【インタビュー】石川智晶、新作『物語の最初と最後はいらない』で紡ぎ出される珠玉の“移ろい”

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石川智晶が9月16日にニューアルバム『物語の最初と最後はいらない』をリリースする。2014年にはミニアルバム2作をリリースし、より“今の自分が感じていること”を表現することにウェイトを置いてきた石川智晶。今作アルバムでもその潔い制作スタイルは健在だ。そんな石川智晶のフットワークを下支えする類まれなる感性や哲学の一端についても、今回聞くことができた。

◆石川智晶 画像

■ここまで綺麗に整理整頓されて、作品の辿り着くべき形が見えたのは初めてだったから、“私、死ぬんじゃないか?”と(笑)。

――いやはや素晴らしいタイトルですね。『物語の最初と最後はいらない』とは、実に石川智晶らしい。

石川智晶(以下、石川):ですよね。自分でも思いました(笑)。なんだろう? 普段から持っている潔さに拍車が駆かっているというか……まだ生きていくつもりだけど、どこかで“もう死ぬんじゃないかな”って(笑)。

――ははは! その感覚、ちょっとわかります。いわゆる生き物としての死ではなく……。

石川:うん。制作の上での安楽死って感じ。どんどん突き詰めていってるんだけど、まったく苦しくもなく、むしろ、とても楽になってきているんです。何も難しく考えてなくて、このタイトルも特に何か考えて捻り出した言葉なわけじゃなく、フッと浮かんできたんですよね。そこに向かってアルバムを1枚仕上げる……言い換えれば帳尻を合わせてるだけだから、言ってみたらザツなんですよ。変に計算して積み上げるのでもなく、ほぼ暴力的にワードを投げつけているだけ! それくらい超感覚的に作っているから、作品について話すことも無くなってきているんですよね。

――ある意味“生きる”って辛く苦しいことで、日々“葛藤”があるものじゃないですか。その真逆に“安らぎ”というものがあるのなら、それは“死”にほかならない。

石川:そうですよね。もう、何もかも削ぎ落としすぎていて、厄介なものが無くなってきている。もちろん制作の実作業の上では、自分以外の人間とのやりとりが必要になってくるので、いろいろ面倒くさいこともありますよ。ただ、頭の中はホントに自由で、そこから生まれた発想を、そのまま形にしているだけ。しかも、ソレがここまで綺麗に整理整頓されて、作品の辿り着くべき形が見えたのは初めてだったから、“私、死ぬんじゃないか?”と(笑)。

――タイトルが降りてきた時点で、作品の完成像が明確に見えていた。今回、1曲目から順に制作されたというのも、それゆえ?

石川:そうですね。もう、見えすぎて怖いくらい(笑)。ただ、そこで何を訴えたいとか伝えたいとかってことを、説明しすぎるのは嫌なんです。音楽の喜びも限界も知っているから、例えば「皆さんにこういうふうに感じてほしい」とかって言ったところで、ちょっと無意味だよなとも思ってしまうし。

――人間の思考も感情も人それぞれで、完全に共有することはできない以上、どんなに濃厚なメッセージも万人に理解してもらうことなんて不可能である。そのことをわかっていらっしゃるんですね。

石川:わかってます。そうなると、良し悪しの判断基準は“自分がどれだけ好きにやれるか?”というところに掛かってくるわけで。実際、さっきも言ったとおり実作業では細かいオーダーをミュージシャンに出したりもしたし、でも、どこかで“でもなぁ”と思っちゃうんですよ。“こうしたい”と思う理想があればあるほど、やっぱり零れていく……思い通りにいかない部分も増えてくるし、だから時には「あ、もうココはいいよ!」ってザツに扱ったりもして。

――ある意味“好きにやる”って、大いなる自己満足でもありますからね。

石川:だから、もう“感じろ!”っていうだけなんですよ。タイトルが降ってきたとき、改めて“ああ、やっぱり最初と最後っていらないんだな”と再認識して、そこから超感覚的に作っているだけだから、むしろ言葉で説明してはいけない領域に入ってきてる。アルバム幕開けの表題曲にしても、言いたいのはサビの“移ろいこそが生きている物語”っていう、ココだけ!



