【インタビュー】L'Arc-en-Ciel<WORLD TOUR 2012>ツアーディレクターが語る「NYのスタッフも驚いたくらいだ」

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L'Arc-en-Ciel初のドキュメンタリー映画が、12月5日より8日間限定で全国公開される。『Over The L'Arc-en-Ciel』と題された同映画は2012年3月3日の香港公演を皮切りに5月31日のハワイ公演まで、全世界14都市17公演で行われたL'Arc-en-Ciel<WORLD TOUR 2012>を捉えたもの。そして、日本人アーティストとしては前人未踏のこの大規模ツアーをディレクションした人物がRichard Ames氏だ。

◆L’Arc-en-Ciel 画像

Richard Ames氏はこれまでThe WhoやWINGSをはじめ、RAINBOW、FLEETWOOD MAC、WISHBONE ASH、XTCなど、数々の世界的アーティストのツアーマネージャーを務めた経歴を持つ。前述したアーティストはその一例であり、ひとつひとつを挙げれば枚挙にいとまがない。L'Arc-en-Cielの歴史上、最も大きな挑戦のひとつとなったこのワールドツアーを影で支えるべくRichard氏が行なったのは、実施国の選定はもとよりツアースケジュールの決定や会場調整、そして10トンを超えるツアー機材の輸送まで。その業務は多岐にわたる。

「ニューヨークのスタッフも驚いているくらいだ」。これは映画『Over The L'Arc-en-Ciel』内でRichard氏が発した言葉だ。それほどこのツアーの規模は大きく、映画内の彼の発言はその過酷さやスケール感を物語る。一方で、kenやtetsuyaとの談笑シーンには人間的なつながりも伺えて、約半年間のツアーの充実ぶりがリアルに伝わるようだ。「彼らの目指している夢を実現させるため」と自身も語ったワールドツアーと、世界的なツアーディレクターが見つめたL'Arc-en-Ciel、それらについて語ってもらったロングインタビューをお届けする。

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■明確なヴィジョンを持っているバンド
■それが私のL'Arc-en-Cielに対する最初の印象でした

──まず、ツアーディレクターの仕事内容から教えてください。

リチャード:ツアーをプロデュースするにあたって、あらゆる面のセットアップを取り仕切る責任者と捉えていただいて間違いありません。ツアーディレクターはアーティストマネジメントと密接に仕事をするわけですが、たとえばエージェントにプロダクションを推薦したり雇ったりすることをはじめ、ツアー行程のコーディネートや各国の機材手配、予算管理など、実現可能で効果的なツアースケジュールを達成するためにツアーマネージャーとプロダクションマネージャーと連携して動きます。また、ツアーディレクターは世界各国のプロモーターを紹介するほか、その契約にも関与します。今回のL'Arc-en-Ciel <WORLD TOUR 2012>に関して言えば上記ほか、アーティストマネジメント代表の大石征裕氏の依頼で制作費の交渉だけでなく、ツアー終了後の精算管理も行いました。

──リチャードさんはこれまで、WINGSやRAINBOW、FLEETWOOD MAC、WISHBONE ASHほか、世界的アーティストのツアーディレクターを務めています。その中でも特に印象深い公演を挙げていただけますか?

リチャード:おっしゃる通り、幸運にも私はこれまで世界を代表するアーティストと仕事をする機会に恵まれてきました。最も記憶に残っているツアーをあえて挙げるとすれば、4アーティストが思い浮かびます。ひとつは1978年、悪評高いサンフランシスコのバンドGRATEFUL DEADのツアーです。これは当初、彼らのヨーロッパツアーとしてセットアップされていたのですが、ツアーが始まる前にエジプトのピラミッドの前でプレイしたいという意向を受けたのです。サウンド機材、ライティング機材、ジェネレーター、ステージ、レコーディングトラックを準備するように言われた私は、ロンドンからピラミッドまで機材を輸送しました。これは初の試みであり、ものすごいチャレンジでした。このショウのことを私は忘れることはないでしょう。

──その音源と映像は公演から30周年となる2008年にリリースされて話題にもなりましたね。月食という自然現象も重なって伝説のライヴと語り継がれています。

リチャード:そう。夜風の中、スペシャルエフェクトで大ピラミッドがライトアップされ、暗闇の中から現れました。このライヴはロックンロールの歴史に残るほどの素晴らしいものとなりました。もうひとつは翌年1979年のKate Bushのツアーです。

──1980年代にはDuran Duranのツアーディレクターを手掛けていますが。

リチャード:3番目のアーティストはまさにDuran Duranで、1982年から1985年までツアーディレクターを担当しました。当時の彼らは世界的なスターダムを駆けのぼっていたところで、小さなクラブやシアターからアリーナ規模のツアーへの転換期だったんです。そのツアーチームのリーダーとして迎え入れられたことは私にとって素晴らしいチャレンジでした。なかでも1983年、大ヒットアルバム『Seven and the Ragged Tiger』のワールドツアー打ち合わせで、ステージマネージャーとプロダクションマネージャーと一緒にシドニーのノースショアのビーチを訪れたときのことは、今でも記憶に鮮明です。同じく1983年の初めにSupertrampのツアーマネージャーを担当したのですが、これが4つ目。その後も彼らの3回のワールドツアーにツアーマネージャーとして参加しましたが、最も印象深いのは同年のヨーロッパツアーです。これはフットボールスタジアムで開催するロックンロール史上2番目のツアーとなりました。そして、このツアーの後、私はDavid Bowieの絶頂期のひとつでもある<Serious Moonlight>ツアーのオファーを受けたのです。

──数々の世界的アーティストのツアーディレクターやツアーマネージャーを行なってきたリチャードさんが、L'Arc-en-Ciel<WORLD TOUR 2012>を手掛けることになった経緯は?

リチャード:仕事仲間のKaz Utsunomiya氏(グローバルに活躍する音楽プロデューサー)から紹介されたことがきっかけです。Kazと私は、彼がロンドンに在住していた80年代初頭から親しい友人であり、当時私はポールマッカートニーのWINGSのツアーマネージャーで、彼は日本イベンターのUDOと仕事をしていました。先ほどお話したDuran Duranも含め、何人かのアーティストと訪日したこともあったんですよ。L'Arc-en-Cielのメンバーとマネジメントに初めて会ったのは2011年の12月、大阪でのことです。

──L'Arc-en-Ciel <20th L'Anniversary TOUR>の最終公演となった京セラドーム大阪ですね。そのときの印象はどのようなものでしたか?

リチャード:明確なヴィジョンを持っているバンド、というのが私のL'Arc-en-Cielに対する最初の印象でした。リハーサルからみることができて、プロダクションの質の高さはもちろん、バンドとクルーのそれぞれのチームが一つになっていることにとても感動しました。

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