岩手県の名城、盛岡城である。東北地方には珍しい総石垣の城である(内丸には土塁があるが)。この城も石垣好きにはたまらないナイスプロポーションな石垣が、まさにナイスプロポーションな出で立ちで、ナイスプロポーションしてくれている。すべての曲輪が石垣で囲まれているのが特徴である。卓偉も詞が書け、曲も書け、パフォーマンスも出来る三拍子揃ったところが特徴である。

「自分でもの書いてねえ奴がアーティストって言えるわけねえだろ?ああ?」

というシャウトが収録されている「口パク禁止令」という曲が収録されているアルバムがこの『BEAT&LOOSE』に収録されている。

南部藩の居城である盛岡城。築城は1590年代後半とも1600年代初期とも言われているが、南部藩三代に渡って城を完成させており、約40年近くかかったとのこと。というのも、盛岡城は中津川と北上川を天然の堀とし、この二つの川が城の直下を流れており、両方の川が合流する三角形の丘に建てれている為、何度も川の洪水に見舞われ、時間がどんどんかかってしまったらしい。だが築城した場所は防御を考えたら完璧と言っていいくらいベストな地であり、二つの川と真ん中にそびえる丘、この3つのトライアングルが、いやこのトリオが、いやこのスリーピースが、いやこのTHE POLICEが、いや、THE STRAY CATSが、またはCREAMが、いやはやTRICERATOPSが、とにかく3つの集合体からして作り上げられているのである。

城の完成を機に、それまで不来方(こずかた)と呼ばれていた地を、「盛り上がり栄える岡」という願いを込めて盛岡と名付けられたそうな。不来方とはその字の通り、誰も来ない場所という意味があり、盛岡城になる前は不来方城と呼ばれていたらしく、それじゃさ、やっぱさ、人来ねえしさ、いくらなんでもさ、ということで盛岡に決定!ナイス命名!しかし不来方って自分達で言うてしまうのも…。これで明治を迎え現代になってたら誰も観光に訪れない街になってしまっていたかもしれないではないか!!!!ナイス南部藩、ナイス判断!

ちなみに我が出身地福岡県もその昔、治めていた黒田藩が「福が来る岡」という願いを込めて福岡と名付けたとのこと。もともと黒田藩は岡山の出身もあり、福が来て、出身の岡山の岡を取って「福岡」と名付けたという素敵なエピソードが残っている。盛岡と福岡と岡山、とても似ているではないか!!!!よっしゃ!冷麺店ととんこつラーメン店と岡山ラーメン店をお互いの街に増やそうじゃないか!!!!この3つの街でバンド組もっ!!!!トライセラのコピバンしよっ!!!!

本丸には当時三層の天守が建っており、城内にもたくさんの櫓と門が残っていたが明治維新が来てまもなく解体されてしまう。南部藩はこの天守を幕府に遠慮して御三階櫓と呼んでいたらしいがどう見ても天守レベルの大きさだったことが古写真を見てもわかる。この天守の全方向からの写真が出てくれば復元も可能なのだろうが、まだ詳しい情報や古写真は有名なショット以外まだ出てきてはいない。城マニアとして一言言わせてもらうが、「いいのよ、復元しなくても、目を閉じて想像してみるとさ、見えるじゃん?ね?見えるでしょ?それでいいのよ。それがロマンなわけよ。わかってくれてありがとね、この感じ、だよね。うんうん、これがたまんないよね」

うざ過ぎるわけである。

盛岡駅から城を目指すとちょうど城の脇腹に到着するのだが、顔はいいからボディーにしなと道路を作った人が言ったかは定かではないが、大手門の位置はそこから左へ曲がり、桜山神社から城に入場してもらうことをおすすめしたい。もしくは県庁をバックに内丸から入城すると完全な城マニア認定だ。

