【インタビュー】見田村千晴「ラブソングであれ応援歌であれ、言葉と誠実に向き合って作っていきたい」

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9月25日にミニアルバム『ビギナーズ・ラック』でデビューする見田村千晴は岐阜出身の27歳。デビューの早い音楽シーンにあって遅咲きではあるが、ここまで蓄えた人生の経験値があるからこそ、軽く流れてしまわない説得力のある言葉で歌えるシンガーソングライターだ。彼女の音楽的ルーツを探るべく、幼い頃の音楽体験からデビューまでを振り返ってもらった。

■自分なんて逃げた人間なんだから
■だからこそ頑張らなきゃって思いました

――見田村さんは2歳からピアノ、3歳からヴァイオリンを習っていたそうですが、英才教育育ちなんですね。

見田村千晴(以下、見田村):実は、ピアノとヴァイオリン、どっちが先か定かではないんですよ(笑)。まだ小さくて覚えていないので。ピアノは小学校まで、ヴァイオリンは大学1年くらいまで続けました。

――小さい頃から当たり前のように音楽に接してたんですね。

見田村:そうですね。だから好きとか嫌いとかではなく。やっと歩くくらいの年頃から楽器を持ってましたからね。

――高校では楽器ではなく合唱をやられてますが、きっかけは?

見田村:小学校くらいから歌手になりたくて、歌の基礎が身に付くかと思って入ったらスパルタな部活だったという……。

――全国大会で一位を獲る合唱部ですものね。

見田村:精神的にもキツいので、病んじゃう人もいたくらいです。

――全国レベルのところはやはり凄いですね。でも、それでよく音楽が嫌いにならなかったね。

見田村:そうですね。部活の中でも私は結構歌えたので、先頭に立ってビシビシやってた方なんで。だから、大学に入ってから部活に顔を出すと「先輩、超丸くなりましたね!」って言われました(笑)。

――小学校のときに歌手を目指したきっかけは?

見田村:ただ歌が好きでした。誰かに影響を受けたとかじゃなく。ミュージックステーションに出演している人や、オリコンTOP10の人しか知らなかったですが、片っ端からCDを借りて来て。Dreams come true、SPEED、MISIAさん、宇多田ヒカルさん……。でも、音楽を聴くというのではなく、カラオケバージョンに合わせて歌うんです。TRACK1、TRACK2は覚えるためのガイドで、カラオケバージョンを流しながら、もう一個のラジカセで録音してっていう、宅録のハシリですね(笑)。録ったものに自分でコーラスを重ねたりして。カセットテープなのでちょっと音質は変わっていくんですけど。それを一人で聴いて、「原曲ではここはもうちょっと伸ばしてるな」とか「フェイクを入れてるな」とか研究して遊んでいました。今考えると暗い一人遊びですよね(笑)。

――いや、すごく楽しそう。

見田村:楽しかったです。あんまり楽しいから、みんなやってると思ってました。カラオケバージョンって、そのために入ってるんじゃないかと思ってたくらい。当時のMDを聴くと結構うまいんです。しかも声真似をしていて、それが結構似てるんです(笑)。私のストイックさ凄いなぁって。

――自分で曲作りを始めるようになったのは大学に入ってから?

見田村:はい。それまではとにかく東京に出たかったんですよ。東京に行けば歌手になれると思っていて。でも、東京の大学に入学しても授業とバイトばかりで歌手になれなかったんですよね。自分から何かしなきゃいけないんだなと思って、まずライヴハウスでライヴがやりたいと。そのためには演奏もできなければならない。それには曲がなければならない。それでギターを始めて、曲を書き始めたんです。

――ピアノも弾けたのに、なぜまた新たにギターを?

見田村:その事実にだいぶ後になってから気づきました。固定概念みたいなことなんですけどね。もともと矢井田瞳さんが好きだったというのもあるんですが、ピアノを弾きながら唄うイメージがなかったんですよね。当時はアンジェラ・アキさんもまだいないし。あとはクラシックが好きじゃなかったので、ピアノもクラシックとして習っていたので、そこに対する反発心もあったと思います。誰かにやらされたものじゃなく、自分で手にしたものでやりたいっていう思いもあったんじゃないですかね。

――ギターはすぐ弾けるようになったの?

