【インタビュー】KIRA、気合の入った歌の聴かせっぷりがすごい1stアルバム『LISTENER KILLER』

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大阪を拠点に活動するKIRAが活動歴10年にして、初のアルバム『LISTENER KILLER』を2月4日にリリース。クラブシンガーとして活動を開始し、マカオのカジノで日本人歌手として初めてショーに出演したユニークな経歴も持つ彼女のこの10年が15曲に凝縮された今作。朋友のトラックメーカーとのチームワークも抜群なキラーチューンばかりが飛び出してくる力作だ。本音で綴った歌詞同様、本音満載のインタビューをお届けする。

◆KIRA ~画像&映像~

■「唄いたいんなら唄ってみいや」くらいの感じで
■アメ村とかの小さいクラブで唄っていました


――活動をスタートしてから、1stアルバムにたどりつくまで9年越しなんですね。活動歴は10年とのことですが、これまではライヴ活動が中心?

KIRA:はい。最初はクラブで唄い始めて。もともと小さい頃から歌手になりたいと思っていたわけではなく、それまで歌と関わるのはカラオケくらいだったんです。でも、歌は子供の頃から大好きで、毎日歌を唄っていました。

――どんな歌を?

KIRA:そのときによって違いますが、お母さんが聴いていた中島みゆきさんとか、ユーミンさんとか……。あとは、お兄ちゃんがいるので、J-POPも早いうちから聴いていました。安室奈美恵さんとか、J-POPチャートに入ってるものは全部唄える! ってくらい、いろいろ聴きまくっていました。

――クラブで唄うようになったきっかけは?

KIRA:当時、私の周りにヒップホップにハマる人が増え始めて、私もエミネムから入って、Nasとかスヌープ・ドッグとか、いろいろ聴き始めたんです。そのときに、お兄ちゃんの影響で、Sugar Soulに出会って。大ヒットした「Garden」もいいけど、そうじゃないアルバム曲がめっちゃ良くて、「クラブシンガーって、めっちゃかっこええやん!」って、歌手とかじゃなくて自分もクラブシンガーに憧れて、「やってみたい!」と思ったんです。同じ年の子に、DJをやりたい子とかもいて、「じゃあ、自分、唄いたいんなら、唄ってみいや」くらいの感じで唄い始めて。Sugar Soulのカバーとか、あとは2曲くらいレコードに入ってたインストの曲に自分でメロディをつけて詞を書いて。今ではもう聞きたくないくらい恥ずかしいけど(笑)。それくらいのレパートリーでアメ村とかの小さいクラブで唄っていました。

――導かれるようにシンガーになったという感じですね。

KIRA:確かにそうですね。1回目は「唄いたいんなら、唄ってみいや」って感じで始まったとしても、2回目、3回目も声をかけてもらってステージに立てるっていうのは運が良かったと思います。そうやって声をかけ続けてもらってなかったら、どこかで終わってたかもしれない。でも、不思議と一回出たら次につながって、二回目出たら次につながっていったんです。自分たちでやってるパーティーじゃなく、ミナミのイベンターがやってる、ミナミのイベントっていうのが結構あって、そういうのに2~3回目から出始めて。そこから今に全部つながってる。

――これは絶対にいろんなところで突っ込まれていると思うんだけど、マカオのカジノで日本人歌手として初めてショーをしていたというのはいったいどういうきっかけで?

KIRA:大阪のクラブで毎月ライヴをやっているうちに、アコースティックとかフルバンドのライヴをやるようになったんです。歌を初めて2年くらいやったかな。それで、アコーステックライヴをアメ村のダイニングバーのような店でやってたら、そこの社長さんにいきなり「マカオ行ってみぃひん?」って声をかけられて。その人のことも知らなかったし、マカオがどこかもわからんし、まずちょっと怖いじゃないですか(笑)。でも、そのとき22歳で若かったから、「おもろそうやん!」ってノリでまだ行ける年やったんですよ。たぶん1~2年遅かったら行ってなかったと思います。あのタイミングやったから行けた。

――なるほど。タイミングって大事ですよね。マカオには一人で行ったの?

KIRA:そうなんです。最初はバンドで行かへんかってことやったんですけど、みんな行かへんって言うんで、一人で行ったんです。

――よく一人で行ったね(笑)。

KIRA:いやぁ(笑)。ホンマ、アホやったし、なんも考えてなかったからこそでしょうね。周りからは「危ない」って心配されて、「覚悟して行きや」って。でも誰かに止められて、「危ないん? じゃあ、やめとこかなぁ」って感じでもなかった。そこに向かって練習もしていたし。マカオのカジノでは中国語で曲を歌わなあかんっていうのが条件だったんですよ。中国語のテレサ・テンの曲を耳コピでみっちり練習して、完璧に唄えるようにして。声をかけてくれたバーでリハーサルをやったりして、修業のような期間がありました。「ホンマに向こうのショービジネスは厳しい世界やから、しょーもなかったら1ステージで帰されるぞ」って言われたので。

――今やってることとはだいぶ違いますよね(笑)。

KIRA:もうぜんぜん違うから、別の世界に飛び込んだっていう感じでしたね。テレサ・テンのほかは、英語で唄うなら「Let it be」や「Stand by me」のようなスタンダードな絶対みんなが知ってる曲だし、日本の曲でも中国語バージョンのあるやつとか。そんな中、自分のオリジナル曲を何回か挟んだりしてみたんですよ(笑)。「そろそろ行けるやろ!?」って感じで。でも撃沈やった。そこでも打ちのめされた。テレサ・テンにしろ「Let it be」にしろ、名曲やないですか。そういうセットリストの中に、自分がクラブで唄ってたオリジナル曲を放り込むとめちゃくちゃショボくて(笑)。曲の作りも、メロディも唄い回しも、他の曲と比べ物にならなかった。めっちゃ広いフロアの中で、毎日、いかに足を止めてもらうかをずっと考えていたのに、自分の曲をやったとたんにぜんぜん見てもらえなさすぎて。

――それはすごく勉強になりましたね。

KIRA:うん。大阪の小っさいクラブで唄ってるときは、「KIRA、歌うまいよなぁ」ってなるんですよ。でも、マカオのカジノでは、「自分、小っさい、ショボっ!」って感じでシビアやったなぁ。他の出演者がまたスゴイんですよ。ブラジルのダンサーがハイレグのすごい衣装を着てバーンと踊ってたり。意識の高いパフォーマー達が集まっていたから。みんなは自分の国にファンがいて、そこそこ売れてる人だけど、私なんて大阪帰ったら、一般人やし、どないしよーみたいな(笑)。そういう意味でも修業。他のパフォーマーたちの意識の高さにもめっちゃ刺激を受けました。ステージに上がっても降りても、ホテルに帰っても、ずっと勉強。自分のショボさを思い知ることになったんです。

――すごい良い経験でしたね。

KIRA:はい。それまでは空っぽやったけど、自分の中に芯ができたというか。そこで考え方が180度変わった。特に勉強になったのは、山口百恵さんの曲。それまでは力任せに唄っていたから抜くところがなかったんですが、曲の入りは吐息まじりで、最後は力強くとか、抑揚の付け方一つで聴いてもらえるかどうかって違うんですよ。ただ唄ってるだけじゃ聴いてもらえない。目線とか手の振り一つも手を抜けない。衣装もチャイナドレスに羽根を巻いていたんですが、それをどう使うのかとか、ステージの上での歩き方とか。ガキって思われたら聴いてくれへんから、曲の世界に入りきらなあかん。

◆インタビュー(2)へ
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