

「“上を向いて歩こう”は、坂本九さんがお歌いになりまして、今から50年前に世界じゅうで大ヒット致しました。そして、それが“SUKIYAKI”という名前に変えて、色んな歌手がカバーをして成長し続けていったという、本当に“奇跡の歌”と言っても良いかもしれません」

海外では「SUKIYAKI」というタイトルで知られる「上を向いて歩こう」をそんな風に紹介したのは、この日の進行役を務めた松島トモ子。「上を向いて歩こう」の作曲者である中村八大と彼女は、高校生時代の留学先だったアメリカ・ニューヨークで出会って以来、家族ぐるみの付き合いを続けていたという。そして、日本から世界へ大きく羽ばたいた、まさに“奇跡の歌”と言って良い「上を向いて歩こう」の歴史が、坂本九の生前の映像も交えて赤坂BLITZのステージに蘇る。その一端を、凝縮して紹介すると…。

アメリカ・カリフォルニア州のフレズノという町は、戦前から多くの日系人が移民し、開拓者として働いていたこともあり、現地のラジオ局が日本の音楽を多くオンエアしていた。その中で、ある日、坂本九の「上を向いて歩こう」が紹介されたことがきっかけとなりリクエストが殺到。その評判を聞きヒットの予感を感じたキャピトル・レコードが見本盤を制作しアメリカ全土のラジオ局へ送ったところ大反響を呼び、1963年6月15日に見事全米ナンバーワンを獲得する。ノルウェーやニュージーランドでも同じく1位を獲得、さらにヨーロッパ、南アメリカ、アジア、オセアニアなど…坂本九の歌う「SUKIYAKI」は、日本語のまま世界じゅうで大ヒットするという奇跡を成し遂げた。

ちなみに、「上を向いて歩こう」がアメリカで広まり始めた当時は、坂本九のあの特徴的な声質が“キュートな女の子”が歌っていると勘違いされることもあったらしい。また、アメリカでのヒットに先駆けて、イギリスではすでに「SUKIYAKI」というタイトルでジャズ・カバーもされていた。その「SUKIYAKI」というタイトルは、前述のキャピトル・レコードが制作した見本盤では、“KYU SAKAMOTO”の表記の中から“SAKAMOTO”の“AKA”をいただき、「SUKIYAKA」というタイトルに変更されたという。

「永君、“歩きながら歌う歌”を作ろう。で、このテンポで、このテンポで歩く…。ただ歩くんじゃなくて、ちょっと哀しいほうがいいかな、っていうようなリクエストが(中村八大氏より)入る。それを僕が繋いでいくんですよ。だから僕は作詞しているんじゃなくて、言葉を並べ替えてるの。ジグソーパズルみたいに」

中村八大とともに「上を向いて歩こう」を生み出した永六輔もステージへ登場し、自身で作詞を手がけた「上を向いて歩こう」にまつわる様々なエピソードを披露する。永六輔は当初、「上を向いて歩こう」を歌う歌手は、「踊子」などのヒット曲で知られる三浦洸一を考えていたのだが、意外性を好む中村八大の人選により坂本九に決定したという。

「八大さんは、他人の詞を自由に切り刻んでました(会場笑)。八大さんはいつもメロディが先行して、このメロディに似合う詞をつけろっていうふうにいつも詞をつけたのね。で、いつも最後に言うのは、“良いメロディには良い言葉があるんだ”っていう」

永六輔が披露したそんなエピソード通りの、「上を向いて歩こう」の素晴らしいメロディに胸打たれたひとりが、この日のゲストして登場した野球解説者・村上雅則。彼は、日本人初のメジャーリーガーとしてマウンドへ初めて向かった際に「上を向いて歩こう」を思わず口ずさんだ。

「私は、1964年の3月にアメリカへ行きまして、1A(シングルエー)のチームに入ったんです。そこへ行ったときは、英語も全然喋れない、通訳もいない。そして、時々ラジオをかけると、“SUKIYAKI SONG”というのが流れてくるんですよ。そのとき、すごく心が癒されるというかね。本当に寂しいときが、その歌によって救われたようなことがあったんですよ」

