【月刊BARKS 藤井丈司連載対談『「これからの音楽」の「中の人」たち』】第2回 ばるぼら編Vol.1「1998年から1885年へ」

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連載第2回は、前回に続いて「ボカロ」についての対談です。

10代や20代前半には、爆発的に人気のあるボカロですが、
四十代以上には、ほとんど音楽として認知されていないという、
情報速度の速いこの国にしては、ちょっとめずらしい状況が起きています。

初音ミクが出てきてたった6年で、こんなに大きな音楽シーンが生まれたのはなぜなのか、
そしてそれが、なぜフツーのオトーサンたちには、
「あぁボカロね...」ぐらいにしか認識されていないのか。

今回は、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』や『消されたマンガ』(共著)などの作者である、ばるぼらさんに登場してもらい、ボカロを生み出すに至った、主に90年代からゼロ年代前半までの、ネットの中のさまざまなサブカルチャーについて、幅広い見識に裏打ちされた「ボカロ前史」を披露してもらいました。

Vol.1「1998年から1885年へ」
(対談収録日:2013年11月16日)

  ◆  ◆  ◆

当時はまだ回線が細かったから、どういう風にしたら
ネットで音楽が聴けるかという事が問題だったわけです


藤井:今日は第2回『「これからの音楽」の「中の人」たち。』ということで、ばるぼらさんに来てもらいました。えー、「ばるぼらって誰?って人が多いと思うので、こういう紹介の仕方でいいかどうかわからないんですけど、インターネットの中の、いわゆるサブカルチャーなどを中心に……作家って紹介していいのかな?

ばるぼら:いや、ネットワーカーです。

藤井:はい。ネットワーカーのばるぼらさんに来ていただきました(笑)。

ばるぼら:よろしくお願いします。

藤井:ばるぼらさんは顔出しNGなんで、変なのをかぶって写真を撮るっていう(笑)。

ばるぼら:そうですね。

藤井:顔出しNGっていうのはどういう理由からですか。

ばるぼら:いや、別に90年代ぐらいからインターネットをやってる人は、だいたい出してなかったので。その頃のネットマナーです。

藤井:ネットマナー。出さないってことが?

ばるぼら:そうです。出してる人のほうがアブナイ人が多かった。

藤井:いつ頃からインターネットやってるんですか。

ばるぼら:96年の春ぐらいかな。

藤井:その頃いくつ?

ばるぼら:忘れました。

藤井:なんだそれ(笑)。

ばるぼら:まあいいじゃないですか、はやくネットと音楽の話に移りましょうよ(笑)。96年頃の自分が見てた音楽サイトのことを思い出すと、ソニーと小山田圭吾さん(コーネリアス)がやってたトラットリアってレーベルのふたつがわりとウェブサイトで頑張っていて。ソニーの公式サイトは確か、ちゃんとウェブ上に視聴ファイルと、あとミュージシャンのインタビュー動画みたいなのがちっちゃくあったりしたんですよ。

藤井:そこから始まったんだ。

ばるぼら:でも後から調べてわかったのは、すでにインターネットで音楽を発表してる人たちがいて。その人たちは何をやっていたかというと、MIDIじゃない別のフォーマットで音楽ファイルを公開してて、見てる人側が再生ソフトを自分で持って、その音楽ファイルを再生してくださいっていうことをやってる人たちがもういたんですよ。

藤井:まだ、要するにMP3とかが、出てくる前に。

ばるぼら:出てくる前に。当時はまだ回線が細かったから、どういう風にしたらネットで音楽が聴けるかという事が問題だったわけです。だから圧縮しまくってボロボロになった音声でストリーミングやってる人もいたけど、そうやってソフトの元ファイルみたいなものを配布して、自分たちで再生してね、みたいなことをやってる人たちもいて。それは面白いなと思いましたね。ネットっぽいって(笑)。

藤井:で、そっちにハマってった?

ばるぼら:そっちにハマっていくのはもうちょっと後で、90年代後半ですけどね。2ちゃんねるが出てくる前に、いろいろあった掲示板サイトとかを見ながら回ってて。音楽の話でいうとなんだろうな。特徴的だったのは……まぁMP3を違法で配布するサイトがいっぱいあって。

藤井:それは90年代の……

ばるぼら:97~99年ぐらいですかね。

藤井:もうそんなになってるんだ。MP3で撒くっていう。

ばるぼら:MP3のフォーマットっていうか、Winampっていう再生ソフトとか、97、8年に流行り始める感じなんです。

藤井:あー、そうか。MP3って、iTunesが始まる前は、普通には鳴らせないのか、まだ。

ばるぼら:まだ当時はRealPlayerかQuickTimeか、みたいな感じですよね。だからMP3が再生できる環境ができて、そこそこいい音質で、ファイルのサイズがすごいちっちゃいみたいな感じで、海外のサイトとかにばんばん上がりまくっていくんです。

