【対談】伊藤政則 vs BARKS編集長 烏丸哲也「伊藤政則の作り方」Vol.3/4

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2013年と2014年にわたって出版された音楽評論家・伊藤政則の書き下ろし単行本「目撃証言 ヘヴィメタルの肖像」「目撃証言2 ヘヴィメタル:魂の旅路」の2冊が大きな反響を呼びロングセラーを続けている。40年に及ぶ音楽評論生活の中で出会った、ビッグネームのハードロック/ヘヴィメタルのバンドたちを取り上げた生々しい証言集であるこの本の面白さは、アーティストとのレアな交流エピソードはもちろん、著者の持つ鋼鉄のロック魂と真の音楽ファンとして決してブレない視点の確かさにあることは、一読すればすぐにわかるだろう。

この本が書かれた背景をさらに深く探り、「伊藤政則とは一体誰か?」を解き明かすべく、BARKSではこのタフでエネルギッシュな音楽評論家を招き、BARKS編集長・烏丸哲也との対談を敢行した。

全4回にわたってお届けする「伊藤政則の作り方」、老いも若きもロックファンもそうでない方も、人生をロックに賭けた男の確信に満ちたスピード感あふれる言葉の心地よさを存分に感じ取ってもらいたい。今回は第3回目だ。

第3回 「目撃証言」の背景~ロック音楽業界の黎明期から現在へ

──そもそも、どのようなきっかけで音楽業界に入ったんですか?

伊藤政則:高校3年生の時に考えたのは、大学を卒業して就職する時に、一番いいのはラジオ局じゃないかと。理由は、レコードがいっぱいあるから。地元の岩手放送…ここだ!と。岩手放送はしょっちゅうハガキを書いていた常連だったんで。大学2年の時だったかな、知り合いの知り合いをたどっていったら、岩手放送のレコード室でアルバイトできるかもしれないという話を聞いて、ねじこんでもらって、始めたわけです。レコード室というのは、入荷したレコードを邦楽と洋楽でファイリングして、手書きで曲を書き札を書きプロデューサーのアシスタントをやりながらパシリをやったりとか、そういうことをやるようになるんですけど、自由時間にレコードを聴けるし、一石二鳥ですごくいいなと。でもよくよく話を聞いてみると、放送局に入社するのって、国立大学とか私立有名大学を卒業して試験に受からないと、あまり裏口がない世界だっていうんだね。裏口は東京のデカイ放送局にはあるかもしれないけど、ローカル局は入れる人数が少ないからなかなか裏がないんだよって聞いて、え!っと衝撃が走って。

──裏で入るつもり満々だったのに(笑)。

伊藤政則:もちろん。そのまま入れればいいんだから。でも「伊藤くん、そういうものなんだよ」って、ビックリですよ。ローカル局はどこも小ぶりで、資本の多くは地元の新聞社とか経済界とかが中心になっているから、保守的なんだよね。社長も銀行とか新聞社から出向してくるわけだから、当然硬いじゃない? でもそういうところは見てないからね、子供だから。現場の楽しいところしか見てないから。で、夏休みとかに岩手放送でアルバイトさせてもらって、大学は東京に行ったんで、東京でいろいろやってるうちに、ニッポン放送でバイトの口があるかもしれないという話を聞いて、1974年にロンドンから帰って来てすぐに、オールナイトニッポンの制作チームのADに欠員があるという話を聞いて、すぐ紹介してもらって、制作現場のパシリから始めた。自分の趣味と実益を兼ねたことしか狙ってこなかったんで、そんなところばかり探してたんですよ。その年の末か1975年の頭にはもうニッポン放送にバイトで入ってましたね。

──その後のことは、「目撃証言」の本にも書かれていますね。そんな音楽100%の人生を歩んできた今、現在はどんな音楽をどんな環境でどのように聴いてるんですか?