南海ホークスから野球留学し、必死の努力でマイナーリーグで新人王とベストナインを獲得して晴れてメジャーへ昇格。サンフランシスコ・ジャイアンツへピックアップされ、ニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムでの初登板のマウンドへ向かう途中で、言葉も通じない異国の地で「上を向いて歩こう」のメロディが蘇った村上雅則。それと同じように、「上を向いて歩こう」は世界じゅうの人々の心を癒し、現在も名曲として歌い継がれ続けている。

そして、この日のイベントは、そんな「上を向いて歩こう」をテーマとしたバラエティ・ショウとして観客を大いに楽しませた。「バラエティっていうのは、意外な人との出会いが楽しみなんですね。“この人の後にこの人がいるのが面白い!”とかっていうのが、八大さんが大好きだったんですよ」。そう語る永六輔が構成を担当、中村八大が音楽を担当していたNHKの往年の名番組『夢であいましょう』を、この日のステージはまるで現代の形で再現したかのよう。まず登場したのは、その『夢であいましょう』のテーマンソングを、“ニッカウヰスキー”のTVCMソングとして歌った村上ゆき。“大人のCMソングNo.1歌姫”とも称される彼女は、同じくCMソングとしておなじみの♪セキスイハウス──のあのメロディや、美空ひばりの名唱がいまだ記憶に新しい「愛燦燦」を、ピアノの弾き語りでしっとりと歌い上げる。

「今を生きる若者の僕らが聴いても、“上を向いて歩こう”、あるいはその時代の曲達は、すごく音に温かみがあるなということを感じていて」。キーボーディスト園田涼のそんなコメントも印象的だったソノダバンドは、軽快、かつエネルギッシュな演奏で赤坂BLITZを盛り上げる。石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」に触発されて作ったという「上海午前零時」など、当時を知る年配の観客と当時を知らない若者世代を巻き込んで手拍子を誘う。

さらに、“あやしい3人組”と名乗る3人組は、“3人組”と謳いながら、「この日は赤坂BLITZという大舞台なのでベースも連れてきました!」と4人組で登場して笑いを巻き起こす。“ハッチハッチェルバンド”のメンバーでもある彼らは、この日は“あやしい3人組”として、「与作」やポール・モーリアの「オリーブの首飾り」(手品のBGMでおなじみ)を始めとする名曲の数々を巧みにミックスした楽曲を、ユーモラスに、かつリズミカルに披露して会場に楽しい雰囲気を生み出した。

「感動した場面があるんですよ、今の選曲の中に。後半、八大さんのメロディが出てくるでしょ。その中に、『笑点』が入ってた!今日、日曜日でしょ?朝7時半から『遠くへいきたい』があるでしょ。『笑点』が5時半から。両方とも八大さんの作曲なんですよね。それを知ってるっていうことが凄いと思う」

このイベントの開催日は、あやしい3人組がテーマ曲を披露した「笑点」と、この日は松島トモ子が歌い、永氏がまるで自分が歌っているかのように手話で歌詞を表現するシーンが感動的だった「遠くへいきたい」の放送日でもある日曜日。そんな粋な趣向も楽しい、世代を問わず今も多くの人々の心で響き続ける“八大メロディ”が彩ったステージを締めくくる1曲は、もちろん「上を向いて歩こう」だ。「八大さんも笑って見てらっしゃると思います…」。出演者全員が舞台へ集い、会場全体が歌い、温かく幸福感に満ちた雰囲気で包まれる赤坂BLITZで、松島トモ子は天を仰ぎながら喜びの言葉を語る。この日の赤坂BLITZと同じように、世界じゅうに笑顔を生み出した“奇跡の歌”「上を向いて歩こう」は、産声を上げてから50年以上が経った今も輝きを失わない。これからもまた多くの人々に歌い継がれて、さらに大きく成長していくのだろう。

取材・文●道明利友
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