藤井:いろんなメジャーアーティストの楽曲が。

ばるぼら:そうそう。それで、それを片っ端からダウンロードしていくみたいな(笑)。

藤井:なるほど(笑)。

ばるぼら:今思うと通信費よりCDレンタルしてリッピングしたほうが安かったかもしれない(笑)。そういう風に違法な感じで配布してる人たちがいた後に、ナップスターが出てきた印象ですね。で、ちょうど、レディオヘッドの……。

藤井:『キッドA』かな。

ばるぼら:あ、そうかも。まだ発売される前に、もうナップスターにファイルが上がってるとかそういう事件があって。すごいナップスターはヤバい!みたいなムードがちょっとありましたね。で、97、8、9、どこだろうな……ぐらいにMIDIファイルがすごく流行って。

藤井:あ、そうか。MIDIファイルがやっと出てくるんだ。

ばるぼら:パソコン通信では昔から流行ってたみたいなんですけど、ネットで目にするようになったのはそれくらい。自分の曲をMIDIで打ち込む人もいるけど、アレンジ文化っていうかな、既成曲を自分流にアレンジしてみましたみたいなのが流行ってて。で、その中で目立っていた感じがするのは、ゲーム音楽のアレンジ。それはたぶん、その後にいろいろ繋がっていくんだと思うんですけど。

BM98でゲームで音楽を遊ぶっていうのが始まって、ボカロに繋がって
っていうところもある。ゲーム性があるじゃないですか、ボカロって


藤井:なるほど。そこらへんがけっこうボカロの源流みたいな。

ばるぼら:源流の源流みたいな(笑)。

藤井:つまりゲーム音楽のアレンジバージョンを、MIDIで発表していくっていうのがいちばん最初のところなわけだ。

ばるぼら:で、文化的にはちょうどビートマニアとか、ああいう音楽ゲームが流行り始めるんですね。たぶん97年だと思うんですけど。で、そのすぐ後にBM98っていう、ビートマニアをそっくり真似したフリーゲームみたいなのが出るんです。

藤井:それは同人ソフトっていうことですか。

ばるぼら:同人というかフリーソフト、普通にウェブで公開してたんです。同じようにリズムを曲に合わせて叩くんですけど、BM98が画期的だったのは、音楽ファイルが自由に入れ替えられたんですね。

藤井:そうか、ビートマニアは、音楽が中に入ってるけど、BM98は自分の好きな曲を入れていいっていう。

ばるぼら:そう。専用ファイルをBMSっていうんですが、ゲーム用の音楽と画像ファイルをアップする人が出てきた。だからBM98はただのゲームじゃなくて、音楽コミュニティ的な存在でもあったんです。

藤井:わりと今、すでに核心に近づいてきてますか(笑)。

ばるぼら:いや、どうかな(笑)。

藤井:さっき言ってた、ゲーム音楽のアレンジ版っていうことで「同人音楽」みたいなのが出てきたのと、ゲームで「同人ソフト」っていうか、BM98で、ゲームで音楽を遊ぶっていうのが始まって、それがだんだんボカロに繋がってっていうところもあるんですよね。ゲーム性があるじゃないですか、ボカロって。

ばるぼら:そうですね。あと、やっぱりそこでビートマニアとか使う人は打ち込みの曲、トランスやハウスのちょっと派手目の曲に影響を受けてるんです。ゲームには展開が必要だからミニマルテクノにはならない。小学生の頃からビートマニアで遊んできた人たちは、そういうダンスミュージックが当たり前になってる。

藤井:刷り込まれて。

ばるぼら:そうそう。だからビートマニアで鳴ってた曲が、自分の音楽のルーツになってる人たちがいるんですよね。J-POPじゃなくて、ゲームミュージックとして。

藤井:俺で言えば「手のひらに太陽を」みたいなものが(笑)、ゲーム音楽なわけだ。そこから育ちましたっていう。

ばるぼら:(笑)。たぶん今までの、J-POPの流れでずっと音楽を聴いてきた人たちとは、全然違う流れがそのへんから始まってる感じがあって。だから全然、たぶん理解し合えないと思うんですけど(笑)。

藤井:(笑)。だんだんインターネットと音楽っていう話になってるな。

地下でも地上でも、何かものすごいことが
起きたのが98年ぐらいっていう


ばるぼら:で、99年ぐらいにナップスターがあって、そういうBM98、フリーソフトとかゲーム音楽や、そういう音ゲーが流行り始めてて。お金がかからないっていうのがいちばんいい。それで99年にはもう、「muzie」ってインディーズの音楽配信サイトの前身、「My-Melody」が始まってる。「muzie」はインディーズの人たちがMP3をアップするサイトで、そういうサイトでは日本でいちばん大きいところですけど。そこに90年代末ぐらいにようやくISDNが通ってきた。

藤井:あぁ、ネット回線が速くなってきたのか。

ばるぼら:そうそう。で、常時接続ができて、ダウンロードのことを気にしなくていいっていうことがやっと(笑)。でもウェブで音楽を発表する人たちっていうのは、まだあんまりネットではメジャーじゃなかった気がする。実験的な感じが強かった気がしますね。

藤井:その頃も同人音楽っていうものはあるの?

