【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第36回「小机城(神奈川県)卓偉が行ったことある回数 3回」

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神奈川県の城というとやはり最初に来るのが小田原城だろうか?その流れで石垣山城という感じだろうか?
いや、違うのだ。小田原城は復興天守だからマニアからすると少しもイケてないのだ。
いや、イケてないのはそのデザインだったかもわからないまま再建された天守だけであって、城としては素晴らしいとは思う(城の裏の空堀や堀切なんて大好物だ)

でも、神奈川県なら、もしくは横浜なら、都内からもこんなに近い距離にこんな名城があることを誰も知らない。
何度も言うが中島卓偉がこれほどまでにいい曲を書き続け歌い続けているのとまったく同じくらいだ。

初めて小机城に来城したのは18歳くらいの頃だろうか?神奈川県出身の友達がこう言った。


友達「俺さ、実家引越したんだよ」
私 「何処に?」
友達「神奈川の中でなんだけどさ」
私 「あれ?おまえんち横浜じゃなかったっけ?」
友達「まあそうなんだけど、小机っていうとこに引越したんだよ」
私 「ああ、小机城があるとこな」
友達「は?何それ?」
私 「だから、小机城がある街な」
友達「は?知らねえし、そんなの」
私 「いや知らねえしじゃなくてその街にはそういう最高な城があんだよ、最寄りはあれだろ?横浜線の小机駅だろ?あるんだよ、そこに、すげえ城跡があるんだよ」
友達「城跡ってことなら城なんてもうねえのと一緒じゃねえかよ」
私 「城跡って言ってもそこに城があるには変わりねえんだよ」

彼にしてみたらとてもうざい会話だったと思う。そうなのだ、城マニアは例え天守が無かろうと、極端なことを言えばそこに何一つ残ってなかろうと、城がそこに存在したという事実があれば、現在も城はそこに存在しているのである。

これがとてもうざい。うざいことはわかっているのだが城マニアはみんなこういう解釈なのだからむしろわかってもらいたい。いや、むしろうざいなんて思ってない。マニアからしたらこれが普通、いや、普通という表現と言葉が嫌いだ、どうしたらいい?どうすればいい?この気持ちをどう表現したらいい、原稿用紙何枚分だ?(それがうぜえんだよ)

城の中を第三京浜と横浜線が突き抜けてしまっている城、住宅街の中に急に現れる城、日産スタジアムとそのスケールのでかさを張り合っている城(と、城マニアだけは思っている)横浜を語る上でなくてはならない城、それが小机城だ!

例えば、横浜アリーナにライブを観に行くとか、新横浜NEW SIDE BEACH!でてめえのライブがあるという場合、第三京浜を港北インターで降りたら、目の前に日産スタジアム、左は第三京浜、右のこんもりしたオムレツの山は小机城、というのが私の地理的感覚である。

なので、いつも「おお、小机城、今日もありがとう、いや、いつもありがとう」と言って敬礼するのが基本となっている。


城が建てられたのはおそらく1400年代。城の歴史としては戦国時代より更に遡る、早過ぎた城と言えるかもしれない。にも関わらずこのクオリティー。石垣で作られた城ではなく、ひたすら土塁と空堀、そして堀切で構成されている。

だがなんとも言えない雰囲気があるのだ。どの季節に行っても、城の大手を超えて、山道を登り出すと、聞こえて来るのは、第三京浜を走る車の音と、虫と自然達のオーケストレーション、そして自分の足音だけになる。とても幻想的なのだ。夏は城内だけはとても涼しい、虫さえ嫌じゃなければ夏もお勧めだ。

タイムスリップとはまさにこの城内に足を踏み入れた時を言う気がするのである。まあ当時は当然車の走る音なんてないのだが、そのギャップがたまらない。1400年代にタイムスリップしてるのにも関わらず、現代の車のエンジン音が聞こえて来るこの有り得ないギャップ感がたまらないのである。

そして城内が良く整備されていることにも感謝だ。これだけの土塁の城にちゃんと木でもって階段を設置してくれてるところ、とても歩きやすいし、見学しやすい。道として危ないところはちゃんと立ち入り禁止になっている。

もっとも、小机城は竹に覆われた山ということもあって竹の子がたくさん採れるらしいが、それを採っちゃいかんよという意味もあるのだろう。至る所に「竹の子採るな」という貼り紙がある。たけのこ族出身の方々はいよいよ苦笑いである。

当時はこの竹の子は存在しなかったと想像して見学してほしい。そうなのだ、時代と共に、どんな場所もどんな城も廃城になって一度自然に帰ってからは木も草も髭も生え放題なのである。むしろはみ毛なのである。

そう、当時はこの竹はなかったのだ。それをイマジンしながら見学するとまた面白いと思う。深く掘った堀にもたくさんの竹が生えているがこれも後付け。自然に帰ってからのものである。だとすると当時は城を築く為にかなりの木を切ったはずだからわりかし山と言うより小高い丘、な風格だったかもしれない。


こういう城、こういう時代の城の素晴らしさは、やはり空堀にあると言える。こんな山道に突然、何でこれほどまでに深い空堀が登場するのだ?とテンションが上がりまくる。そのアイディア、その唐突な感じに脱帽だ。急に曲が終わる、もしくは急にサビが来る、そんなインパクトに近い。そして、本丸は美しいくらいに平らになっている。はらたいらに3000点くらい平らになっているのがわかる。ちゃんとここで暮らせるようにと作ったわけだ。山の上にこんな平地、凄い。いやむしろ竹下景子に5000点でもいい。

