【インタビュー後編】イアン・ペイスが語る、ディープ・パープルの知られざる縁と歴史的瞬間

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1968年にディープ・パープルを結成して以来、ジョン・ロードとイアン・ペイスは40年以上のあいだバンド仲間であり、親友であり、文字通り義兄弟だった。2002年にジョンがディープ・パープルを脱退してからも彼らの友人関係は続き、イアンの奥方ジャッキーが運営するチャリティ基金『サンフラワー・ジャム』のライヴ・イベントにも、ジョンはほぼ毎年出演してきた。癌の治療と研究への費用を募るこの団体だが、2012年7月16日にジョン自らが癌で亡くなってしまうことになる。

◆ディープ・パープル画像

2014年4月4日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたトリビュート・コンサート『ジョン・ロードに捧ぐ/セレブレイティング・ジョン・ロード』は、彼の人生と音楽を讃え、その命を奪った癌という病気の治療・研究のためのチャリティ・イベントという、2つの意義を持っていた。

前後編に分けてお届けするインタビューの後編で、イアン・ペイスはジョン・ロードとの友情について、いくつかの秘話を含めて語ってくれた。



──あなたがジョン・ロードと初めて会ったのはいつ、どこでしたか?

イアン・ペイス:1966年だったかな、ロンドンのマーキー・クラブでジョンのバンド、アートウッズがライヴをやって、その前座を当時の私のバンドが務めたんだ。彼にそのことを話したら、まったく覚えていなかったけどね(笑)。それから2年ぐらいして、私はザ・メイズというバンドでやっていた。悪くはないバンドだったけど、当時のヒット曲のカヴァーをやったりして、成功する見込みはなかったんだ。それでシンガーのロッド・エヴァンズが『メロディ・メイカー』紙に新バンドのメンバー募集が載っているのを見て、応募することにした。それがディープ・パープルだったんだ。オーディションの時、リッチー・ブラックモアもいた。彼とは面識がなかったけど、ハンブルクのスター・クラブで修行していた時代、私のプレイを見たことがあったらしい。それで「ドラマーも連れておいでよ」ということになった。そうして私もオーディションを受けて、ディープ・パープルに加入することになったんだ。

──ジョンはディープ・パープルでどのような役割を果たしていましたか?

イアン・ペイス:彼は精神的なリーダーだった。私がオーディションで緊張しているときも、アドバイスしてくれたよ。「大丈夫、このバンドがどんなサウンドになるか、まだ誰も知らないんだ。自由にやってくれればいい」ってね。とても寛大でフレンドリーな人物だと思ったよ。そうしてバンドに入ってからも、ジョンやリッチーと一緒にプレイすることは、最高に刺激的だった。彼らは自由な発想を持っていて、それを表現する技術も持ち備えていた。彼らと共演することで、私のテクニックも飛躍的に向上したよ。リッチーやロジャー・グローヴァーがすごく良いリフを持ってくると、ジョンは「このコード進行を変えたら、より良いものになる」と提案していた。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の構成や中間部のアレンジにも。彼は多大な貢献をしていたし、「ラット・バット・ブルー」のキーボード・パートは、クラシカルな影響があった。彼は多くのリフは書かなかったけど、それにアイディアを加えて、曲をより効果的にする術に長けていたんだ。「ノッキング・アット・ユア・バック・ドアー」や「パーフェクト・ストレンジャーズ」の印象的なイントロはワンテイクだった。彼は“瞬間を捕らえる”ことに関しては天才だったんだ。

──あなたとジョンの縁故関係は、どんなものですか?

イアン・ペイス:私の妻ジャッキーとジョンの奥さんだったヴィッキーは双子の姉妹なんだ。ジャッキーの方が10分早く生まれたお姉さんだから、私がジョンの義理の兄ということになるのかな(笑)?実際には彼の方が年上だし、私にとって兄のような存在だったけどね。私とジャッキーが出会ったのは1973年、ディープ・パープルにグレン・ヒューズが加入することになって、バーミンガム郊外のクラブにグレンと食事に行ったときだった。それが今は閉店してしまったけど『オークリー・ハウス・カントリー・クラブ』という店で、オーナーの娘だった彼女と親しくなったんだよ。それから数年後、ペイス・アシュトン・ロードのアルバムをミュンヘンでレコーディングしていた時、私と一緒に来ていたジャッキーに会いに、ヴィッキーが遊びにきた。それでジョンと恋に落ちて、結婚するに至ったんだ。ヴィッキーはロイヤル・アルバート・ホールで感動的なスピーチをしてくれたよ。

──ジョンと親戚付き合いはありましたか?

