【インタビュー】長澤知之、2年振りのフルアルバム『黄金の在処』発表「ようやく自分を肯定できるようになった」

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長澤知之が11月6日、約2年半ぶりとなるフルアルバム『黄金の在処』をリリースした。このアルバムは、元Syrup16のキタダマキやLOSALIOS/unkieのTOKIE、TORICERATOPSの吉田佳史、ZAZEN BOYSの松下 敦など、計17組の豪華ミュージシャンのゲスト参加を得て、全13曲を収録したものだ。とりわけ、京都のインストゥルメンタルバンドNabowaとのコラボによる「誰より愛を込めて」「VACANCES」をはじめ、赤い公園の津野米咲がギター&コーラスで参加した「そのキスひとつで」、ボカロPれるりりとのコラボ「フラッシュバック瞬き」など、異色とも挑戦ともいえる試みが、アルバムに心地よい風を吹き込んでいる。その楽曲群の音抜けは素晴らしく、長澤知之の新たな季節の幕開けを感じさせる渾身作。明らかに耳触りが良いだけのロックとは一線を画す長澤作品のポップの秘密と、ミュージシャンとして鋭敏な感性を持ち続ける彼自身の変化と真実に迫りたい。

◆「GOODBYE,HELLO」ミュージックビデオ

■バンドを組んでなくて本当に良かったなと(笑)
■とても楽しく遊べたなぁという感じです

──今回のアルバム『黄金の在処』は、長澤くんにとっての第二期とでも言うべき、新しい時代の幕開けを告げるような素晴らしい作品だと思いました。

長澤:自分にとっては、これが自分のキャリアのターニングポイントになる作品かどうかっていうのは全然わからないんですけど、確かに周りの人でそういうことを言ってくれる人は多いですね。自分はただ淡々と作品を作り続けているだけだから、あまりそういう自覚がないんですよ。後から振り返ってそう思うことはあるかもしれないけれど。

──相変わらずどこを切っても長澤知之の個性のカタマリのような音楽であると同時に、他者の視点やサウンドと混じり合うことによって、そこに化学反応やマジックが起こっている作品で。こういう多くのミュージシャンとコラボレートした作品だと、自分で楽曲を100%コントロールできない局面も出てきたと思うんですが、そんな新しい環境で音楽を作る楽しみを改めて見つけた作品なのかなって。

長澤:確かに、面白いなと思ったところもたくさんありましたけど、人と交わって曲を作っていくというのはこうも大変なのかとも思いましたね(笑)。自分はバンドを組んでなくて、本当に良かったなぁと(笑)。でも、こうしてたくさんの人と交わることができるのも、ソロの強みですからね。この曲のドラムはこの人がいいとか、この曲のベースはあの人がいいとか、そういうことをいろいろ想像したり、それをセッションで実現できたりするというのは本当に贅沢な話で。だから今振り返っての気分としては、とても楽しく遊べたなぁという感じですね。

──他人と一緒にやることによって、そこに客観的な視点が入ってくるじゃないですか。それによって、自分の音楽に関して改めて気づかされたことはありますか?

長澤:自分はとてもエゴが強くて、それは曲にも現れてると思うんですね。だから、誰かと一緒にセッションすることになっても“あ、ここに俺いるわ”って、むしろこれまでよりもわかりやすく自分の居場所を曲の中で確認できたということはありますね。

──確かに、この作品の面白いところは、長澤くんが誰かと一緒にやることによって、その人の色に染まっているわけではなくて、むしろ長澤くんの音楽の色がコントラストとしてより鮮明に浮き上がってくるという点ですよね。そういう意味でも、こういう作品の作り方というのはすごく良かったと思うし、これは長澤くんのキャリア上におけるある種の発見だったんじゃないかとも思うんですが、そこには何かきっかけがあったんですか?

長澤:このアルバムの起点としてあったのは、「あんまり素敵じゃない世界」の中でCOILの佐藤洋介さんに“ちょっとギターソロ弾いてみてよ”って頼んだことですね。本人は“いや~、いいよいいよ”って最初は嫌がってたんですけど、“この曲は、誰かと一緒に虹を刻むということを歌った曲で、だからこそ信頼できる人に一緒にギターを弾いてほしいんだ”って口説いて。で、そのギターソロが本当にカッコよかったんですよ。これまでも他のミュージシャンと一緒にはやってきましたけど、それはドラマーだったり、ベーシストだったりで、彼らが演奏していたのは自分が触る楽器じゃなかったから。

──ギターは聖域だった?

