【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第27回「鉢形城(埼玉県) 卓偉が行ったことある回数 2回」

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主に名城は日本の西と南に多く存在する、北と東は石垣の城も少ないし大きな天守も建てられなかった。だがあるんです。関東の埼玉県にもあるんです。かなりレベルの高い城があるんです。(どの城紹介してもこう言うわけだが)

これはもう城マニアからしたら絶対に行っとかなきゃいかん城ですし、勝手に城マニア協会からしても(その協会は私一人で運営中)相当評価の高い城、それは!!!!!

鉢形城だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

この城は凄いんです。埼玉県も誇るべきなんです。埼玉県民ほどこの城の凄さを知らないんです、知らなさ過ぎるんです。それはもう中島卓偉の凄さを知らないのと同じくらいに!!!!!!!卓偉のファンも誇るべきなんです。卓偉のファンだということを。みんな隠れ卓偉ファンなんです。そうなの!言わないんです、卓偉ファンだってことを友達に、職場に、世間に、世界に、不倫相手に!!!!!!!!

もうね、一度行くとこの城のファンになること間違いなし。ですが絶対に城の地形に詳しい人と行きましょう、知識がない人達からしたら、

え?土見て何言ってんの? え?川見て何言ってんの? あ?芝生見て何言ってやがんの?

と思うかもしれません。なので、まずは城のど真ん中にある鉢形城歴史館を先に見学することをおすすめします。

ここに当時の鉢形城の全貌を垣間みれる模型が展示されています。これ見てから城を攻めたほうがわかりやすいと思うんだよね。っていうか、日本全国どこの城を見学するにも、まずは近くにある資料館、博物館などに先に立ち寄るといろんな情報を見て聞くことが出来る、これでいざ城を見学するとイマジンに役立つわけね。

やっぱり想像に乏しいときついわけね。考える前に感じたいわけね。卓偉のライブに来てほしいわけね。レコード買ってほしいわけね。ファンクラブに入っちゃってほしいわけね。で、ファンクラブイベントに来ちゃってほしいわけね。そうすると卓偉ほど素晴らしい人間はいないと思うわけね。生きてて良かったと思うわけさね。

鉢形城ほど感じれる城はないと宣言したい。

築城は1476年、戦国時代の全然前になる。長尾影春が築城し、その後上杉家、北条家と城主が変わっていくわけだが城を拡張したのは北条家だろう。やはり家康が天下取る前の関東は北条家なんだよね~。

よくぞここに城を築こうと思ってくれた、そのセンスにまずは拍手である。これはもう攻められにくいとかじゃなく、ここに城があったらかっこいいだろという美学に基づいて建てられた気がしてならない。見た目がかっこいいって大切。ロックもさ、いい音楽やってる人ってみんな顔かっこいいもんね。不思議なもんでさ。もうさ、だからさ、最近はさ、外タレのCD買う時はさ、ルックス見るわけ。ルックス悪かったらさ、買わないもんね。かっこいいバンドはさ、結果長く続くんだよね、不思議なもんでさ。でさ、ブサイクなバンドってさ、結局さ、音もブサイクなんだよね。服のセンスもねえしさ、なんていうかさ、ロックというものに本気で努力してればさ、自ずと顔も服も音もアレンジもかっこよくなんのよね、不思議なもんでさ。かっこいいロック鳴らしてる人ほどおもくそ努力してるわけよね。っていうかさ、ロックってさ、かっこよくねえとロックじゃなくない?そこ!そこなのよ!鉢形城ってさ、おもくそロック感じんだよね。不思議なもんでさ。ルックスがいいのよ。

はっちゃんは(鉢形城のニックネーム)二つの川を上手に利用した場所に築かれている、大きめの川、荒川を外堀に、小さめの川、城内を流れる深沢川を城の内堀の役目に使い、たくさんの曲輪を配置した見事な作りである。

現在は城の真ん中に道路が走っているし、大手の方にはJR八高線の線路も通っているし、搦手には橋も架かっているが、これはなかったもんだと思って見学してほしい。とても壮大である。でももしこの八高線を通勤通学に使っていたら、毎日毎晩萌えまくりだっただろう。だって城内通るなんてやっぱ凄いよ。城の中に線路通しちゃった系、全国結構あるんだけどさ、城マニアとしてはさ、やめてくれって思うんだけどさ、いざ車内から見るとさ、いただきます!ってなんのよね。

内堀の深沢川も低い場所に流れているので城内の真ん中は谷になっている。本丸の外は荒川を背に絶壁となっているので城の中に谷が二つ存在する仕組みになっている。城内に川底から風が吹き上がって来るのだ。まさに風の谷のナウシカ、主題歌を歌ってた安田成美もびっくりだ。

