【インタビュー】Ken Yokoyama、アルバム完成「パンクロックが大人になったときに何を歌うべきか」

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■僕、思い切って言いますけど、パンクは音楽じゃないです
■精神ですね、間違いなく

──さて、ここから再びアルバムについて聞かせてください。まずはアルバムタイトルの『Sentimental Trash』ですが、興味深いフレーズですね。

横山:なかなか自分らしいタイトルが付けられたと思うんですよ。今回のアルバムに「Yellow Trash Blues」って曲が入ってるんですけど、その歌詞が今の自分の気分をすごく表していて。多少自虐的ではありますけども、今の等身大の自分を表現できたんです。それこそ1枚目の『The Cost Of My Freedom』のときにも……あれは叙情的に自分のストーリーを綴ったけど、今回は自虐的で。だから感覚的には『The Cost Of My Freedom』と『Ricky Punks』シリーズを足して2で割ったような、そういう自分にとってすごく大事な曲が書けたんですね。なのでアルバムも「Yellow Trash Blues」ってタイトルにしようと思ったんですけど、それだとちょっとイメージが強烈すぎる。アルバム制作の際には、毎回Minamiちゃんに「今回のアルバムは健さんにとってどういうものなのか、それをまず考えてからタイトルを導いていこう」と言われるんですね。今回も同じようなことを聞かれまして、「じゃあ健さんは自分のことを“Trash”(=クズ、ゴミ)と思ってるわけですか?」「俄然“Trash”だねえ」みたいなやり取りがあって、だったら“Trash”というワードを使おうと。ではどんな“Trash”なのかというときに、今回のアルバムに貫かれている歌詞の世界観がものすごくセンチメンタルでノスタルジーにあふれていると……そこについてはまた後で言及しますけども……で、“Nostalgic Trash”よりも“Sentimental Trash”のほうが響きがカッコイイし、わかりやすくてこれにしようと決めたんです。造語なんですけど、強烈なタイトルができたと思いますね。だって“センチメンタルな気分に浸ってるクズ”っていう意味ですから(笑)。

──日本語にすると結構強烈ですよね(笑)。自虐的な要素は今までもいろんなところに散りばめられていたと思いますし、ここまで自分のことをさらけ出したという意味では確かに1stアルバム以来かなという印象があります。それにアルバム全体の雰囲気もなんとなく『The Cost Of My Freedom』に近いような気がしますし。1枚目のときはまだバンドがない状態で作り始めたこともあってか、健さんの中にあったいろんな音楽を吐き出した結果、あのような作風になったと思うんです。

横山:そうなんですよね、はい。

──今回はそこに戻るということとはまた違うと思うんですけど、健さんのルーツ的なものを引き出したという意味では似たところもあるんじゃないかと。

横山:まさにそうかもしれないですね。『The Cost Of My Freedom』のときは一緒に音を鳴らしてくれる仲間はいたけど、気分的には1人ぼっちだった感じがすごくあるんです。でも今回はKen Bandっていう絶対的な信頼を置ける仲間がいてくれて、その中で自叙伝を書いたという感じですかね。

──ノスタルジックという点においては、それこそ「I Won't Turn Off My Radio」みたいに、大人になった自分が過去を振り返って、それを若い人たちに伝えていくというような目線がこのアルバムの歌詞には存在しますよね。

横山:そうですね。若い世代のバンドとか、それこそ自分の子供たちの世代とかを意識して書いた歌詞が多いですね。そこで未来について考えること、例えば子供たちにどんな世の中を残してあげられるかを考えると、自然と自分がどんな世の中で育ってきたかというような、自分を振り返る作業に向かっていくわけです。僕が子供のときに大人に何をしてもらったか、または親に何をしてもらわなかったか、そういうことをすごく考えるんです。すると当然その風景が浮かんできて、甘酸っぱいノスタルジックな気分にもなっていく。僕はそれを夜中に考えて、今スヤスヤ眠っている子供たちのために何かしたい、何かを残さなければいけない、悪いことがあるんだったら世の中を直したいと。古ぼけていく自分と未来がある子供たちと自分の生い立ちと、そんなことを全部同列で考える必要があったんですよ。そうなると、言葉にするとセンチメンタルな気分やノスタルジックな気分になってしまうことを隠せなかったですね、今回は。で、そこにはチャレンジ心もあって。どんなチャレンジ心かというと、パンクロックというものはセンチメンタルなことやノスタルジックなことはNGなはずなんです。