――そこは『物語の最初と最後はいらない』というタイトルの根幹にもなってません? とかく人間って最初と最後を求めたがる生き物ですけれど、例えば童話の“昔、昔あるところに~”の前にも“めでたしめでたし”の後にも、本当は物語って存在するはずじゃないですか。

石川:そうなんですよね。お姫様の物語で例えるなら、森の中を魔女に会うかもしれない!と怯えながらトボトボと歩いてる、それが私たちの人生というかエブリデイじゃないですか。もちろんオリンピック選手とかが努力を重ねて、金メダルを取ったりするのは素晴らしいことだし、そういったある種の達成感を糧に生きていくことを否定はしないけれど、メダリストにはメダルを取った後にも続いていくコンティニューがあるわけで。誰も自ら選んで生まれてきたわけではなく、どこで人生がチョン切られるかもわからないんだから、最初と最後っていうのは本来、神に委ねているものですよね。そんなポッと生まれて突然フッと消えてしまうモノに対して、あまり始まりだとか終わりだとかを掲げるのは、“生きる”という本質から外れることなんじゃないかと思うんです。人生は与えられ、委ねられているもので選べない。そんな“生きる”ことの倦怠感を歌えたらなと。

――そういった石川さんなりの哲学を納得するのではなく、感じてほしいと。

石川:納得するっていうのは物語の最後=答えを見つけるってことですからね。人間が全ての物事を納得して解決することなんてできないんだから、時には“最後”を見つけることをあきらめなくてはいけない。結局は移ろいだけが全てだってことをわかって、初めて愛や勇気を歌えると思うんです。

――不可能とわかっていても挑む……それこそが人間の本質であり“勇気”なのかもしれない。

石川:うん。そうですよね。結局は人生ってムダなことの連続で、人もモノも永遠に歩み寄ることはない。その現実を一番残念に思っているのは私なんですよ。だからこそ何回も歌うのかもしれないですね。

――なるほど。一方、サウンド面に目を向けると石川さんらしいコーラスアクションがふんだんに盛り込まれていて、ミステリアスなムードを高めていますね。まさに石川智晶の王道。

石川:やっぱりコーラスアクションは常に押し出したいところなので、毎回ぶつけていこう!と(笑)。ただ、コーラスでは宇宙の言葉みたいなものを使って、自分で言語を作っちゃってますから、意味もなければ曲や歌詞とも全く関係ない。そのへんも自由度高めてやってます。

――聞いたことのない言語だからこそ神秘的に響くんですよね。なので2曲目「兄妹~aniimouto~」のイントロが流れたとき、ピアノをバックにしたコーラスが、意味のわかる日本語になっている!と驚きました。

石川:そうなんです! でも、そのへんも特に意図があったわけではなく、あんまり考えずに一発で入れてるんですよ。歌詞のほうは……親子でも兄弟でも、血が繋がっているのに相入れなかったりするじゃないですか? そういうのを私、一生書いてやりたくて、アルバムでは毎回そういう曲を一つ入れてるんですよね。

―― 一生書いてやりたいって、なぜ?

石川:わかんない(笑)。ただ、血の繋がりって一番語ってはいけなくて、語りたいものなんです。よく“身内なんだからわかり合えるはず”とかって言うけれど、その先入観を神のように削ぎ取ってやりたい。むしろ、わかり合えるはずだと思っているからこそ、どんどんズレていってしまう……それって血の繋がっている身内の間でしか起きない現象なんですよね。

――ああ、わかります。他人ならズレていて当たり前だと許容できるズレが、身内だからこそ許せない。

石川:そうなんですよ。血の繋がりって絶対に切れないから。それで苦しんでる子が私のファンにもいたりするので、この曲が彼女たちのハケ口になったらいいなぁと。で、そういった密接な関係性を描くとき、やっぱり異性のほうが変な意味じゃなくエロくて良いなということで、今回は兄と妹にしました(笑)。

