【インタビュー】サンタナ「そこから出てくるのはただの音階ではなく、人生そのものになる」

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photo by Erik Kabik
間もなくサンタナが、約7年ぶりの日本公演をスタートさせる。前回はフェスティバルへの参加という形態だったが、今回は大阪と東京で計3回ステージに立つ予定だ。バンドは、12人の大編成。中心人物カルロスと彼をサポートするトーマス・マエストゥのツイン・ギター、ジャズ界でも活躍するデニス・チェンバースと2年前にカルロスと結婚したばかりのシンディ・ブラックマンのダブル・ドラムスなど、注目ポイントも多い、豪華で興味深いラインナップだ。

現在のサンタナ・バンドの本拠地ラスヴェガスでそのカルロスをインタビューすることができた。

「ちょっと休みをとっていたから、指がギターに触れたがっている。しばらく離れることも大切なんだ。ちょっと離れていると、ドライな状態になって、たったひとつの音でも、ジュースがほとばしるみたいな感じを出せるようになる。それに、ギターと離れているあいだに、人々のなかでいろいろなことを経験することも大切だ。そうすれば、ギターを弾いても、そこから出てくるのはただの音階ではなくて、人生そのものになる」

ずらりと並んだ愛用のギター、ポール・リード・スミスの前で彼はそんなことを語ってくれた。何度か取材の機会を与えられているのだが、カルロスはいつも、まるでコピーライターか詩人のように素敵なフレーズを口にする。「ギターの音が人生そのものになる」が、まさにそうだ。「美しいメロディは、怒りや自己中心の気持ちを鎮める」とか、「女性がハッピーなら、世界はもっと平和になる」とも話していた。どれも、ぐっときてしまう。

あらためて紹介すると、サンタナは、メキシコ生まれのカルロスが60年代の半ば、サンフランシスコで結成したバンドだ。その歩みを振り返っておこう。

「僕はメキシコのハリスコ州で生まれ、父の演奏する音楽を聴いて育った。メキシコは、フランスとか、ドイツとか、スペインとか、いろいろな国に征服されたから、音楽はとてもヨーロッパ的なんだ」

音楽的師匠でもあった父は、家族を養うため、大都市のティファナに出て観光客相手にマリアッチを演奏するになった。カルロスも一緒にステージに立っていたようだが、やがて彼の心はアメリカの音楽、ブルースに傾いていく。


photo by Mary Anne Bilham
「プレスリーは好きになれなかったけれど、あのころからアメリカの音楽に興味を持つようになって、それから、はっきりと意識してブルースを聴きはじめた。ジョン・リー・フッカー、ジミー・リード、B.B.キング、アルバート・キング、T・ボーン・ウォーカーといった感じで、どんどん興味が広がっていった」

今からちょうど50年前、カルロスはティファナからサンフランシスコに向かう。そして、皿洗いなどで金を稼ぎながら腕を磨き、新しい仲間たちとバンドをスタートさせている。サンタナ・ブルース・バンドだ。

「サンフランシスコに移ったのは、63年だ。それから、いろいろと経験を積んでいって、1966年にブルース・バンドを結成した。あのころは誰もがブルースをやっていたんだ。キャンド・ヒート、ヤードバーズ、ジミ・ヘンドリックス、クリーム。マーシャルを使って大きな音を出していたけれど、でも、とにかくブルースだった」

1966年は、ザ・ビートルズが『リヴォルヴァー』、ビーチ・ボーイズが『ペット・サウンズ』を発表した年。サンフランシスコからは、グレイトフル・デッドやジャファーソン・エアプレインなど新しいタイプのバンドがつぎつぎと登場していた。そういったウネリのようなものを受け止めながら、サンタナは最初の一歩を踏み出したのである。そして、ブルースに軸足を置きつつも、意欲的にその音の世界を広げていった。

「ウッドストックに出演することが決まった直前、つまり、69年の夏ごろ、名前からブルース・バンドをとった。当時はブルースをやるミュージシャンがたくさんいて、みんな、僕らよりうまかったからね、少しずつ違う方向性を模索しはじめた。土台はもちろんブルースだけど、いろいろなリズムを取り込んでいったのさ」