イアン・ペイス:双子の姉妹というのは、近くに居たがるものでね、その配偶者である私とジョンも近所に住んでいたよ。ディープ・パープルに加入したとき、私はまだ19歳だった。それから私の音楽キャリアの大半は、ジョンと過ごしたものだったんだ。彼と一緒にやっていなかった期間は、極めて短かった。私がホワイトスネイクを辞めて、ディープ・パープル再結成までの間(1982~1984年)、ゲイリー・ムーアのバンドでやっていた頃ぐらいじゃないかな?でもその間も、彼とは友人として連絡をとっていた。彼とは音楽を通じて知り合ったけど、それ以上に親しい仲になったよ。ツアーやレコーディングしている時でなくても、一杯飲みに行ったり、食事をしながら話したりした。そういう時はほとんど音楽の話はしなかった。彼がディープ・パープルから脱退した後も、ずっと親しかったし、住んでいる家も8キロぐらいしか離れていなかった。彼は生涯の友だったんだ。

──あなたはジョージ・ハリスンともご近所だったのですよね?

イアン・ペイス:そう、私は大きな家に、ジョージは宮殿に住んでいた(笑)。デヴィッド・ギルモアやアルヴィン・リー、ゲイリー・ムーアも近くに住んでいたよ。同じ頃に長男が生まれて、奥さん達がママ友になったんだ。それで私とジョージも友人になった。

──1993年12月のジャパン・ツアーを前にして、リッチー・ブラックモアが脱退したとき、代役としてゲイリー・ムーアが検討されたという話がありましたが、それは彼があなたのご近所さんだったからですか?

イアン・ペイス:いや、確か日本のプロモーターから提案があったんじゃなかったかな?リッチーが日本に行かないことになって、我々は頭を抱えたよ。ツアーを中止にしたら、プロモーターはバンドを告訴するだろうし、そうしたら我々もリッチーを告訴しなければならなくなる。そんな泥仕合は避けたかったんだ。それで「助っ人を頼むとしたら、日本のファンは誰だったら納得すると思う?」と訊いたら、ゲイリーの名前が挙がった。私は「ゲイリーは合わないし、やらないだろうなあ…」と答えたのを記憶しているよ。もちろん彼だったらテクニック的には問題ないだろうけど、自分の世界を築いているからね。結局我々はジョー・サトリアーニに声をかけて、ジョーはやることに合意してくれた。彼にテープを送って、東京で3日間リハーサルすることにしたけど、彼は初日で全曲をマスターしていたから、残り2日間はオフになった。ジョーには感謝しているよ。在籍していたのは短期間だったけど、彼はバンドを救ってくれたんだ。

──日本のファンは歴史的瞬間を目撃したわけですね。

イアン・ペイス:その通りだ。あのツアーで気付いたのは、メンバー5人よりも、ディープ・パープルというバンドの方が大きな存在なのだということだった。リッチーというスター・ギタリストが脱退しても、後任が同等の実力を持っていれば、バンドは揺らぐことがないんだ。それは全員について言えることだ。私が脱退しても、良いドラマーが加わることで、ディープ・パープルは続いていくんだよ。ジョンがバンドを脱退することにしたのも、その事実に気付いたからじゃないかな。不満を抱えながらバンドに残っているよりも、新しいキーボード奏者を加えて前進した方がいいんじゃないかってね。

──2002年にジョンがディープ・パープルを脱退したときのことを教えて下さい。

イアン・ペイス:その2年ぐらい前から、彼がツアー活動に疲れていることは明らかだった。彼にはやりたい音楽があって、それはロック・バンドの枠内では実現することが難しかった。ディープ・パープルにいた方が生活は安定していると彼の頭は考えていたけど、彼のハートは、自分のやりたい音楽をやるべきだと主張していたんだ。彼がバンドを去ることを我々に打ち明けたとき、ショックではなかった。みんな、来るべき時が来たと思ったんだ。

──2012年7月16日、ジョンが亡くなったとき、あなたはどうしていましたか?

