【インタビュー後編】デヴィッド・カヴァーデイル「私がレインボーを歌って、リッチーがホワイトスネイクを弾いたら…」

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──ぜひ実現させて下さい!

デヴィッド・カヴァーデイル:ついさっき、グレン・ヒューズと電話していたんだけど、我々はこれから歳を取っていく。だから、まだ立っていられるうちに、ディープ・パープルの生き残りメンバー全員がステージに立って、ひとつのビッグ・ステージをやるべきだと話したんだ。私がイアン・ギランと「ハイウェイ・スター」や「紫の炎」をデュエットしたり、ロッド・エヴァンズと「ハッシュ」を歌ってもいい。私がイアン・ギランと出会ったのは、ロジャーが企画したロイヤル・アルバート・ホールの『バタフライ・ボール』コンサートだった(1975年10月)。実際には初めて会ったのはそのしばらく前だったけど、あのコンサートでは楽屋で酒を飲み交わして、友達になったんだ。もしイアンが今、私の家の玄関のドアベルを鳴らしたら、彼を招き入れて、どんなワインがご所望か訊ねるよ。それに、リッチーとスティーヴ・モーズがギター・バトルをしたら最高じゃないか!スティーヴとは会ったことがないけど、彼のいたディクシー・ドレッグスは好きだったし、彼が凄いギタリストであることは知っている。それにドン・エイリーは『白蛇の紋章』と『スリップ・オブ・ザ・タング』というホワイトスネイクの2大ヒット作でプレイしている。ディープ・パープルはひとつの大きなファミリーなんだよ。40年以上バンドを応援してくれた世界中のファンに対して、最後にビッグな贈り物をしてもいいと思う。

──ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたジョン・ロード・トリビュート・コンサート(2014年4月4日)が再結成のチャンスだったのではないでしょうか?

デヴィッド・カヴァーデイル:残念ながら私は参加できなかったんだ。両膝の手術の後で、飛行機の狭い座席に押し込められて10時間を過ごすのは不可能だった。ジョンの娘サラのことは赤ちゃんの頃から知っているけど、彼女と電話で話して、自分のハートだけはロイヤル・アルバート・ホールに向かうと伝えたよ。

──もし出演していたら、イアン・ペイス、バーニー・マースデン、ミッキー・ムーディーも参加していたし、初期ホワイトスネイクの再結成も可能性がありましたね。

デヴィッド・カヴァーデイル:そうだね。気をつけなければならないのは、それがジョンの魂に捧げるものだということだ。彼の名前を利用して、自分のショーをやりたいだけだったら、正しいことではないよ。初期ホワイトスネイクのメンバー達についていえば、一時は彼らが別のシンガーを雇って、昔の曲をやっていたことには少し首を傾げた。まあ、私には自分の人生があるし、彼らには勝手にやってくれと、無視していたけどね。でも数年前、バーニーとロンドンのヒースロー空港で偶然出くわして、それからまた話すようになったんだ。その後、彼は何度かホワイトスネイクのステージにゲスト参加してくれたし、彼のソロ・アルバム『Shine』(2014)では私が「トラブル」のリメイクでヴォーカルを取っているよ。私とミッキーはブルースが大好きで、「ラヴ・ハンター、ベイビー♪」みたいな感じだった。一方バーニーは常にメロディアスなギタリストだった。「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」はバーニーと私で共作して、世界中で大ヒットしたんだ。
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