ばるぼら:一応コミックマーケットで音楽モノが集まってるブロックはありました。あと「M3」の最初がそのぐらいじゃないですかね。

藤井:「M3」は同人音楽を発表する即売会的なイベントですよね。

ばるぼら:はい。たしか、98年に始まってますね。

藤井:へぇ~。90年代末っていうのはいろんなことが始まってるんだね。

ばるぼら:ヒットチャート的に言うと98年がピークと言われますよね、CDの売り上げは。

藤井:そうなんだよ。で、音楽的にも、98年前後に新しくてすごい人が出てくるんだよね。宇多田ヒカルさんとか椎名林檎さんとか、aikoさんとかCoccoとか。みんな98年前後にどどって出てくる。で、同時に新しい音楽プロデューサーの人たちもいっぱい出てくる。亀田誠治さん、島田昌典さん、本間昭光さん、根岸孝旨さんとかね。だから日本のポップスって、ピークが落ちる直前に(笑)、ババーンっていっぱい出てきて火山爆発みたいなことがあって、同時にインターネットの中ではそういうM3とか同人音楽もあり、MP3をアップするサイトも出てくるしっていうようなことが、地下ではうごめいていたんですよね。地下でも地上でも、何かものすごいことが起きたのが98年ぐらいっていう。

ばるぼら:そうですね。だから、90年代頭ぐらいから活躍してた人たちが、97、8年で一段落してる感じがするんですよね。自分の中では(笑)。

藤井:ほんとだね。

ばるぼら:だからそのへん、98、9年ぐらいから2000年代が始まってる印象。

藤井:わかるわかる。

ばるぼら:で、その後に何があったかな。MP3の違法ダウンロードは相変わらず流行してるんですけど、それは置いといて(笑)。ゲーム音楽の流れで言うと、90年代末から美少女ゲームというものがけっこう人気になってて。その中で使われている音楽、たとえば有名なI'veに影響受ける人が出てくる。I'veアレンジっていうのも定番でした。

藤井:あれ? M3が始まったってことは、もうCD-Rに焼いてぽんぽん出せるっていうことが普通になってるわけ?

ばるぼら:ギリギリじゃないですかね。最初はフロッピーディスクの人もいたんじゃなかったかな。

藤井:あぁ、そうなんだ。フロッピーっていうことはデータで売るわけだ。

ばるぼら:データだったと思いますね。

藤井: MIDIのGM音源で再生してくださいっていう?

ばるぼら:だったと思いますよ。レコンポーザのRCPファイルとか。

藤井:だから歌は入ってないわけだよね。インストだ。

ばるぼら:そうです。

打ち込みの人たちはヴォーカルだけどうしても
浮いてしまうっていう問題があって、とくにアマチュアは


藤井:っていうことはテクノが流行るよね。エレクトロっていうか。

ばるぼら:そうそう、だからこれは本当に……いきなりボカロの話になっちゃいますけど、みんな歌い手がいなかった。歌い手の知り合いがいないし、歌の録音の仕方もよくわからなかったっていうのがあると思うんですよね。DTM環境だと。

藤井:なるほど。そういうシステムになってなかったしね。

ばるぼら:とりあえず録ってみても歌声がこもるとか(笑)。だから録音、どうすればいいんだろうっていう。バンドの人たちなら、スタジオ練習の流れで録れちゃうのかもしれないけど、打ち込みの人たちはヴォーカルだけどうしても浮いてしまうっていう問題があって、とくにアマチュアは。

藤井:じゃあ待望のソフトだったんですね。初音ミクの前の、ボーカロイドからして、もう待望の!みたいな。

ばるぼら:でも最初の「MEIKO」と「KAITO」はそれほど売れてないんですよね。

藤井:やっぱりミクから。

ばるぼら:ええ。まあDTMソフトとしては、MEIKOは3000本でそこそこ売れてるんですけど。

藤井:ああ、そうか。

ばるぼら:でもKAITOは最初500本しか売れずに惨敗。あとDTMの流行りで言うと、ちょうど98、9年だから、やっぱりこれもその頃なんですけど、iBook。Macのノートが出てきて、iBookとMax/MSPでライブをやるっていうのがエレクトロニカ方面では流行った。

藤井:あのシェル型のやつ?

ばるぼら:そうそう。あと、ソフトウェアもどんどん進化してる感じがあって、今までの外部音源使ってMIDI打ち込みみたいな感じじゃなくて、サンプルを使うようになってきたり。

藤井:あぁ、そうだね。サンプラーで編集して。

ばるぼら:うんうん。

藤井:だからDTMで音楽を作れるようになってきたことと、音楽ゲームが出てきたことと、みたいなことが、ボカロ前史での重要な事なのかな?

ばるぼら:そうですね。だからいろんなものが、この時期に用意されてるということが重要ですね。だんだんハードウェアのほうのシンセじゃなくて、ソフトウェアの中で完結させるようになって。

え? そんな歴史とかいったら、1885年の
『我楽多文庫』とかじゃないですか?


藤井:1台のコンピューターの中で全部できる、外に機材がなくてもいいっていうことは安いから、いわゆるアマチュアの人でもそこに入っていけるっていうことですよね。でもさ、これは俺の独自の意見なんだけど、同人音楽っていうじゃない? 同人ソフトとか、同人ゲームとか。まぁコミケも同人漫画じゃないですか。その「同人」っていう歴史っていうのはどこからくるんですか?

ばるぼら:え? そんな歴史とかいったら、1885年の『我楽多文庫』とかじゃないですか?

藤井:え、何だって?

ばるぼら:(笑)19世紀末にあった、尾崎紅葉だったかな? そこらへんの。

藤井:あぁ、硯友社?

ばるぼら:そうそう、そうです。よくそんな名前パッと出てきますね(笑)。その硯友社がやってた……。

藤井:同人誌?

ばるぼら:当時は同人雑誌と云ってたのかな。だから「同好の人たち」が集まるという意味での「同人」雑誌というものがまずあって、そこから文学の世界で同人誌がけっこう流行るんですよね。同人雑誌がアマチュアの登竜門というか、まず自分がそこで発表して名を知られるようになるっていう舞台として。

藤井:1885年って、明治18年ぐらいか。

ばるぼら:かな。戦前はそういう状況がちょっと続くんですよね。

藤井:戦前、ですか(笑)。

ばるぼら:ポスト黒船カルチャー(笑)。それで、同人誌がアマチュアの発表の舞台として名を知られるようになるんだけど、だんだん大手の文学雑誌がナントカ賞を始めて募集するようになり、最初から文学雑誌に載るようになる人たちが増え始めて、アマチュアを同人誌から拾って自分の雑誌に載せるみたいなことがだんだんなくなり、同人は同人だけで固まるようになるんですね。文学では。

藤井:へぇ~。

ばるぼら:だからプロの登竜門として同人誌は始まっていたんだけど、だんだん同人というそこで完結する世界ができてくるんです。

藤井:なるほど。それはいつ頃そうなるの? 同人とプロが分かれるのは。

ばるぼら:大正時代かな。

藤井:戦前なんだ。

ばるぼら:大正11年に『週刊朝日』と『サンデー毎日』が創刊して、みんなが読みたい大衆小説と同人作家が追いたい純文学がちょっと分かれていくというか……。で、『三田文学』とか『文学界』っていう雑誌があるんですけど、そこに戦前から同人誌の月評コーナーがあるんです。同人誌を送ってくれたら紹介しますよ、レビューしますよみたいな。で、今度はこういうコーナーに載ることが一種のステータスというか、ここに載ることで、北海道の同人誌に福岡のほうから連絡がくるみたいな、全国的な感じに広まっていく。で、同人雑誌が作品発表の場でありつつ交流の場として戦後も続くんですね。

藤井:ふーん。

ばるぼら:なんでこんな話を(笑)。

藤井:いや、そこが知りたくてさ。ボカロの源流は「同人音楽」だと思ったんだよね。でも、なぜ音楽もゲームもソフトも、同人から始まるんだろうと思っててさ。疑問だったんですよ。それで、「同人文学」っていうものが、その「同人」というムーブメントの源流なんじゃないかと、ふと考えたわけなんですよ。

文◎藤井丈司

次回。連載対談、ばるぼら編Vol.2「同人とサブカルチャー」をお届けいたします。

■ばるぼら(barbora)
ネットワーカー。
「ばるぼらアンテナ」等、多数のサイトを主催し、インターネットについての情報等を収集・分析する。
インターネット及び1980年代以来の日本のサブカルチャーに詳しく、その後も、情報量の高い著書を続けて刊行。
2014年4月21日には『Quick Japan』立ち上げ人として知られる赤田祐一氏との共著第2弾『20世紀エディトリアル・オデッセイ』を発売する。


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