イアン・ペイス:アメリカで『ナウ・ホワット?!』のレコーディングをしていたよ。アメリカに行く前日、ジョンに会いに行ったんだ。そのとき、もう彼に会えないかも知れないという予感があった。彼は病院で苦痛に耐えていたし、誰も何も言わなかったけど、その瞬間が来ることは判っていたんだ。ジョンが亡くなったことはその日の朝、ジャッキーから電話で聞いた。それでスタジオに行って、みんなに悲しいニュースを伝えたんだ。20分ほど、誰も何も言わなかった。放心状態だったんだ。その後、ジョンとの思い出について語り合ったよ。1時間ぐらい話したかな。曲作りの作業を再開したんだ。全員がエモーショナルになっていた。

──『ナウ・ホワット?!』からの曲はロイヤル・アルバート・ホールでも演奏されましたね。

イアン・ペイス:その通りだ。「アバヴ・アンド・ビヨンド」と「アンコモン・マン」は、彼へのトリビュートとして書かれた曲だったし、あの場に相応しかったと思う。ジョン・ロード追悼公演の前半はジョンの書いたクラシカルな曲で徐々に盛り上げて、後半ロック・スタイルの曲でクライマックスを迎える構成にしたんだ。そうしてヘッドライナーとしてディープ・パープルがステージに上がった。「ブラック・ナイト」と「ハッシュ」はミュージシャン達と観衆がひとつになることが出来る、最高のフィナーレだった。『ジョン・ロードに捧ぐ~セレブレイティング・ジョン・ロード』には、そんなエモーショナルな瞬間が込められているんだ。

取材・文:山崎智之

『イアン・ペイス・サンフラワー・スーパージャム~ライヴ・アット・ ザ・ロイヤル・アルバート・ホール 2012』

2月25日発売
通販限定DVD+CD+Tシャツ 8,000円+税
通販限定DVD+Tシャツ 6,500円+税
初回限定盤DVD+CD 6,000円+税
通常盤DVD 4,500円+税
出演アーティスト:イアン・ペイス / ブライアン・メイ / ジョン・ポール・ジョーンズ / ブルース・ディッキンソン / ウリ・ジョン・ロート / アリス・クーパー / ミッキー・ムーディ / ブライアン・オーガー / マーク・キング[レベル42] / ザ・テンペランス・ムーヴメント / スティーヴ・バルサモ / サンディ・トム / アルフィー・ボー / ケリー・エリス
DVD収録内容 *CDは全15曲(M-6以外)収録
1.エイント・ノー・テリング (ザ・テンペランス・ムーヴメント)
2.火の車(サンディ・トム/ブライアン・オーガー)
3.カロンの渡し守 (ウリ・ジョン・ロート)
4.ロックン・ロール(ウリ・ジョン・ロート/アルフィー・ボー)
5.アイ・ウォナ・ノウ(ウリ・ジョン・ロート/アルフィー・ボー)
6.イントロダクション・バイ・スティーヴ・バルサモ
7.ピクチャード・ウィズイン(スティーヴ・バルサモ/ブライアン・オーガー)
8.サムシング・アバウト・ユー(マーク・キング[レベル42]/ブライアン・オーガー)
9.レッスンズ・イン・ラヴ(マーク・キング[レベル42]/ブライアン・オーガー)
10.エメラルド(ブルース・ディッキンソン/ウリ・ジョン・ロート)
11.ビハインド・ブルー・アイズ(ブルース・ディッキンソン)
12.ブラック・ナイト(ブルース・ディッキンソン/ブライアン・メイ/ジョン・ポール・ジョーンズ/イアン・ペイス/ブライアン・オーガー)
13.シンス・ユー・ビーン・ゴーン(ブライアン・メイ/ケリー・エリス/ジョン・ポール・ジョーンズ/イアン・ペイス/ブライアン・オーガー)
14.アリスは大統領(アリス・クーパー/ウリ・ジョン・ロート /イアン・ペイス /ブライアン・オーガー)
15.スクールズ・アウト(アリス・クーパー/ブライアン・メイ/イアン・ペイス/ブライアン・オーガー)
16.スモーク・オン・ザ・ウォーター(イアン・ペイス・サンフラワー・スーパージャム・アンサンブル)
*ボーナス映像
・オンリー・フレンド(ザ・テンペランス・ムーヴメント)
・ボーン・フリー(ブライアン・メイ/ケリー・エリス)
・アイ・ラヴド・ア・バタフライ(ブライアン・メイ/ケリー・エリス)

『ジョン・ロードに捧ぐ~セレブレイティング・ジョン・ロード・アット・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』

