ビリー・ジョエル、1987年にソビエト連邦で開催したライブ&ドキュメンタリー全3作品を放送

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冷戦時代、ロック界のカリスマ、ビリー・ジョエルがソ連のオーディエンスを熱狂させたライブの模様が、舞台裏を追ったドキュメンタリーとともに放送される。

ビリーは、1968年にレコーディング・アーティストとしてミュージシャンのキャリアをスタート。その後、ロックスターへの夢を抱き続ける彼は、1973年に発表したアルバム『ピアノ・マン』で一躍スターダムにのし上がる。

そんなビリーの歌声が“鉄のカーテン”を越えたのは1987年のことだ。冷戦下の東側諸国では、ロックは西側の退廃的な音楽とされていたが、ビリーはソ連のモスクワとレニングラード(現サンクトペテルブルク)でライブを敢行。アメリカ人のアーティストがライブを行なうのは、ベルリンの壁ができて以来初のことだったという。初めてのロックコンサートに最初はとまどうオーディエンスだったが、やがてさく裂するビリーのロックに熱狂していく。

<ラインナップ>
・洋楽主義 ビリー・ジョエル 9月15日(月・祝)午後2:00
・ビリー・ジョエル ドキュメンタリー ロシアに架ける橋 9月15日(月・祝)午後3:00
ワールドツアーでソビエト連邦にアメリカ人ロックミュージシャンとして初めて乗り込んだビリー・ジョエル。ロックの扉を開いた彼の偉業の全貌を追ったドキュメンタリー。1991年まで存在したソビエト連邦は社会主義国ゆえに、英米の文化に触れることを厳しく制限していた。そんな状況にあったソ連で、ビリー・ジョエルがアメリカのロックアーティストとして初めて単独公演を行なったのは1987年。モスクワとレニングラードで3公演ずつ計6公演に及んだツアーは「音楽を通じて西側と東側を結ぶ大きな架け橋」と話題になったが、その舞台裏を追ったのが、このドキュメンタリーだ。

ビリー本人と両国の関係者たちによる新たな証言や、最初は慣れない西側のロックンロールショーに戸惑っていた観客が徐々に熱狂していくモスクワ公演の様子は実に興味深い。また、家族とともにソ連の人々と触れ合うビリーの姿や友情を結んだ青年と心を通わせる様子などからはビリーの誠実な人間性も伝わってくる。歴史的なソ連ツアーの意味を知るうえで欠かせないドキュメンタリーである。

・ビリー・ジョエル ライブ・フロム・レニングラード 1987 9月15日(月・祝)午後4:30
冷戦時代“堕落した西洋の音楽”として、ロックが禁止されていたソ連で初のロック・コンサートを行なったビリー・ジョエル。歴史的にも重要な役割を果たした伝説のライブ。

1986年発表の10thアルバム『ザ・ブリッジ』発表後に行なった全100公演に及ぶワールドツアーのハイライトは、1987年の7月から8月にかけてモスクワとレニングラード(現サンクトペテルブルク)で開催された初のソ連ツアーだった。中でもレニングラード公演はビリー自身が「パフォーマーとしてのハイライトだった」と語るほど素晴らしいパフォーマンスで、映像にも記録された。最新のリマスターで鮮明になったこの公演の模様をお届けする。

ピアノの連打で始まる「プレリュード/怒れる若者」から全力投球するビリーの熱演は圧巻の一言。それに応える観客もモスクワ公演の序盤とは打って変わって熱狂的。それに呼応してビリーのテンションが最高潮に達していることは、仰向けに客席に倒れ込みクラウドサーフィンをする姿からも明らかだ。「ロシアでやって以降、何をやるにしても少し拍子抜けした感があるんだ」と語ったという、最高のライブを堪能したい。
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