伊藤政則:移動がけっこう多いので、大阪の放送局も週に一回行かなきゃいけないし、仕事では新しい音楽を聴かなきゃいけないわけですよ。だから移動中はiPodでクラシック・ロックが多いです。1960年代1970年代の音楽をアルバムをいっぱい入れておいて…プログレも含めて聴くことが多いですよ。

──シャッフルで聴くんですか。

伊藤政則:いや、必ずアルバム単位です。シャッフルは駄目。シャッフルで聴くと、「Stairway to Heaven」が変なところで出てくるんだよね。これはやっぱりAラスじゃないと駄目。

──そうですね(笑)。

伊藤政則:今はもうCDになっているけども、A1、A2、Aラス、B1、B2、Bラス、要所要所に重要な曲を置くシークエンスにすごく感情移入があるので。そういう聴き方をしますね。僕が聴いていた時代はアナログなので、LPの感じで聴くんですよ。CDをどうこう言うつもりはなくて、とても便利だなと思うけど。少し話はズレるけども、最近のCDの傾向として曲がいっぱい入りすぎてるんじゃないか?という気がするんだよ。

──確かにトータルタイムは長いですね。

伊藤政則:長い。ボーナス・トラックもけっこうだけども、本編も長い。ザ・ビートルズの昔から、ツェッペリンでも誰でも、アルバムにせいぜい10曲、長い曲があれば8曲、だいたいそんなもんですよ。それが十何曲も入っていると、僕はふたつのことが気になる。まず、そんなにいい曲をいっぱい作れるのか?ということ。もうひとつは、聴き手の集中力が最近ないと言われるけど、こんなに長けりゃ当たり前じゃないかと。そういうことを誰も指摘しなかったということを、あらためて思うよ。最近の聴き手は集中力がないからアルバムを聴かないと言うけど、そうさせてきたのはバンドと音楽業界なんだよね。だって1時間を超える音楽なんて、集中力がもたないって。無理だよ。LPの、片面20分というのがちょうどいい。

──レインボーなんか全部で30分ちょっとしかなくて、60分テープの片方に入りそうなくらいで、短さへの腹立たしさもありましたけど(笑)。

伊藤政則:あれがちょうどいいんだよ。僕がシャッフルで聴かない理由はそれ。シャッフルで聴くのはシングル・アーティスト。日本のGS(グループサウンズ)はシングル・アーティストだから、シャッフルでいいんだよ。でもLPはやっぱりシークエンスにすごく意味があると思うんだよね。今は聴き方が変わってきてるというけれど、少なくとも僕はそういう聴き方だな。クラシック・ロックを入れてあるのも理由があって、当時金がもうちょっとあったら買いたかったレコードがいっぱいあって、あの時充分に聴いてなかったということもやっぱりある。それと当時は若かったんで、ブリティッシュ・ロックが非常に好きなこともあって、アメリカン・ロックというものにあまり興味がなかった。でもある程度大人になってくると、CSN&Yの『デジャ・ヴ』はすごいアルバムだなとか思うようになって、そういうものも聴きたくなることがあるんだよね。高校生の時はそう思わなかったんだけど。アメリカン・ロックは、サザン・ロックも含めてけっこう聴くことが多いね。オールマンとか。

──子供の頃は受け付けなかったものが、大人になって好きになることってありますね。歳をとってくると良さがわかるとでも言うのか。

伊藤政則:わかりますよね。オールマンは素晴らしいですよ。サザン・ロックは聴くことが多いです。

──確かに若い時はお金がなくて、聞きたくても聞けなかったアルバムってたくさんありました。今、その思いを取り戻すかのようにそのアルバムを手に入れて貪り聴くんですけど、「でもこれはあの当時、あの若い感性の時に聴きたかったな」と思うこともあります。

伊藤政則:でもその当時の自分の感性って、すごく難しいと思うんだよね。ロックの漠然としたエネルギーに魅了されてはいても、自分のテイストは実は狭くて、全然わかってなかったんじゃないか?というひとつの例は、1971年の高校3年生の時だったと思うんだけど、ある友達に、そんなにロックが好きならローリング・ストーンズのレコードを持ってるからうちで聴いてみないか?と誘われて、聴いたのが『レット・イット・ブリード』。これがすごくつまんなく感じたんだね。どう?って聞かれたけど、「よくわかんないね」って(笑)。全然わかんない。