脇腹から攻めるとBメロから聴いた曲みたくなるのが嫌なわけだ。大手から進むと両サイドに降りれる道や門の跡がいくつもある。だが本丸を目指して真っ直ぐ歩いてほしい。途中で二の丸から本丸に渡る赤い橋がある。これは廊下橋と言って、当時は屋根付きの橋だったとのこと。橋を渡る時、下は空堀の役目を果たしているのがわかると思う。だがその空堀も城の敷地内として通行出来るようになっており、堀の中からも(橋の下からも)敵を攻撃出来る仕組みになっているわけである。

レコーディングでもライブでもドラムのスネアにマイキングするわけだが、表の皮は当然ながらスネアの裏にもマイキングを仕込む。この裏のマイクのボリュームを上げる感じに近い。下から攻撃が出来るなんてスネアの裏のマイクのボリュームをちょっと上げてもらえます?とエンジニアさんに言うのと同じくらいエロい。エンジニアさんは大抵、表8割、裏2割のボリュームだが、それを7対3に、もしくは6対4くらいにしちゃうくらいエロい。いや6.5の3.5につまむくらいエロい。つまむ?その表現がそもそもエロい。いつもこの橋を渡る度にこういうことを考えている自分のエロさに誇りを感じる。

最初にも書いた通り、盛岡城の魅力として石垣がある。どの角度からどの石垣を見ても実に美しい。今まで何度もキャンペーンで盛岡を訪れさせてもらったが、タウン誌の取材などは盛岡に来た事実を伝える為に、雑誌社側が「是非街でロケした写真を撮らせてほしいのですが」と言われるものであるが、私は必ず付け加える。

「もちろんです。盛岡城の石垣バックに撮ってもらってもいいですか?っていうか石垣バックじゃないと嫌なんですけど、っていうか盛岡城の敷地の中なら何処だって構いません、そうなんです、城マニアなんです」

うざ過ぎる。

で、大抵全国どの街でも返されてしまうコメントだが

「城って言っても何も建物が残ってないんですけどいいですか?石垣しかないもんで、ハハハ~」

と雑誌社側。ここから城マニアのナイスフォローが始まるのである。

「何言ってんすか?いいんです!建物なんて残ってなくたって。いいんです!石垣があるじゃないですか。石垣が残ってるじゃないですか。これが好きなんです。そうなんです、城マニアは石垣フェチがほとんどです。そうなんですか?いや知りません。とにかく城があるのは石垣があるおかげ、さあ!撮影しに行きましょうか!さあ!行きましょうか!かっこよく撮ってもらえますか!?石垣あっての中島卓偉ですからして!」

雑誌社側もカメラマンも苦笑いの連続である。

初めて盛岡でライブした10年程前、盛岡CLUB CHANGEのステージは低く、お客さんとの距離も半端なく近く、1曲目のサビでおもくそ「カモ~ン!」とマイクをフロアに向けた瞬間、胸元に付けていた10個近くあったバッジが全部ぶちぶちとお客さんに引きちぎられてしまった。中にはロンドンで買ってきたデッドストックのTHE CLASHとTHE WHOのバッジもあったにもかかわらずだ。あまりにも哀しく、最初のMCの前にステージ袖にいた当時のマネージャーの松尾氏に事を説明すると、宮崎弁で、

「マジで?でもいいじゃん、今日昼に食った椀子蕎麦美味かったし、この後は冷麺食えばいいじゃん」

と、まったく意味のわからない返答をされたことを何故か鮮明に覚えている。

盛岡を訪れる際は是非冷麺と椀子蕎麦はマストで。もちろん盛岡城も、である。聞くところによると盛岡では毎年「石垣ミュージックフェスティバル」という何それ?中島卓偉の為にあるんじゃくて?という音楽イベントが開催されているそうな。どんなイベントなんだ?歌わず石垣について3時間語ればギャラもらえる系か?う~~ん眠れないぜ。

盛岡城、また訪れたい…。石垣ミュージックフェスティバルに呼ばれたい…。



◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル