【倉木麻衣×BARKS連載対談】第二回(2000年~2001年)「R&Bテイストからロック系に変えた時に不安も。ナーバスになっていた時期もありました」

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倉木麻衣が2014年12月、デビュー15周年を迎える。BARKSでは15年の歴史を振り返るべく、倉木麻衣、BARKS編集長の烏丸哲也、デビュー当時からのディレクター西室斗紀子を迎え、約1年間にわたって大型連載企画を展開中だ。その第一回目では、虫取りが好きだった少女・倉木麻衣が音楽に目覚め、ボストンでの初レコーディングを経験するまで、その幼少期からデビューに至るまでの足跡を辿った。そして第二回目となる今回は、当時ノンタイアップとしては異例のミリオンヒットを達成したデビューシングル「Love, Day After Tomorrow」リリース直後の激動の時代を赤裸々に語る。

◆倉木麻衣 画像

【連載対談第二回:2000年~2001年 <デビューから怒涛のリリース、激動の時代>】

■自分の歌が形になるという、そこだけで考えていたので
■まさかそんなにたくさんの人に聴いてもらえるなんて想像もしていなくて

▲1stシングル「Love, Day After Tomorrow」(1999.12.08発表)
▲2ndシングル「Stay by my side」(2000.03.15発表)
西室:当時は、学校には言わずに活動していたので。デビューしてからも、内緒でやってたんですよ。

烏丸:デビューしてからも内緒で!?

倉木:そうなんです。

西室:言ってなかったんです。そしたらある日、友達が雑誌を持って来て、「これ、麻衣ちゃんじゃないの?」って(笑)。

倉木:誕生日も一緒だし、名前も似てるし、あやしいねって(笑)。

西室:それが2ndシングル(「Stay by my side」2000.03.15発表)の頃ですね。

烏丸:それは、聞くほうがトボけてません?(笑)。だって2ndということは、もうブレイクしてるわけですよね。あ、でもそうか、あまりに身近だと逆にわからないものかも。

倉木:当時は、周りの友達に言うのも照れくさい気持ちがあったりして……。

西室:「どうしよう、バレちゃったかも…」って言うから、「なんて答えたの?」って聞いたら……。

倉木:「あ、似てるね」って答えたんですけど(笑)。やっぱり学校として、そういう活動をすることが禁止されていたので。それで、京都の学校に編入することになったんです。

烏丸:そもそも、隠し通せると思っていたんですか。

倉木:デビューする前にちゃんとお話をしようとは思っていたんですけど……。

烏丸:今ちょっと、言い訳の顔になってますけど(笑)。

倉木:ふふ(笑)。しようとは思っていたんですけど、当時は本当にそんな余裕もなかったんです。それに、そこまで話が大きくなるとは思っていなかったんですよ。

烏丸:ああ、なるほど。

倉木:今振り返ると本当に申し訳ない、大変失礼なことをしてしまったなという反省はあるんですけど。本当に当時は、まさかそんなにたくさんの人に聴いてもらえるなんて想像もしていなくて、自分の歌が形になるという、そこだけで考えていたので。

烏丸:デビューは、高校2年の10月ですか。

西室:アメリカ・デビュー("Mai-K"名義による「Baby I Like」)は、そうですね。

倉木:日本デビューは12月8日(「Love, Day After Tomorrow」)です。

烏丸:ということは、年が明ける頃にはもう、倉木麻衣という名前はいろんなところに出ているわけですよね。

西室:次第にバレますよね(笑)。

倉木:それで、親と一緒に学校の先生に話に行きまして。その学校は芸能活動を行ってはいけないということだったので、京都の高校に編入しました。

西室:当時のレーベルだったGIZA studioが、大阪にスタジオがあったので。そこに近いという環境もありましたし、あとは東京よりもマスコミに注目されることが少ないので、音楽に専念できるだろうという理由もありました。