後は土橋であろう。わかりやすく説明するとこの土橋の高さが本来の山の地形であり、この高さから堀をあの深さまで掘ってこの防御が成立しているのである。そこもイマジンしてみると楽しさ倍増だ。当時はもっと深かったはずである。時代と共にどうしても土砂で堀は埋まってきてしまうものだからである。

小机城は当時の歴史のデータが少なく、はっきりと言いきれない部分が非常に多い城だ。城のてっぺんの曲輪を本丸と言ったとしても、その下の曲輪を二の丸とは言い切れないと言う。確かにはっきりとそう呼んでいたデータがないのに断言、断定はできないものである。そういうことを敢えて決めないところ、横浜市に拍手だ!そういうの好きだぜ~。ここ最近歴史の真実がひっくり返され、歴史の教科書も記載が変わっている昨今、わからないなら、わからないと言える強さ、これが素晴らしいと私は思う。

だからこそCo Coに、いや個々に「はんぶん不思議」の方ではなく個々に、歴史をイマジンしてほしいと思うのである。

電車で来るなら横浜線の小机で下車、線路を挟んで日産スタジアム側に小机城はある。反対側に降りてしまった場合に途中の道なりに、横浜市城郷小机地区センターがある。ここで何かしら城の地図なり周辺のマップなどあったらもらおうと入って聞いてみると、働いている方達がみんないい人で困った。何人も出て来てくれて城の行き方などを説明してくれた。3度目に訪れた先月5月の暮れ、とても暑い日でTシャツ1枚両腕の刺青を出しての小机来日来城であったが、皆さんの対応の優しさと温かさに卓偉感動。正直こんななりで城マニアや歴史好きなんて言っててもやはり白い目で見られがちなのだが、ここの地区センターの方々は素晴らしかった。サンキュー地区センター!今度小机城の入り口に私のポスター貼らせてください!そんで竹の子採っても怒らないでもらえます?あほか。

でもやっぱり見た目で判断しないでくれたこと、これが嬉しかったのだ。よっしゃ地区センターの方々が卓偉の横浜でライブやる時は、観に来てくれるならチケット用意します!毎回!永遠に!ってこのコラム見てるわけねえわな。

現在の小机城は小机城址市民の森として開放されている。だがここにこれだけの城があることを誰も知らない、横浜の人はもっと知らないと思う。江戸時代に入り、廃城になってから約400年以上忘れ去られていた城、街の開発の為に線路と高速道路が城内を切り裂き、そのおかげで城の反対側の部分が失われてしまった。仕方ないことであるが城マニアからすると寂しいものである。都内から港北インターで降りず第三京浜を使う場合は小机城をぶち抜くことになるので、いつも


「ああ、小机城、すんません、いや、いつもすんません」と言って敬礼してアクセルをローズして踏み込む私だ。広島県の福山城も新幹線の駅がおもくそ城内をぶち抜いていて、切ない。新幹線の中からなら得した気分になるのだが、いざ見学するとぶち抜かれた部分がどうなっていたのか見たくて知りたくていたたまれない気分になる。まあもう後の祭りなのだが。

現代に残る城もいろんな運命を辿って現在に至っている。空襲で焼失してしまう場合。江戸時代や明治時代に廃城になり、取り壊される場合。忘れ去られて自然に帰っていく場合。死んだ後に評価が高まる後付け天才のパターンの場合。死んだ後にコアなファンだけが集まって「ああ、何で卓偉は売れなかったんだろうね……。」と語り合ってしまう場合。だがそのほとんどが整備もされながらこうやって現代にまでちゃんと残っていることが歴史マニア、城マニアとしては本当に嬉しいことなのである。

ロックンロールと同じで、城も継承して行く文化であってほしいと願うばかりである。そうなのだ、私は伝えたいのだ、城の素晴らしさを。どれだけの時間をかけ、どれだけのお金を使い、どれだけ頭をひねってアイディアを出し、たくさんの農民を動員し、とてつもない精神力を駆使して作られたのが城だ。攻められたら終わりなのだ。防御が甘かったり、考えられてなかったらすぐに攻め落とされてしまう。命をかけて築いたのが城なのである。

なもんでここ最近、やっぱりガチで建物が残ってる城より、こういった土塁や堀だけしか残ってない城の方が魅力を感じるようになった。チャンネルが無数にあるレコーディングよりも60年代まで4チャンネルしかなかったあの潔さというか、ステレオじゃなくてモノというか、デジタルというよりアナログというか、やはり全部自分で作詞、作曲、編曲、楽器演奏、パフォーマンスをしてしまう卓偉の方がどれだけ凄いかっていうか。

余談だが初めて来城した20年近く前、小机で下車し、よくわからないまま目の前の丘を城だと思い登って行ったら一向に城らしきものが見えて来ない、そのまま更に横伝いに歩いて行くと、人の家の畑に出くわした。

そこで作業してるおじいちゃんに「小机城ってこのへんですか?」と聞いたら

「何それ?城?そんなものはないよ」と言われてしまった。そうなのだ、地元の人でも知らないのだ。

で、結局、道行くお巡りさんに聞いて城までたどり着けたのだが、今よりも当時はもっと城の評価が低かったと思う。だからこそ伝えたい、横浜の城と言ったら、小机城である!卓偉の最新アルバムは『煉瓦の家』である!宣伝か!

ああ、小机城、また訪れたい……。

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