──あはは(笑)、政則さんにもそういう経験ってあるんですね。

伊藤政則:ローリング・ストーンズは「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」とか、もちろん名曲はあるわけだけど、大学に入る頃まではほとんど買ってないからね。ビートルズも「レディ・マドンナ」か何か1枚買ったけど、周りの熱に俺も乗っておこうかなぐらいの買い方で、買い方に根性入ってないから。ストーンズもビートルズも、自分より年上の世代の人たちのものだという感覚で、同時代的な感じが全然ないんですよ。今は違うよ?でも当時はそう。俺と同じ時代の音楽じゃないんだよね。むしろレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、グランドファンクのほうが、聴いてる人たちが同世代なので、時代を共有できるものがすごくあったし、ローリング・ストーンズのシンプルなロックンロールというよりも、グランドファンクのうねりのあるデカイ音や、ツェッペリンの「ブラック・ドッグ」のようなわかりやすさ、シカゴのブラスが入ったキャッチーさ、そういうもののほうが高校生にはわかりやすかったんだな。本物のロックンロールとかニセモノのロックンロールとか、そんなことは考えてなかったんで、ストーンズは本当に何も感じませんでしたね、あの時は。

──僕はレッド・ツェッペリンが最初はわからなかった(笑)。

伊藤政則:そういうものですよ。

──ディープ・パープル最高、クイーン最高、キッスもエアロスミスもカッコいい。ツェッペリン…もカッコいいと言っておかないとまずいかなと、背伸びして聴いてました。もちろんカッコいいと思った曲もあるんだけど、これはどう解釈したらいいんだろう?という難しい曲が多すぎた。

伊藤政則:ツェッペリンは難しいってよく言うよね。僕の場合はたまたま学校をさぼってよく行く喫茶店で、ツェッペリンの4枚目がよく流れていて。僕が初めて買ったのが4枚目だったので、自分が買ったレコードがお店で流れてると、プライドがくすぐられるわけですよ。おー、やっぱりツェッペリンだよねみたいな。わかる奴はわかるんだよ、とか思いながらコーラ飲んでたね(笑)。でも実はその時、3枚目まではほとんど聴いてないわけ。ある意味雰囲気に飲まれた少年が、4枚目はすごいって言ってただけなんだよ。あとになってからいろいろわかってくるけれども。だって実際、4枚目は買ったけど5枚目は買ってないもん。

──まさかの『聖なる館』買ってない発言(笑)。

伊藤政則:だってほかに買いたいレコードがいっぱいあるんだもん。ツェッペリンは1枚でいいやって。子供ってそういうもんだよ。大人買いできないじゃん。ピンク・フロイドは続けて買ったけど、ツェッペリンは1枚。そういうもんだよ。

──中学の時、僕もお小使いを必死にためてレコードを買うんですが、友達と貸し借りをするために、周りが持っていないで、しかも聴きたがってくれそうなものを選ぶ必要があったんです。それで必死に考えて、初めて買ったアルバムはナザレスのベストでした。

伊藤政則:渋いなぁ。

──一生懸命聴いて、一生懸命好きになりましたよ(笑)。

伊藤政則:子供が買うレコードじゃないよ(笑)。渋いわ。僕もナザレスは好きだよ。シンコーミュージックで、1973年から2年間ぐらいプラスワンという雑誌が出たことがあって、そこで読者から原稿を募集していて、掲載されると謝礼が出ると言うことで、書いて送ったの。それがナザレスの『ラザマナズ』でしたよ。それが掲載されて、キャッチは編集部がつけたんだけど「ナザレス健在なり」という原稿で3000円もらいましたね。それが初めての原稿料じゃないですか。めちゃくちゃうれしかったですよ。

──『ラザマナズ』は名盤ですよね。

伊藤政則:ロジャー・グローヴァーのプロデュース。1973年かな。ナザレスはディープ・パープルの前座をやったんですよ。そこでロジャー・グローヴァーと仲良くなって、でもナザレスは売れなくて、ヴァーティゴというかフォノグラムに移籍することになって、一発目で「じゃあ俺がプロデュースしようか」とロジャーがやることになったらしい。それが話題になって、ナザレスがまた浮上してくるんだよね。そういうことだからシンコーミュージックの編集部の人は「ナザレス健在なり」というキャッチをつけたのかなと。

──あの…、政則さんのその異常な記憶力と尋常じゃない情報量は、どこから来るんですか。

伊藤政則:それは自分の興味があることだからじゃないですかね。だから興味のないことはすっかり憶えてない。「伊藤さん、昔ああいうことがありましたよね」「いやぁ、全然憶えてない」ということもけっこう多いよ。そこはオジー・オズボーン状態で、全然記憶がない(笑)。大事なことでしょ?と言われても記憶にない。でも自分にとって大事だと思われることはわりと記憶してるの。全部じゃないんだよ。

──でも「ナザレス」と一言言っただけで、ロジャー・グローヴァーがプロデュースするエピソードがサラサラ出てくるのは、ちょっと異常(笑)。

伊藤政則:それはだって、自分にとってすごく大事なことだから。生まれて初めての原稿料が3000円で、シンコーのプラスワンに載って、「ナザレス健在なり」というキャッチだったというのは、自分にとってすごく重要なことだからね。

──書籍「目撃証言」シリーズ2作を書かれたのも、自分が今までためこんでいたものを吐き出すという思いがあったわけですか?