――しかし、この「兄妹」にせよ、続く「水のないプール」にせよ、物語性の高い情景の浮かぶ曲が並んでいるのは面白いですね。

石川:基本的に私は物語を歌っていきたいので、ドラマチックであることは最優先なんです。だけど、そこに起承転結は無いんですよ。要するに物語の最初と最後は無い。例えば「水のないプール」にしても、男の子が学校のプール横をほんの何百メートルか歩いている、その間の意識だけをフォーカスしているんですよね。やっぱりね、朝起きてから夜寝るまでの全部を語っちゃダメなんですよ。この前どこかで小学生の絵を見たときも、金賞になっていたのは玉入れの玉を仁王立ちして待っている男の子を背中から描いた絵で、そうやって“今”を切り取ったもののほうがドラマとして魅力的なんです。

――なんとなくわかります。ちなみに「水のないプール」とは、用途を満たしていないものの例え?

石川:うん、そうですね。中身のない僕だったら、僕は別に僕ではないという。主人公が前に進んでいるわけでもなく何かを知ったわけでもない、そんな倦怠感というか“物語の最初と最後がない”感じを、少年とか青年を使って表すのが私、どうやら好きなんですよ。「兄妹」も男の子目線の曲だし、とにかく不甲斐ない感じの景色が好き。で、そういったドラマは男性を主人公にしたほうが作りやすいんです。女は自分の不甲斐なさを認めないから(笑)。その空虚感というか水のないプール感を出したかったので、この曲はコーラスワークも入れずに淡々と仕上げました。

――ラストの“いつも以上に泳げた気がする 水のないプールだからこそ”とか、不甲斐なさ感が爆発してますよね。一転、5曲目の「数字」は夏っぽい爽やかなポップチューン。

石川:「兄妹」に「水のないプール」と、きっと不甲斐ない曲を続けすぎたと思ったんでしょうね。私にしては今までにないドメジャーな曲で、メロディも素直なら内容もスッキリわかりやすい。数字って、なんか良いじゃないですか。寸分の狂いもなく整然と並んで、すごく潔い。そんなふうにみんなが動けたら幸せだろうけど、現実にはそうはいかないですよね。人間の感情は曖昧で不揃いで、そのへんの不具合さみたいなものを書けたらいいなと。

――考えてみれば物語というのは時の流れと不可分で、時間は数字で成り立っているものですもんね。続く「landscape」は新曲唯一のスローナンバーで、ここでも“「きっと」「いつか」「たぶん」「あした」「もう一度」は”と、時を表すワードが並んでいる。

石川:そのあと“この世界の約束できないものたち”と続くから、要するに私が絶対に信じられない言葉を並べているだけなんですけど(笑)。サビの“あとどれくらいこの歌を歌えるのかしら”というフレーズは、最初に話した“もう死ぬんじゃないか?”という気持ちの表れで、だから、この曲が一番私のリアルに近いかもしれないですね。曲の並び順通りに作っていったから、私の感情の揺れ具合がリアルタイムで反映されているんですよ。

――結果、非常に率直で自然な成り立ちのアルバムになりましたが、気になるのが6曲目の「物語の最初と最後はいらない~左目~」というタイトル。1曲目に酷似していますが、左目とはいったい?

石川:1曲目のほうが右目で見たもの、コッチが左目で見たもので、つまりはパラレルワールドってことですね。視点が異なるというか、ドアを開けたら違う設定の自分がいる感じ。制作してた頃、次にミニアルバムを出すなら、同じタイトルを違う視点で5曲書く!とかってことをやってみたいなぁと思ってたんですよ。例えば同じ世界で主人公を変えるとか、コッチの脇役をアッチでは主人公にしてみるとか。その“プレ”がコレですね。

――1曲目の舞台が野外なのに対して、こっちは室内ですしね。

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