──確かにそうですね。

横山:そんなものクソくらえっていうのがパンクロックなはずですよね。僕も若いときはそうでした。でも若いときって振り返るほどの過去もないわけで、例えば「ノスタルジックな気分クソくらえ」と言った人がいたとしましょう。そいつはきっとガキだったなと思うんですよ。パンクにとってのマナーを作ったかもしれないけども、それって当時のガキが言ったことじゃんか、って思えちゃったんです。すごく言葉が悪いですけど。頭の中で喧嘩させたらどっちが強いかといったら、今の自分の気分のほうが強いなと。で、表面的に考えると“パンクロックがセンチメンタルやノスタルジックなことを歌ったらダメでしょ”って思う自分がいる一方、本当に心底考えると“ガキだったな”という思考回路になる自分もいて、結局後者が勝つんですね。

──つまり健さんがやろうとしていることって、パンクロックというものが大人になったときに何を伝えるべきか、何を歌うべきかに、今、挑戦しているのかなと思うんですが。

横山:それ、そのままリードで使ってください!(笑)。本当にそういうことなんです。パンクスがパンクスのマインドを持ったまま大人になって、責任を負ったときにどうすべきかを僕は体現したかったんですよね。例えば自分さえ気持ち良ければいいやじゃなくて、今、僕たちがやっていることが子供たちの未来の生活につながるわけで、そういった責任がすごくあるなと。また別の話ですけど、『Mステ』に出たってことは、ロックンロールってこんなにカッコいいんだぜ、今をときめくダンスボーカルグループともアイドルグループとも本当は同じ場所に立てるんだぜ、知らなかっただろ?っていうことを伝える責任があるんですね。それを自分に素直にやれてるなって気はすごいします。

──表現者として生き様を見せることで、パンクとは何か、ロックとは何かというのを考えるいいきっかにもなりますし。

横山:僕、思い切って言いますけど、パンクは音楽じゃないです。精神ですね、間違いなく。例えばこういうサウンドじゃなかったらパンクじゃない、こういうファッションじゃなかったらパンクじゃない……確かにファッションというのはパンクと切っても切り離せないものだと思うんですけど、それは70年代80年代の話で、今やこういう格好をしなければパンクじゃない、こういうサウンドじゃなきゃパンクじゃないっていう人がいたとしたら、それはただのコピーですよね。もっと言えば、コスプレです。それをやっている人には本当に申し訳ないけど、きっぱりと言っておきます、それに気付いてくれと。やるんだったらコスプレやってるつもりでやれと言っておきます。はい、喧嘩上等です。いや、“喧嘩上等”はいらいないよな(笑)。

──そこでその人の本気を見せてほしいわけですもんね。

横山:そうですそうです。でも、パンクってそれだけ精神性が大事だと思うんですよ。じゃあ(ザ・クロマニヨンズの)ヒロトさんが何考えたかとか、(LAUGHIN' NOSEの)CHARMYさんが何考えたかとか、海外で言えばジョー・ストラマーが何を考えたかとか、そういうことを汲み取りつつ、それに全部倣うわけではなく、ちゃんと理解しつつ自分はどうするかが僕はパンクロッカーだと思うんですよね。いやあ、今日はすごいこと話しちゃったなあ(笑)。

──それをこのアルバムのタイミングに発言するってことに意味があると思いますよ。「One Last Time」に“夢見る頃はとっくに過ぎたけど それでも生きていくのさ なにかまだ役目が残っているんじゃないかと探しながら オレはそれをもまた夢と呼ぼう”という歌詞がありますけど、これこそまさに今の健さんなわけじゃないですか。歳を取ってもどんどん新しく何かできることを探していく、それがその人にとっての新しい夢になるわけですもんね。

横山:そうですね。でも歳を取った自分を受け止めるっていうのは、男としてはすごく屈辱的なことでもあるんですよ。ミュージシャンとしてももちろんそうだし。“ああ、俺にない才能を持った若い奴が出てきた”って心強く思う反面、いかに自分が古い人間かもわかってしまうので、寂しさもあったりするんですよね。でもそれを全部受け止められて、書けた歌詞が「I Won't Turn Off My Radio」であるわけで、不思議なものでそういうことを一回受け止めると、それがモチベーションになってくるんですよ。古ぼけた自分に何ができるかっていうことがモチベーションというか、それこそ「One Last Time」で歌ったように夢を与えられる存在でいようと努力することが自分のモチベーションになるっていうか。人のためでもあり自分のためでもあるんですよ。

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