アルヴィン・リーに続き、ジャズ・トランペット奏者のケニー・ボールも訃報

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アルヴィン・リーが3月6日(水)に68歳で急逝したのは先日速報でお伝えした通り。1969年の<ウッドストック・フェスティバル>で「アイム・ゴーイング・ホーム」で11分間にわたる速弾きを披露し一躍スターとなったアルヴィン・リーは、スペインの病院で持病の手術を受けていた最中に予期せぬ合併症を引き起こし息を引き取ってしまった。

◆アルヴィン・リー画像

アルヴィンの娘ジャスミン、妻エヴィ、元パートナーのスザンヌは共同声明を発表している。

「私達は愛すべき素晴らしい父親、そして伴侶を亡くしました。この世から本物の才能を持ったミュージシャンが去ってしまいました」

アルヴィン・リーは1966年にテン・イヤーズ・アフターを結成し、通算10枚のアルバムをリリースし、ブルースやスウィングジャズ、そしてロックを合わせたサウンドでヨーロッパやアメリカでヒットを記録した。1975年にアルヴィン・リーはテン・イヤーズ・アフターを脱退してソロ活動を開始し、ジョージ・ハリソンやスティーヴ・ウィンウッド、ミック・フリートウッドなどと共にレコーディングを行なっている。その後新たにテン・イヤーズ・レイターを結成し、1970年代後半に2枚のアルバム『ライド・オン』『甦る雷神』をリリースしている。アルヴィンは死の直前まで活動を続け、2012年8月には最後となったソロアルバム『スティル・オン・ザ・ロード・トゥ・フリーダム』をリリースしており、45年に渡るキャリアで発表したアルバムは通算20枚以上にものぼる。

さらに、ジャズ・トランペット奏者ケニー・ボールが肺炎のため82歳で亡くなったと訃報が続いている。最近、入退院を繰り返していたケニーだが、7日(木)の朝方に英エセックスのバジルドンの病院で他界したとマネージャーが発表した。

ケニーは、憧れの存在だったルイ・アームストロングのバンドメンバーとしてキャリアをスタートさせ、その後「ケニー・ボールと彼のジャズメン」を結成し1960年代と70年代のジャズシーンにおいて活躍した。1961年には同バンドの「モスコーの夜は更けて」がUKシングル・チャートで2位に輝き人気絶頂期を迎え、TVコメディー番組『ザ・モアキャンブ・アンド・ワイズ・アンド・ショー』にもレギュラー出演を果たすようになった。また英BBCの『サタデー・ナイト・アット・ザ・ミル』でもレギュラーバンドとして演奏を披露するなど、テレビ界でも成功を収めていた。
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