城内に攻め入ってもアップダウンが激しいわけだ。そこに駄目押しで空堀と土塁が存在する。この堀の深さ、土の盛り具合、切り具合。城の外からは想像も出来ない作りになっていて攻め入る敵を戸惑わせる仕組みだ。まさに安田成美もびっくりだ。卓偉も会う前はなんでか嫌な奴と思われるが、会うとその紳士さに誰しもが惚れてしまうのと同じさね。そうさね。そうさね。

城の中は基本フラットにして(真っ平ら)館や御殿などを建てる場合が多いが、はっちゃんの中は自然のままに、丘そのものになっている。確かに本丸が一番高い場所にあるが、大手側との高さは一緒である。

城内のアップダウンをそのままにしたのも攻めの意思が伝わってくる。自分達も決して守りに奢らず、いかに相手をおとしいれるか、それでいながら逃げ道もしっかり確保してあるところがにくい。荒川の絶壁側から攻めてくることはまずないので、いつでも搦手口の荒川から船で逃げれるように作られている、だからこそ大手側が高い場所にあるのだろう。陸から攻められても川から逃げるぞという非常に理にかなった作りだ。

現在は門や石垣などが若干復元されているが、もうこれ以上はいらんと思う、このままの感じが城好きの心にはびんびん響いてくる。確かに何も知識がなければ、単なる丘、単なる土かもしれない、でもここにたくさんの家来が潜み、その土塁の上には櫓が存在し、城全体が木の塀で囲まれていたのである。城内の道路と線路がもしなかったとしたら1500年代からそのままの状態で残っているのである。保存状態も半端無くいい。そういう城はなかなかないのだ。それをもっとリアルに感じてもらう為に歴史館の模型を見てから、いざ城を見学し照らし合わせてほしいのである。まったく変わらない鉢形城の姿がそこにあるはずだ。

城マニアで鉢形城の(ニックネームははっちゃん)ファンは多い。それだけ魅せられる城といったところか。業界でも隠れ卓偉ファンは多い。いや世間に隠れ卓偉ファンは死ぬほどいる。いつもしれ~っとして仕事していて、中島卓偉のファンだということは一切表に出さない。で、一人で卓偉のライブに来て死ぬほどはしゃいで、死ぬほど歌って、声が小せんだよ!とライブ中に卓偉に何度も調教され、汗だくになり会場を後にして、電車に乗ったとたんに何食わぬ顔して帰宅、翌日も職場の人に昨日ライブに行ったことも一切匂わせない。でありながら、何で卓偉はあんなに凄いのに売れないんだろう?とか思っていたりする(おまえが広めねえし友達連れて来んからや)

だがどこからか「卓偉」というワードや声が聞こえた途端に、おもくそ目がでかくなる、もしくは耳はダンボに。そこで初めてその人に声をかけられ「卓偉知ってるんですか?自分も好きなんです…」と心細く言う。そう、心細く言う。自分からは行かず、同じ卓偉ファンがいた時だけ心開く。

これが隠れ卓偉ファンの私生活、心情である。そりゃ増えんわ。

私はこの鉢形城の凄さをもっとたくさんの人に伝えたい。私は隠れ鉢形城ファンではない。引き続き思うのだが、戦国時代に滅びなかったら、ここに総石垣が築かれていたら。これはもうとんでもない城だったに違いない。荒川の絶壁の上に立つ本丸に天守閣などがあったら、想像しただけで鳥肌が立つ。

はっちゃんは凄いのだ。どの曲輪を見てもスケールがでかい。すべてが素晴らしい景色だ。この城は早かった。安土城よりもだ。作られるのもセンスもすべてが早かったのだ。先を行っていたのである。個人的には歴史館の裏の外曲輪から深沢川を渡り二の曲輪に上がって行く土塁、堀切、この辺のディティール、感動を覚えます。荒川と逆側の外堀が埋められて、民家の畑になっているとこも嫌いじゃない。外曲輪の土塁の上に上るとしっかり堀の形が残っていて見事に畑になっていることがわかる。こういうのもはっちゃんの魅力のひとつだ。

最後に、鉢形城のニックネームをはっちゃんと発案し最初に呼んだのは誰か知っておられるか?それは中島卓偉である、しかもこの今回のコラムが初出しである。松本清張のファン達が愛を込めて彼を(まっちゃん)と呼ぶように、誰かが初めて呼んで伝説になるのである。いい加減にしろ。

ああ鉢形城、また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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