▲レコーディング中のカット(高校2年生)
▲1stアルバム『delicious way』(2000.06.28発表)
倉木:そこで高校に行きながら、スタジオに行ってという生活をずっと続けて。

烏丸:そこは変わらないんだ。

倉木:そうですね(笑)。1stアルバムの『delicious way』(2000.06.28発表)も学校のお休みを利用して、ゴールデンウィークの間に歌詞を書いて、一気に仕上げました。

烏丸:京都の高校に編入した時には、「倉木麻衣が来た!」ということになりますよね。ざわざわ感はハンパないと思いますけど、ご自身ではあんまりわからないのかな。

倉木:まず、環境が変わるという不安はありました。ただ学校自体が、野球で活躍している方がいたり、芸能活動も受け入れてくれる学校だったので。先生方にも協力していただきましたし、みんなも、一学生として見てくれていて。

烏丸:慣れてたんですね。

倉木:いいクラスメイトに恵まれたということもあると思います。そのあと、立命館大学に進学した時には、「倉木麻衣がいるんだ」ということで、見に来たり、写真を撮ったり、そういうことはありましたけど。編入した時、最初は戸惑いましたけど、だんだんと学校に馴染んで、みんなも慣れてくれて。そこはすごく良かったと思います。

烏丸:話が少し先へ飛びますけど、なんで大学に行ったんですか? もうプロとしてスタートを切っていて、やりたいことも決まっていて、大学に行く必要はないという考え方もあるじゃないですか。

倉木:そうですよね。でも大学だけはちゃんと出ておきたいという気持ちがあったんですよ。大学に行くことによって、自分の歌の中でもっと違った表現だったり、自分のフィルターを通して歌詞を書くので、新たな刺激を体感できて、糧になっていくという思いがあったので。大学では産業社会学部というところに行って、名前だけ聞くと難しく聞こえますけど、そこは自分の好きなテーマを追求できる学部なんですね。予科の授業で「ライブ空間の考察」をやらせてもらったり、一個人の才能をバックアップしてくれるような大学で、それがすごくいいなと思ったので。

烏丸:真面目ですね。いろんな方がいると思うんですけど、ちゃんとした志を持って大学に行くのは、みんながみんなそうじゃないと思うんですよ。ましてや自分の生きる道が見つかっている人ならば、めんどくさいよねと思っちゃうんじゃないかな。それはきっと倉木さんが、子供の頃に虫捕りをしたり、高校時代に部活をいくつも掛け持ちしたり、そういうバイタリティがあるということが、背景としてあるんじゃないですか。

倉木:そうですね……。

烏丸:だって、相当忙しいわけでしょう。アーティスト活動が。

倉木:二足のわらじでしたね(笑)。でも大学だけは出たかったのと、歌手というのはいつどこでどうなるか、わからない職業でもありますよね。大学を出ていることは一人間としてのあり方として大事じゃないかということを、母親とも相談して、じゃあ大学に行きましょうと決めたんです。

烏丸:倉木さんに限らず、歌手に憧れて、私もなりたいという女子が今でもいっぱいいるし、これからの小学生や中学生にもたくさん生まれてくると思うんだけど。倉木さんからのアドバイスは「大学は行ったほうがいい」ということになりますか。

倉木:今振り返ると、サークルとか、合コンとか、いろんな大学の人と友達になって、ネットワークを広げることもできたと思うんですけど、当時はいっぱいいっぱいだったので。もっと友達とコミュニケーションをたくさんとって、もっといろいろできたんじゃないかな?という思いはあります。ただ、歌手であっても、大学に通うことで新しいきっかけを見出せることはたくさんあると思うんですよ。大学にはいろんな人が来ているので、いろんな話を聞けるじゃないですか。私にとっては、大学は「行って良かったな」と思うので、大変ですけど、絶対に損はないと思います。時間の配分も含めて、壁みたいなものを乗り越えることができるので。行って良かったなと思いますし、後悔はないですね。

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