ラテン・ロックとも呼ばれた画期的な音楽スタイルを確立した彼らは、セカンド・アルバム『天の守護神』とそこからシングル・カットされた「ブラック・マジック・ウーマン」の大ヒットで頂点に立つ。若い音楽ファンの方には意外な話かもしれないが、「ブラック~」は、もともとはブルース・バンドを目指していたフリーウッド・マックの曲だった。

「サウンドチェックのとき、グレッグ・ローリーが弾くのを聞いて、いいなと思った。サンタナにぴったりの曲だ。僕はそこに、ウェス・モンゴメリーとかオーティス・ラッシュとか、いろいろなエッセンスを加えようと考えた。シェフみたいな気持ちで取り組んだわけさ」

さらに彼らは、後半にハンガリー出身の音楽家ガボール・サボの「ジプシー・クイーン」を加え、その表現の幅を広げた。そして、長く聴き継がれることになる5分20秒の名曲に仕上げたのだ。

『天の守護神』の成功で、金は入った。名声も得た。だがその反面、カルロスは孤独になったという。そして、「自分を見失わないように」という強い想いからだったのか、スピリチュアルな世界への関心と興味を急速に深めていく。ニール・ショーンを含む編成で3作目を仕上げたあと、メンバーを一新し、新たな方向性を打ち出した『キャラバンサライ』をリリースしたのが、72年の11月。その約半年後に、彼らは最初の日本公演を行なっている。

「とてもよく憶えている。日本は、素晴らしい喜びを僕に与えてくれた。精神的なつながりを感じた。寺や神社にも足を運んで、いろいろなことを学んだよ。香りや色彩とか、違う惑星という印象だった。日本で感じた強いつながりのようなものをアメリカも学ぶべきだと思った。ライヴは静かに聴いて、曲が終わるとちゃんと反応してくれるしね。すべてをきちんと受け止めてくれた」

その後も日本との絆を深めてきたカルロスは、2年前の東日本大震災に大きな衝撃を受けたという。「家族がたいへんな状況にあると感じた。と同時、すべてが失われたというのに、しっかりと生きている人たちの姿を見て、心が動いた。木々が倒れても、日本人の心は倒れていなかった」。これもまたカルロスらしい言葉である。

90年代に入ると、一般的な意味でのヒットからは遠ざかったが、音楽に向けたカルロスの情熱は少しも変わらなかったという。グラミー制覇など驚異的な成功を収めた『スーパーナチュラル』も、狙ったものではなく、自然な流れのなかで生まれた作品だった。彼が頭に描いていたのは、一貫して、音楽を通じてユニティやラヴ、ピースという概念を訴えることなのだ。

最近の動きを紹介してやくと、2010年には、ロックの歴史的名曲を独自のサウンドとビートで甦らせた『ギター・ヘヴン』、昨年は「ずっとやりたいと思ってきたこと」と語るインストゥルメンタル・アルバム『シェイプ・シフター』を発表している。並行して、バンドを強化しながら、ラスヴェガスでの長期公演を含む精力的なライヴを展開してきた。今後に関しても、『スーパーナチュラル』のラテン版、アフリカをテーマにした作品、美しいメロディのバラッドだけを取り上げた作品など、いろいろとプランも抱えているようだ。

65歳の今も、カルロスは若々しく、驚くほど純粋な気持ちで音楽と向きあっている。バンドも彼自身も、きわめて充実した状態にあり、ひさびさの来日公演では、40年以上にわたる実り豊かなキャリアを凝縮させた、上質なライヴを楽しませてくれるはずだ。

取材・文●大友博
photo by Erik Kabik

<サンタナ来日公演>
3月11日(月) 大阪城ホール
[問]大阪ウドー音楽事務所 06-6341-4506
3月12日(火) 日本武道館
3月13日(水)東京国際フォーラム ホールA
[問]ウドー音楽事務所 03-3402-5999
※チケット代金の一部はサンタナが設立したミラグロ基金に寄付されます
http://www.milagrofoundation.org
[総合問]ウドー音楽事務所 03-3402-5999

◆ウドー音楽事務所
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