【BARKS編集部コラム】ハイレゾは、音楽の裾野を広げる救世主となるか?

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我慢できずにやっぱり手に入れた。これはソニーが放つ最高品質を誇るポータブルオーディオプレーヤーNW-ZX2、ハイレゾ対応の最新ウォークマンだ。

◆NW-ZX2画像

私はこれまでもAK100、AK120、AK240、そしてCalyx MにCOWON PLENUE 1と様々なハイレゾ・プレイヤーを手にしたけれど、実はこれらを購入したのはハイレゾ音源を聴きたいからではない。ただただ単にいい音で音楽を聴きたい…それだけの理由だ。そもそも自分が所有している曲データは、高圧縮のMP3からFLAC、WAVまでフォーマットやビットレートも様々で、ハイレゾなんかはほんの一部にすぎない。仕事上日々聴いている新作のサンプル音源もCDのため、ハイレゾを意識する機会は非常に少ないのだ。

そんな日々の中で、NW-ZX2を手にしたのは、日本が誇る最高品質のサウンドを楽しみたかったからなのだけど、たまたまプリインストールされていた楽曲「Bee Moved」を聴いてみて、ちょっとばかり耳を持って行かれた。「なんだこれ、すげぇ音いい」。何も期待していなかったところへの不意打ちというインパクトもあったのだけど、音を発する直前のギリギリまで張り詰めた空気の、あの音なき圧までもが気配として伝わってくる。

「この音はいつも聴いているレベルじゃないな」…と音源に注目してみたところ、こいつがいわゆるハイレゾ音源だった。

実のところ、音楽メディア編集長の立場に身を置きながら、これまでハイレゾの素晴らしさに触れることに対しては静観の立場をとっていた。昨今の狂騒的なハイレゾブームに違和感を感じていたからだ。

その違和感とは、「供給側の熱い思い」に対し「オーディエンス側の意識の薄さ」のギャップの大きさからくるもので、その隔たりを知りながらも、飾られた言葉でハイレゾが語られていることへの違和感である。もっと簡単に言ってしまえば「音は良い方がいい」という価値観が“絶対である”かの前提で語られていることへの違和感だ。「そりゃ良い音のほうがいい…のかもしれないけど、でも別にどうでもいい」くらいが一般人の感覚なのに。一風堂のラーメンで十分満足しているのに、赤坂の超高級フカヒレラーメンを無理矢理食べ歩きさせられているような困惑と同じ感じだ。

実際「ハイレゾを聴いても良さがいまいちわからない」という声も耳にする。それ以上に「良さが分からなかった」と言えない空気もある。とりあえず「やっぱ凄いっすね~」と言っとけ的に話が処理されていく。それでは本当の意味でハイレゾ文化が発展していくとは思えない。私見であり完全な独断だが、ハイレゾの良さを感じられるかどうかは「耳の良さ」ではない。「感受性の豊かさ」でもない。ひとえに「経験」であると私は思っている。

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ハイレゾの凄さ/魅力を存分に享受するには、プレイヤーやイヤホン/ヘッドホンの高い品質が問われるけれど、問題は聴き手側で、その圧倒的な情報量をどう受け取ってどう解釈するのかに問題がある。要は聴き所や高音質のツボをどれだけ知っているかという話で、耳がいいとか悪いとかではなく、微細な音の違いを聞き分けるポイントを理解しているか否かにすぎない。高級ワインの美味しさは、相応の経験を積み重ねてこそ語れるようになるものだと思うが、それと似た世界だと思っている。要するに音楽ソムリエとでも呼べばいいのか、多くの音楽を深い集中で聴き込んできた人間であればこそ、微細なサウンドに隠されたアーティストのこだわりや個性、サウンド全体に及ぶミュージシャンの匂いのような癖や特性といった、機微の世界を嗅ぎとる能力が備わってくる。そこにこそ面白さや感動の源泉が隠されていたりもする。そして、そういった折り重なった感情のヒダのようなディテールを、アーティストの意思のまま忠実に再現してくれるフォーマットがハイレゾである、というだけのことなのだ。

多くの音楽体験を持ち合わせていれば、それに応じてハイレゾの凄さが実感できるだろうし、音楽の深みにハマった人間であればこそ、その音の素晴らしさに強い感銘を受けることになるだろう。私は、学生時代から音楽にしかコミットしてこなかった人生を歩み、多くの時間を音楽鑑賞/音楽制作に費やしてきたので、ハイレゾのありがたさは非常に身にしみる。隠し味のようなアーティストの密かなるこだわりや、一番マニアックで美味しいところが浮き彫りになるので、やはりハイレゾ音源は特別な存在だ。

