【インタビュー】滴草由実、デビュー10周年に『A woman's heart』完成「アルバム1枚分を破棄して、“これだ!”というものに辿り着けた」

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10代でデビューした滴草由実が2013年、デビュー10周年を迎えた。10周年という節目にして、前作から約5年ぶりとなるオリジナル・フル・アルバムが12月18日にリリースされる。タイトルは『A woman's heart』だ。シンガーとしての現在進行形が注ぎ込まれたこのアルバムは、完成形に辿り着くまで幾多の困難に直面した。そして、それらを乗り越えた作品はボーカリストにして作詞作曲家、滴草由実の新生を意味するものとなり、1人の女性視点から描かれた歌詞が生々しいほどに突き刺さる。また、打ち込みを中心とした様々な“仕掛け”や尖ったデジタル・ビート、そして柔らかな生音が混在したサウンド・プロダクションが、聴けば聴くほど味わい深い仕上がりだ。BARKSインタビュー初登場となる彼女に『A woman's heart』完成までの道のりと、そこに封じ込めた想いを聞いた。

◆滴草由実 画像

■自分らしく歌えないことに凄くフラストレーションを感じて
■上手くなりたいとか伝えたいという想いが強すぎたのかもしれません

──滴草さんは2013年7月でデビュー10周年を迎えられたということですが、まずシンガーになったきっかけを教えていただけますか?

滴草:小さいころ、音楽番組とかで歌手に憧れていたこともあったし、中学の同級生で大親友が歌手を目指してて、私もオーディションについて行くようになったんです。あるとき、鹿児島の小さなカラオケボックスでオーディションが、そのときもついて行ったんですね。そこで練習していたときに「滴(しずく)も歌いなよ!」って親友に言われて歌ってたら、たまたま審査員の方がその部屋に来たんですよ。で、「君も出なさい」って強制的にそのまま会場に連れて行かれ、歌ったら受かってしまって(笑)。

──凄いですね(笑)。

滴草:その後、九州大会で準優勝して、東京のプロダクションの人にスカウトされたり。そのとき、“いけるとこまでいってみたい”とリアルに考えるようになって、作詞したりとか、歌手になることを考え出したんですね。ふとしたきっかけだったんですけど、元々歌が好きだし、自分の支えにもなっていたので、気持ちが少しずつ芽生えていきました。

──ちなみにその頃はどんなアーティストが好きだったんですか?

滴草:中学の頃に兄から、ローリン・ヒルのアルバム『The Miseducation of Lauryn Hill』をもらったんですよ。それに衝撃を受けて、音楽で生きていきたいと心から思いました。他にはマライヤ・キャリーとかホイットニー・ヒューストン、ディスティニーズ・チャイルドも聴いてました。強い女性というか、カッコいい女性に憧れてましたね。

──デビューしてからしばらくは大阪を拠点にしていたんですか?

滴草:そうですね。17歳の頃に鹿児島を出て、20歳くらいまで住んでました。そこで改めてギターとかピアノとか学びつつ、ボーカル・レッスンを受けたり。その後、デビューしてからは大阪でライヴ活動もしていました。

──東京へ移ったきっかけは?

滴草:ライヴでは東京に行ったりはしてたんですけど。もう一歩踏み出したいという気持ちが大きかったからですね。

──今回のアルバム『A woman's heart』はフル・アルバムとしては5年振りということで、かなりブランクがありますよね? その間のお話もうかがいたいですが。

滴草:そうですね。自分の中では早くみんなに聴かせたいという気持ちがあったんですけど、今思えばこのアルバムができるまでに必要な時間だったなって。ちょうど前回のミニ・アルバム『ENDLESS SUMMER』(2009年8月19日リリース)リリースから、もう一度自分のボーカル・スタイルとか、声とか、一回ゼロから見直してみたいというのがあって。でも、それまでの自分なりのやり方があったので、一回ぶち壊してスタートするというのが物凄く時間のかかることだったんですね。今の声とか歌い方になるまでに期間がかかったというのもあるし、新たな滴草由実の音楽性を見つめ直す時間も一緒にあって。ここに辿り着くまで、いろんな詞も書いたし、何十曲も作ったんです。今の世界観を見つけるまでに相当試行錯誤しました。

──どうしてボーカル・スタイルや音楽性を変えようと? 大きな転機となったと思うんですが?

滴草:そう、転機でしたね。きっかけは自分自身が違和感を感じ始めたところにあったんです。自分の歌いたいように表現できなくなってしまって。たぶんいろんなことにとらわれて、気持ち的な部分が“ギュッギュッ”って萎縮していたんだと思います。同時に喉の方も“ギュッ”って閉まっちゃって、うまく声が出なくなってしまったという。声が出ない時期は自分にとっては本当に辛くて。

──声が出なくなってしまったというのは、歌っているときに突然感じたものですか?

滴草:徐々にです。最初はあるライヴをやったときに、自分の中で“プロとしてこのままでは聴いてくれる方たちに申し訳ないし、自分も悔しい”と思うことがあったんです。ちゃんと表現したいように歌えないとか、自分らしく歌えないことに凄くフラストレーションを感じて。

──それまでの活動で喉が疲弊していたり、ご自分の中でプレッシャーを感じ始めて徐々に追いつめられてしまったような?

滴草:歌が上手くなりたいとか聴いてもらう人に伝えたいという想いが強すぎて。一曲に凄く入魂していて気持ちを込めていたというのもあるし、毎日凄く練習してたんです。「これは自分にとっての修行だ」って、ドレミファソラシドの練習からやり直しました。同時に、歌うときの気持ちの部分も見つめ直していかないとって。ただもしかしたら間違った方法で練習していたのかもしれない。結果、声が出なくなってしまって。歌い続けるためには、もう一度すべてを見直さなければいけないなと。

──どなたかに相談はしていたんでしょうか?

滴草:自分でいろいろ解決しようとしてしまうタイプなので、最初はもういっぱいいっぱいになっちゃっていましたね(笑)。その後、女性スタッフさんとかボイストレーナーの先生に相談したんですけど、その先生との出会いのおかげで復活できたというか。前よりもいろんな歌い方ができるようになったし、いろいろな質感も出せるようになったので、本当に感謝してます。──印象的だった先生の言葉はありますか?滴草:「大丈夫」とか「あなたはできるんだから」という言葉ですね。あとは迷いが出たりわからなくなったときは、「必ずときめくほうへ」というか、「心に導かれるほうを取るべき」ということとか。余計な雑念が入ると声に影響しちゃうから、ポイントポイントで試したりしてもいいけど、ライヴやレコーディングでは何も考えずに思うように歌いなさいって言われました。先生は技術的なことを教えるだけじゃなくて、精神的なこともケアしてくれて、カウンセリングをしながら状況に合わせて声を出していく感じだったので、絆も生まれましたね。

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