長澤:そうですね。自分の曲で自分以外の人がギターソロを弾くというのは、それまで考えたことがなかったから。あのギターソロを聴いた時に、一つ大きな客観的視線を得た気がしますね。これから作っていくアルバムに対して、自分がフレキシブルに構えていこうと思ったきっかけになりました。

──あと、作品を聴いていて思うのは、さっき長澤くんは“贅沢な話”って言ってましたけど、参加ミュージシャンの長澤くんの音楽に対する愛情と理解がヒシヒシと伝わってくるんですよね。みんな、長澤くんとやるならこういうことをしたいというビジョンを明確に持っていて、長澤くんの方もこういうことをしてほしいというビジョンを持っていて、そういうクリエイティブな空気が本当に感じられる作品で。これはあまり面と向かって言う言葉じゃないかもしれないけど、長澤くんって本当にミュージシャンズ・ミュージシャンなんだなって。

長澤:そうだとしたら、率直に嬉しいですね。それは、音楽を好きな人たちが、自分の音楽を好きでいてくれるということですからね。それはとても光栄なことだし、参加してくれているミュージシャンの皆さん、たとえばNabowaにしても、赤い公園の津野さんにしても、その人にしかできない音楽をやってる人たちばかりだから。

──たとえば70年代のアメリカンロックとか、シンガーソングライターの作品って、ビジネスとか話題作りとかではなく、本当にミュージシャンシップの結びつきだけで、いろんなミュージシャン同士がお互いの作品に参加していたりするじゃないですか。そういう、ある種の芸術至上主義としてのポップミュージックというものが、今の日本の音楽シーンにもちゃんと息づいているんだということを証明している作品になってると思うんですよね。

長澤:そう言っていただけると何よりです。自分から“この作品はこういうものだ”って言うのはナンセンスな気がしてしまうけど、自分はただ音楽を作っていって、その中から生まれた出会いや繋がりが2013年の日本の音楽シーンの中で大切なものになってるとしたら、僕もすごく嬉しいなと思いますし。これからも、こういう新たなミラクルな出会いがあればいいなって期待してます。音楽シーンというものがあまり好きではない状況が続いてしまうと、自分自身も楽しくないので。そのためにも、いろんな人と出会っていきたいなって思いますね。

──僕ら音楽ジャーナリストは“音楽シーン”って言葉を簡単に使うけれど、そこにはいろんなタイプの人がいて。たとえば時代を読むのがすごく上手な人もいるし、ビジネスマンとしてすごく有能な方もいるし、芸能人として非常に優秀な方もいる。そんな中に、長澤くんのような本当の意味でアーティスト、芸術家っていうのもいるんだってことを、この作品は証明してくれたんじゃないかなって。

長澤:うん。それぞれに才能があって、それは需要があるからそこに存在しているんであって、自分は何も否定する権利も何もないんですけど。ただ、そこには音楽でいろんなことを想像する楽しさっていうのがあってしかるべきだと思うし、そういう音楽がなくなるのは怖いなってよく思いますね。ただ、送り手が発している情報がそこにあって、それをなんか楽しいなって思って聴くのも一つの音楽の楽しみだと思うんですけど、音楽を聴き続けて、そこからいろんなことを想像する楽しさっていうのが僕は好きだし。最近よくショパンとかモーツアルトを聴くんですけど、ショパンを聴いていると本当にそこに自分だけの映像が浮かぶんですよ。彼は自分で自分の音楽にタイトルをつけたことがなくて、抽象性をすごく大事にしていた人だけど、聴いているとこういうことを言いたいんだろうなってことをこちらは想像してしまう。その楽しさや喜びが音楽なんだなって自分は思うんです。別にそういうことを自分も受け手に押し付けたいわけじゃないけれど、そうであったらいいなあと思いますね。単に、エンターテインメントが音楽のすべてを占めてしまうんじゃなくて。

──一方で、現実としてエンターテインメントの世界で生きているわけですよね。その自覚もありますか?

長澤:もちろんあります。そこでいろいろ葛藤もしますし。難しい世界にいるなぁってことはすごく思います。でも、それも好きでやっていることなので。

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