そんな理由から、ハイレゾの魅力を語る行為は、ともするとその人個人にしかわからない極めてマスターベーションなものになるので、多くを語るつもりもなかった。…のだけど、「Bee Moved」から伝わってきた音楽の深遠さを好きな作品で堪能したいという衝動が止まらない。こうなりゃなりふり構わずダウンロードである。

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まずは当然のようにドナルド・フェイゲンから。ハイレゾを存分に楽しむにおいて『The Nightfly』と『Kamakiriad』を避けて通るわけにはいくまいて。いずれも音の陰影のレンジと階調の深さが手に取るように伝わってくる作品で、彫りの深さがより明確になる。音楽は音符と休符で成り立っているわけだけど、音の鳴っていない休符部分がいかに表情を左右するかを、ハイレゾ音源は雄弁に語ってくれる。広大で澱みなき何もないサウンドステージが目の前に出来上がり、音源を配置するその空間の有り様がいかにその音楽のベーシックなサウンドキャラクターを作り出しているかが分かる。ハイレゾだと『Kamakiriad』のほうが音に重みがあり、空間の密室性が上がっていることも伝わってくる。音に重量があるとすれば、『Kamakiriad』の総重量は『The Nightfly』の1.5倍位はありそうだ。もちろん“音の体重の存在”を感じさせるのがハイレゾ最大の功績である。

マニアックな音源でディテールを語っても伝わらないので、有名かつ素晴らしいサウンドを持った作品としてイーグルス『ホテル・カリフォルニア』もダウンロード、さっそく1曲目の表題曲をチェックした。有名なこのイントロもこれまで何百回と聞いてきたものなので、さすがに新たな発見もないと思ったが、イントロからして12弦のアコースティックのドローン・コードとともにアルペジオにもロータリースピーカーでフェイジングされている様子が目の前に広がった。ドン・ヘンリーが歌い出すAメロに入っても、12弦アコギのアルペジオにかかるフェイザーが実に強力で、あのきらびやかさは、12弦の天然コーラス効果よりもゆったりとしたフェイザーが作り出していたことがありありと描き出される。耳には入っていたサウンドだけれど再認識したのは新鮮だった。もしかしたらこれはフェイザーではなく、マルチマイクによる位相のズレを積極的に活用した斬新なレコーディングテクだったり…と無駄な妄想も楽しくなる。

エレキギターでもトーン自体がグッと立ってくるので、最後の掛け合いツインギターではジョー・ウォルシュのギターソロのほうがゲインが高めなことにも気がついた。フェイザーによってちょっと奥に引っ込んでしまうことを念頭に置いたミックスなのかもしれない。ソロ出だしのドン・フェルダーはフェンダーデラックスアンプに突っ込んだ1959レスポールサウンドだが、始まり2拍目裏のグリっというピックノイズすらスピード感をもって伝わってくる。アタックが潰れずにリアルに聞こえてくるので、MXRのダイナコンプによってコンプレッションされたサウンド作りの妙がこのノイズひとつで伝わってしまうのも、ハイレゾならではの深淵さだ。(…と、ほらね。コンプのエフェクトによってアタックがどう変化するのかを経験上知っているから、このトーンの面白さに気づくことができる。耳がいいのではなく、知識が音楽の理解度を深めているだけなのがわかるでしょ?)

往年の名盤もいいが、こうなると現在の邦楽サウンドがどうなっているかも気になってくる。近年では頭ひとつ抜きん出て素晴らしいサウンドを聴かせるアーティストとして、大いにリスペクトしているJASMINEのハイレゾをダウンロードした。現時点ではベストアルバム『PURE LOVE BEST』が96.0kHz/24bitで配信されているが、これがまた、CD音源とは情報量が雲泥の差となっている。結果サウンドの違いとなって出てくるのは、音の鮮度だ。瑞々しくプリプリと弾けるように引き締まってタイトになるので、やはり空間の見通しが全く違ってくる。トーンの違いとなって現れるのは意外にも重低域で、ドラムのキックとそのアタックとともにサステインを見せるベースの輪郭がビビッドに描かれる。ドフッと音が抜け消えていく時のリリースタイムの設定が目に見えるようで、タイトながらもグルーブしまくるノリの良さは、この重低音のコンプセッティングに隠されていることが顕となる。