通販限定豪華仕様メモリアルボックス(Blu-ray+3CD+Tシャツ+復刻パンフ) 10,000円+税
通販限定豪華仕様メモリアルボックス(2DVD+3CD Tシャツ+復刻パンフ) 9,500円+税
初回限定盤Blu-ray+3CD 7,500円+税
初回限定盤2DVD+3CD 7,000円+税
通常盤Blu-ray 5,000円+税
通常盤2DVD 4,500円+税
通常盤3CD 3,500円+税
出演アーティスト:ディープ・パープル(イアン・ギラン / ロジャー・グローヴァー / イアン・ペイス / ドン・エイリー / スティーヴ・モーズ)/ ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン)/ グレン・ヒューズ(元ディープ・パープル、カリフォルニア・ブリード)/ ポール・ウェラー(元ジャム、スタイル・カウンシル)/ リック・ウェイクマン(元イエス)/ バーニー・マースデン(元ホワイトスネイク)/ ミッキー・ムーディ(元ホワイトスネイク)/ スティーヴ・バルサモ / ミラー・アンダーソン(元キーフ・ハートリー・バンド) / マルゴ・ブキャナン / ジェレミー・アイアンズ / フィル・キャンベル(ザ・テンペランス・ムーヴメント) / サンディ・トム /ステファン・ベントレー・クライン / オライオン・オーケストラ(ポール・マン指揮)
Blu-ray収録内容 *DVDは2枚、CDは3枚に収録
1.ファンタジア
2.ダーラム・アウェイクス
3.オール・ゾーズ・イヤーズ・アゴー(スティーヴ・バルサモ/ミッキー・ムーディ)
4.ピクチャード・ウィズイン(ミラー・アンダーソン)
5.スペインの哀愁(リック・ウエイクマン)
6.ワン・フロム・ザ・メドウ(マルゴ・ブキャナン)
7.ブーレ
8.アフターワーズ(ジェレミー・アイアンズ/ポール・マン)
9.シングス・ゲット・ベター(ポール・ウェラー)
10.アイ・テイク・ワット・アイ・ウォント(ポール・ウェラー/ミッキー・ムーディ)
11.サイラスとジェローム(フィル・キャンベル:ザ・テンペランス・ムーヴメント/イアン・ペイス/バーニー・マースデン)
12.禁断の誓い(フィル・キャンベル:ザ・テンペランス・ムーヴメント/イアン・ペイス/バーニー・マースデン)
13.ソルジャー・オブ・フォーチュン(スティーヴ・バルサモ/サンディ・トム/ミッキー・ムーディ)
14.ユー・キープ・オン・ムーヴィング(グレン・ヒューズ/ブルース・ディッキンソン/イアン・ペイス/ドン・エイリー/ミッキー・ムーディ)
15.紫の炎(グレン・ヒューズ/ブルース・ディッキンソン/イアン・ペイス/ドン・エイリー/リック・ウェイクマン)
16.ディス・タイム・アラウンド(グレン・ヒューズ)
17.エイント・ノー・テリング(ザ・テンペランス・ムーヴメント)*CDのみ収録日本盤限定ボーナストラック
18.カロンの渡し守(ウリ・ジョン・ロート)*CDのみ収録日本盤限定ボーナストラック
19.アンコモン・マン
20.アバヴ・アンド・ビヨンド
21.レイジー(ステファン・ベントレー・クライン)
22.ホウェン・ア・ブラインド・マン・クライズ
23.パーフェクト・ストレンジャーズ
24.ブラック・ナイト
25.ハッシュ(ブルース・ディッキンソン/リック・ウエイクマン/フィル・キャンベル/バーニー・マースデン/ミッキー・ムーディ)
*ボーナス映像
・ドキュメンタリー/参加アーティストインタビュー/バックステージ映像などを収録(約63分収録)
・イアン・ペイス インタビュー映像(日本盤限定ボーナス映像)


『ディープ・パープルMKⅡ~ライヴ・イン・ロング・ビーチ1971』

2月25日発売
通販限定CD+Tシャツ 4,000円+税
通常盤CD 2,500円+税
メンバー:リッチー・ブラックモア(ギター)/ イアン・ギラン(ヴォーカル) / ジョン・ロード(キーボード) / ロジャー・グローヴァー(ベース) / イアン・ペイス (ドラムス)
1.スピード・キング(11:05)
2.ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン(11:12)
3.チャイルド・イン・タイム(20:25)
4.マンドレイク・ルート(27:18)
※トータル収録時間:70分

◆『ディープ・パープルMKII~ライヴ・イン・ロング・ビーチ 1971』オフィシャルサイト

◆『ジョン・ロードに捧ぐ~セレブレイティング・ジョン・ロード・アット・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』オフィシャルサイト
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