見田村:ひどかったですね。ギターが弾けるようになりたかったわけじゃなく、私は歌いたい人だから。ライヴハウスを決めて、「ライヴをやらせてください」ってお願いして日程が決まったところから練習しはじめるみたいな。形から入ったというか(笑)。ヴァイオリンをやっていたから、同じ弦楽器だしなんとかなるんじゃないかと。しかもヴァイオリンをやってる人よりもギターをやっている人のほうが圧倒的に多いじゃないですか。だからすぐに弾けるだろうと思ってたんです。でも、弾いてみたらまったく違う楽器で。「あれ?難しいぞ!?」みたいな。対バンしてる人がギターを弾いてる手元を見たり、曲作りに関しても、他の人のライヴを見ながら「こういう風に出来てるのか!」とか、学ばせていただき。ON THE JOB TRANINGって感じで覚えました。

――いよいよメジャーデビューなわけですが、歌手になりたくて東京に出て来たのに、ここまで時間がかかって、その間、焦りもあったでしょう?

見田村:めちゃめちゃありましたね。一番辛かったのが、就活の時期。就活して、内定ももらってたんですが、面接のためにスーツを着るだけで気分が悪くなるってところまで追いつめられてました。自分自身、割と鈍感なので、体調が悪くなるまで追いつめられることって今までなかったんですよ。実際、就活なんて普通のことじゃないですか。そこまではそれなりに器用に生きて来たのに、できない自分に劣等感を感じて。それで辛すぎて就活をやめました。

――自分には音楽しかないって気づいたのかな。

見田村:うーん……就職をしても音楽は続けようと思ってたんですが、でも、そうじゃないなと。じゃあ、腹をくくるしかない!ってことで、大学を卒業してから本格的にライヴ活動を始めて。

――就職という逃げ場は作らずにあえて音楽一本にしたという感じ?

見田村:いや。就職という辛さから逃げたという方が正解ですね。

――就職と音楽とどっちが辛いのかわからないけど、音楽を選ぶほうが逃げなの?

見田村:どっちが辛いんでしょうね。でも、当時の私には就職は本当に辛いことだったんです。いつも楽観的で「人生辛い」なんて思ったこともなかったのに、その時だけは「おかしくなる」と思って。就職をやめたって思った瞬間に楽になって、キラキラしてきました。だから、自分の中では逃げた意識があります。就職に対するコンプレックスや敗北感も大きいですね。ただ、それが力になっているという部分もあるんですよ。今は好きな音楽だけやれているんだし、あんなに辛いことはもうないから。あとは私が辛すぎてできなかったことができている友達たちの凄さもわかって。自分なんて逃げた人間なんだから、だからこそ頑張らなきゃって思うところがありました。

――ただ、好きなことを仕事にするというのも凄く大変なことですよ。

見田村:そう感じているところもあります。好きというだけではやれないこともわかっています。でも、それこそ20年、歌手になりたいって思い続けてきましたし、小さい頃は、田舎だったというのもあるし、末っ子だったから子供扱いもされて育って、家族に歌手になりたいって言っても「何言ってんだよ」って鼻で笑われて誰も相手にされなかったという孤独感が大きいんです。そのうち、自分でも「歌手になりたい」っていうことが恥ずかしくて言えなくなったり。その当時の日記を見ていると今でも辛くなるんですよ。思いはあるのに何もできない……みたいな。その頃の自分が今の自分を見たら、「あんなに望んでたことが今はできてるじゃん?」って言うと思うんです。その夢の中に今、自分がいれることがいかに奇跡で、幸せかっていうことを感じられてる。今27歳で、ある程度年齢を重ねているからこそ、そう思えるところもあるのかな。

◆インタビュー続きへ
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