【インタビュー】やなわらばーの歌を聴くとなぜ涙が出るのか。カバーアルバム『涙唄』から紐解く

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テレビ番組出演をきっかけに今話題を集めているやなわらばーが、カバーアルバム『涙唄(なみだうた)』をリリースした。番組内で視聴者を圧倒した「ワダツミの木」、さらには原曲を歌う平松愛理自身も大絶賛した「部屋とYシャツと私」など全10曲。やなわらばーの歌を聴くと、なぜ人は涙してしまうのか。その秘密に迫った。

◆“どんな化学変化が自分の中にあったのかが分からないけど、
感動しました”という方が多くて。(石垣)


──テレビ番組の出演を通して、今、世間にやなわらばーという名前がいっきに広まっていますよね。

東里:これはいただいたチャンスだと思ってます。10年以上活動してきたなかで、これだけ多くの人に知ってもらえる機会はすごくありがたいと感じているので、ここから私たちのオリジナル曲やライブにさらに興味を持ってもらえたらなと思って。本当にね、このチャンスは絶対逃すまいと。

石垣:しっかりと捕まえたいなと思ってます。

──なんか、意外!! ほんわりした雰囲気のおふたりからこんな貪欲な言葉が聞けるとは想像してませんでした。

石垣:そうですか?(笑)10年やってきてもチャンスって何度もある訳じゃないので。今回頂いたチャンスはしっかり“やなわらばー”につなげたい。やなわらばーの曲を聴いて癒されてほしいです。私たちは皆さんの心の支えになる歌を歌いたいと思ってるんですけど、聴いてもらうための扉って、そんなに開いてないものなんですね。私たちがこのチャンスがないままCDを出したとしても聴かない方は聴かないままで終わる。でも、今回はテレビでやなわらばーに興味を持った人が“あのとき歌ってた人か。ちょっと聴いてみようかな”って思うかもしれない。扉が開いてるとそういうチャンスが生まれるので、このチャンスを生かしてしっかりみなさんをやなわらばーの音楽に引きずり込みたいなと思います。

──実際、番組に出始めてからのリアクションってすごいんですか?

東里:すごいですね。オフィシャルサイトのアクセス数が伸びたり、ブログに書き込まれるコメント数も1日1桁ぐらいだったものが300ぐらいに増えたり。

石垣:インストアに集まる人の数も以前と全然違うので、正直びっくりです。私たちからしたら(沖縄特有の)節回しを入れて歌うことは今までやってきたことで。それをやっただけでものすごい反応がきたので「あれ?」と。

──何も特別なことをやった訳ではないのにと。

石垣:はい。

──ブログに寄せられるコメントはどんな内容のものが印象に残ってますか?

東里:“聴いてて涙が出ました”、とか。

石垣 多いですね。“なぜか分からないけど涙が出た”とか、聴いてくださった方々からも“どんな化学変化が自分の中にあったのかが分からないけど、感動しました”という方が多くて。私たちはさっきも言ったように“癒し”をテーマに音楽をやっていまして。2人のハーモニーとか歌ってる歌詞の言葉が聴く人の心に届いて欲しいという気持ちで昔から音楽をやってきたので、それがテレビを通して届いたのかなと思って、とてもうれしかったです。

◆当時はね……私は三線のチューニングも自分でできないぐらいで
チューニングが狂ったら「先生、チューニングがズレたさー」って(石垣)


──では、ここでちょっとやなわらばーについておさらいをしてみたいと思うんですが。2人は石垣島出身ですよね? 石垣ではどんな風に音楽に目覚めていったんですか。

石垣:自然に、ですね。

東里:石垣島って行事ごとが多いんです。お祭りも常にやってるし、CMが流れれば沖縄の民謡が聴こえてきて。自然と三線や(琉球)太鼓の音が。

石垣:自然と回りにあって。

東里:石垣はバンドも盛んで。歌はみんな好きだよね? それで私たちもカラオケに行ってはハモって遊んでて。

──その頃からハモりが好きだった(笑)。

石垣 そうなんです! ハモりがない曲にハモをつけるという遊びをよくしてました。

──マニアックな遊びですね~。

2人:ふはははっ(笑)。

東里:その頃は2人で一緒にやろうとは思ってなくて。将来の進路を考えたときも(石垣)優ちゃんは歌が好きだからヴォーカルの専門学校、私は石垣で学生の子も気軽に行けるライヴハウスをやりたいなと思ってたので音響の専門学校を探していて。その2つの科が揃ってる大阪の学校に行ったんですね。それで、島をいざ出てみると、ホームシックになりまして。そこで初めて島のゆったり流れる時間の良さとか三線の音のあったかさとに気づいたところがあって。

石垣:恋しくて仕方なかったんですよ。島が。それは自分たちでもびっくりでした。

東里:それで、島に対する自分たちの思いを歌にし始めたんですね。自分はギターが弾けて、優ちゃんは三線を実家から送ってもらって。その2の楽器を演奏しながら、最初にできたのが「青い宝」という曲なんですけど、それを聴いた学校の先生に「校内のオーディションに出てみないか?」と言われて、思い出作りとして出てみようということになって、 どうせその日限りなんだからってことで、 “やなわらばー”という名前をつけて。やなわらばーには、“悪がき”という意味があるんですけどね。

石垣:何も考えず適当につけたんですよね。

東里:そうしたらその大会で優勝して。先生たちのサポートで私たちのライブ活動が始まったんですね。当時は本当にヘタクソで(苦笑)。

石垣:当時はね……私は三線のチューニングも自分でできないぐらいどうしようもなくて。ライブ中にチューニングが狂ったら「先生、チューニングがズレたさー」って、ステージから先生を呼んだりしてましたから。ホントにヒドかった(苦笑)。

東里:ハチャメチャだったんです。なのに、その当時でも私たちの歌を聴いて涙を流してくれる人がいてびっくりしたんですよ。

石垣:自分が歌って楽しいから歌ってたのに、お客さんは“なぜか涙が出て感動した”とか“僕は海育ちじゃないのに海の歌を聴いて田舎の風景を思い出した”とか言ってくださって。いろんな方の心に歌って届くんだなと分かっていったんですね。

東里:それで、これからは自分のためじゃなく、人のために2人で歌っていこうと。

◆インタビュー(2)へ
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