伊藤政則:いやいや、「目撃証言」を出そうと思った理由は、たまたまロサンジェルスのカメラマン、ウィリアム・ヘイムスさんと飲んでてね、昔から相当いろんなインタビューや取材で苦労したり楽しいこともいっぱいあったんで、そういうのは業界の人たちと食事する時の笑い話として、「あったね、そういうこと」で終わっちゃうことが多いんだけど、それはもったいないんじゃないか?と。

──そうですね。

伊藤政則:エピソードも含めて、当時のアーティストの時代背景がわかるから、伊藤の見たままのことを何らかの形で残しておいたほうがいいんじゃないか?という話が、常にあったわけですよ。ただものぐさなので、「だよね」と言いながら何もしてなかったんだけど、ウィリアムさんとまたそういう話になった時に「そろそろやらないと死んじゃうよ」みたいなことになって、そうこうしているうちに学研パブリッシングの方からもお話を頂いていて、じゃあ会ってみようかと。そしたらとんとん拍子に進んで実現に向かっていった。ただ、難しい本を評論的に書きたいわけではないから、わりと楽な感じがいいんだよねと言ったら、それでいいんじゃないですかということで、書くことになった。憶えてることをランダムに出しますかと言うことで、やることになったんですよ。

──思い出すということは、大変なことではないですか。

伊藤政則:忘れてることもありますけども、調べてるうちに、あるいは誰かと電話してる時に、何かヒントになることがあればバーッと思い出しますから。ただこの本に書いてあることは、インパクトのあることなので記憶にあるものじゃないのかな。

──なるほど。

伊藤政則:でもね、読者やラジオのリスナーから、有名どころのバンドしか載ってないから、もっとマイナーなバンドのことも書いてくれというリクエストが来るわけ。でもね、俺は言ったの。気持ちはわかると。でも、マイナーなバンドにはネタがない。だからマイナーなんじゃないの?と。

──ぷ(笑)。でも、だからこそ政則さんに訊けば、何かおもしろいエピソードを教えてくれるはずと期待するんですよ。

伊藤政則:それはわかる。でもマイナーなバンドはネタも小ぶりだから、書けないこともないけど、すごく短い文章になっちゃうから、それってどうなの?と。モトリー・クルー、ボン・ジョヴィ、メタリカ、ガンズとか、エピソードがいっぱいあるからデカいバンドなんじゃないの?と。

──じゃあここでひとつ出してもらえますか(笑)。マイナーだけど、俺にはひっかかったんだよなというバンドのエピソードを。

伊藤政則:いっぱいありますよ。ゲフィン・レコードがガンガンヒットを飛ばしていた時代に、モトリー・クルーのロサンジェルス地区のマネージャーだった人が、ナッシュビルかどこかのロキシー・ブルーという新しいハードロック・グループを手掛けると。けっこうイケメンで、ポップだと。ゲフィンは当時MCAビクターだったと思いますけど、これはいけるよと言って、すぐさま海外取材を入れた。僕は行けなくて、テレビ神奈川のクルーに行ってもらったんだけど、これがまったく売れなくてすぐ解散(笑)。モトリー・クルーのマネージャーが推すというから、これは凄いことになるぞということになったんだけど、運が悪いことに、日本から取材に行った時にボーカルが腕を骨折してた。でもしょうがないから自分たちがよく出てるクラブで擬似ライブをTVクルーが撮影したんです。みんな張り切るんだけど、でもボーカルが骨折してるから痛々しくてさ。

──かっこよくないか(笑)。

伊藤政則:全然駄目だよ(笑)。なんやかんやで、全然駄目だったね。日本じゃまあまあだったけど、アメリカはすぐに手を引いちゃって、そういうこともあるわけ。でもそれを原稿にしても、この本の中でも3ページくらいだからね。そういうのはいっぱいありますよ。これだけ長く業界にいればね。

続く

取材:BARKS編集長 烏丸哲也
文:宮本英夫
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