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2015年、ここに来て最新の邦楽から往年の洋楽まで、様々な音源のハイレゾ・リリースが続々アナウンスされている。当初はクラシックとジャズしかなかったハイレゾ音源も、2014年のアニソンのハイレゾ人気を皮切りにブームも本格化、いよいよハイレゾが特別なものではなくなってきた気配が漂ってきた。

私はいっそ、これからリリースされるすべての音楽がハイレゾになってしまえばいいと思っている。レコーディングスタジオで作られた100点満点の音がそのまま提供できるインフラがやっと整い、その音をそのまま受け取れる再生環境が普及し始めた今にあって、何故それを普通のこととしないのか。ハイレゾ機器は高価というイメージもあると思うが、ウォークマンAシリーズなどは2万円台で購入できる。3~100KHzという驚異的な周波数特性を誇るヘッドホンMDR-1Aだって2万円台だ。

私自身、CDパッケージに強い愛着をみせる典型的な世代の人間であり、人一倍音楽にのめり込んできたタイプの人間だけれども、あきらかに100点満点の音ではないCDにもはや未練はない。ましてCDを再生する機器も多くの家庭から消え失せている。ステレオやコンポ、ラジカセなどがリビングにあるはずもなく、すでにパソコンにすらディスクドライブはついていない。もはや家庭にはCDを再生する機器は存在しないのだ。CDはついに追いやられてしまった。音楽が売れないのではなく、CDが売れないのだ。CDに依存していると音楽そのものが巻き込まれて絶滅してしまうじゃないか。


「音楽が売れない」と音楽業界は喘ぐ。今更言うまでもなく、音楽がつまらなくなったのでもなければ、音楽のクオリティが下がったのでもない。インターネットインフラを基盤にあらゆる人がスマホを手にしたことによる、生活様式の変化が直接原因だ。24時間メッセージが飛びコミュニケーションが命綱となり、休む隙がない。現代人は忙しいのだ。余暇時間はなくなり、どうでもいい趣味の世界は価値観の四角に追いやられる。ながらで楽しむことができ、心のビタミンでもある音楽だからこそ、駆逐されずに今もなおエンターテイメントNo.1の座を保ち続けているが、音楽を聴くために時間を割き、音楽と真正面から対峙するほどの時間的/精神的余裕は、現代人はとても持ち合わせていない。そう、音楽と対峙する時間を奪われたのが音楽業界最大の失速理由だと、私は思っている。音楽ソムリエが育まれないし、ハイレゾの凄さにまで理解が及ばない。こだわりが生まれないので、価値観に変化も生じない。

ソムリエが家一件潰す勢いで世界中のワインを飲んで飲んで飲みまくってワインを知るように、音楽を知るには時間がかかる。60分のアルバムに触れるには60分かかり、そこに近道はない。自分の青春を音楽に捧げ、人生を音楽に注いだ音楽オタク達が、これまでの音楽産業を支え発展させてきたのだ。

ハイレゾには、アーティストが智力を注ぎ、プライドを輝かせ、才能を燃やし、自らを削り、瞬間のパッションを封じ込めたエネルギーが、全て余すところなくパッケージされている。そしてハイレゾ対応機器は、それを目の前に召喚してくれる夢の様なひとときを作り出す唯一のツールでもある。まるで魔法のように。ほんとうに大事なのは、音質云々なんかじゃない。この音楽がどれほど素敵で、どれほど感動的で、どれほど勇気をもらったか、だ。それを伝える手段として音質があるだけで、音質が音楽の価値を左右するのは本末転倒である。だからこそ、音楽はハイレゾだけあればもうそれでいいのだ。

レコードで青春時代を過ごし、カセットテープで音楽の大海原を泳ぎ、音楽制作活動から生のサウンドとレコーディングを知り、CDで音楽知見を重ねてきた今だからこそ、ハイレゾの存在が必然によるものだと私は確信している。

「せっかくハイレゾなんだから、じっくり聴いてみようかな」

そんな“音楽リスニング文化”を再燃させるだけでもハイレゾが生まれた意義がある。音質の良さは単なるきっかけだ。サウンドではなく音楽の良さの話を復活させることが、ハイレゾに課せられた本当の役割なのではないかと思っている。

text by BARKS編集長 烏丸哲也

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