【インタビュー中編】デヴィッド・カヴァーデイル「WSの新章の始まりになるかも知れないね」

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──ホワイトスネイクのメンバー達はディープ・パープルの楽曲をプレイすることについて、どんな反応を見せていましたか?

デヴィッド・カヴァーデイル:全員がスリルを感じていたよ。ディープ・パープルはあらゆるハード・ロックの原点だからね。特にレブは「ホワイトスネイクに加入して一番興奮したことだ!」と身を震わせていたよ。ただ、みんなクリエイティヴなミュージシャンだし、オリジナルを再現するだけではなく、幾つもの新しいアイディアを加えてくれた。

──アルバムのレコーディング作業はどのようなものでしたか?

デヴィッド・カヴァーデイル:最初から最後まで、熱気に満ちたものだったよ。このアルバムにおける演奏の基準を決定したのは、トミー・アルドリッジのドラムスだった。最初に彼が凄まじいドラム・プレイを叩いたせいで、全員に最高峰のレベルの演奏が求められることになったんだ。私と共同プロデューサーのマイケル・マッキンタイアはコントロール・ルームで顔を見合わせて、「す、凄い!」と唸ってしまった。私も40年以上このビジネスでやってきて、さまざまなミュージシャンが演奏するのを見てきた。でも、このアルバムでのトミーのドラムスには、息を呑むしかなかったよ。まるで炎に包まれているようだった。


──「紫の炎」や「嵐の使者」、「テイク・ユア・ライフ」「幸運な兵士」「ミストゥリーテッド」など、過去にホワイトスネイクで歌ったナンバーも含まれていますが、アルバムの選曲はどのようにしたのですか?

デヴィッド・カヴァーデイル:私が最もしたくなかったことは、ファンを失望させることだ。「自分が好きなあの曲が入っていなかった…」と嘆かせたくなかったんだ。だから第3期・第4期のアルバムで、私がソングライティングに関わった大半の曲をレコーディングしたよ。君の言うとおり、ホワイトスネイクを始めてからもライヴでディープ・パープル・ナンバーを披露することがあった。それぞれに異なった、興味深い事情があるんだ。ジョン・ロードがホワイトスネイクに加入したとき、アルバム『トラブル』(1978)ではピート・ソリーというセッション・キーボード奏者を起用して、ほぼ完成していたんだ。でもピートの演奏を消去して、ジョンのパートをオーヴァーダブした。それでもライヴだと、キーボードを大々的にフィーチュアした曲がなかったんで、パープル時代の曲をライヴ・セットに入れることにした。それが「テイク・ユア・ライフ」だったんだ。この曲は元々『紫の炎』のレコーディング・セッションで、ジョンが持ってきたアイディアを発展させて仕上げた曲だしね。『ザ・パープル・アルバム』のテイクではジョエルがスライド・ギターで手慣らししていたフレーズが素晴らしかったんで、それをイントロに持ってきたんだ。
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