これまた一筋縄にはいかない城、それがまさに観音寺城である。ローマは1日にしてならずとは良く言ったものだが、観音寺城も1回来城しただけではその魅力は全部把握出来るわけじゃない。卓偉のアルバムも1枚買えばいいというわけじゃないのと同じだ。でもまあ「共鳴新動」「BEAT&LOOSE」「煉瓦の家」この3枚を聴いてくれればいいと思う。あとはさ、今後出すアルバムをさ、ずっとさ、ゲットし続けてくれればさ、いいんじゃない?とラベンダーもそう言っている。いいんじゃない?を作詞作曲した人って誰?そう中島卓偉です!


脱線。観音寺城に2回来城したパンクロックスターの私でもせめてあと2回、計4回見てこの城の本当の素晴らしさを語れるんじゃないかと思う、とかなんとか言いながら2回しか行ったことないのにもうこのコラムを書こうとしてしまう。それはまさにBEST ALBUMを聴いただけなのにそのバンドやアーティストを語ってしまう奴と同じくらいいただけない。でも書いてしまう、そう、私も所詮いただけないミュージシャンなのである。許してにゃん!同じ事務所のももちもそう言ってくれている。

だが、この城、これまたとんでもないくらい上級者篇なのだ。そう言われたらよっぽど一般人の足は遠のくのだ。だからと言って観てもらえないのは残念だ。誰かが伝えなければ、そこで私が勝手に伝えさせてもらおうかと思っているわけです。私のようなロッカーに紹介されてさぞ観音寺城さんも喜んでおられるわ。俺の才能も同じように誰か伝えてくれんもんかなあ。と思いながら売れずにデビュー16年過ぎてしまう中島卓偉の気持ちをくんでほしい。


この城の面白いところは、隣りに安土城があるというとこだろう。そうなのだ、隣りの山が世界的に有名な信長公の安土城なのである。にもかかわらずこの観音寺城の知名度の低さ、いかんよ。城マニアからすると安土城より観音寺城の方が歴史が古いから観音寺城があっての安土城なわけだ。ルーツは大切。山の大きさも観音寺城の方が2・5倍の大きさを誇る。標高400メートル以上の山に建てられたTHIS IS 山城である。THIS IS ENGLANDと言うこれぞイギリス映画、これを観てないでブリティッシュロックが好きだと言ってる奴を私は信用しない。

もっとも信長公も安土城を築城するにあたって、もう廃城になっていた観音寺城をモチーフにしたという説もある。安土城が総石垣で作った最初の城などとうたわれているがそれは間違いだ。観音寺城の方が50年も早い。山城にこれだけの石垣を組んだ城も当時としてもなかったと言える。それくらい観音寺城は斬新だったのだ。中島卓偉の音楽性と同じくらいに。

築城はおそらく1400年代半ば、佐々木六角氏である。いろいろと城主が代わってはいるが、城の縄張りを広げたのは佐々木六角氏であろう。築城は安土城より約100年早いが石垣はおそらく50年は早かったんじゃないかと推測する。それくらい観音寺城はパイオニアだったのだ、中島卓偉のアレンジセンスと同じくらいに。


面白い作りなのは城の中に観音正寺が存在することだ。そう、寺が同じ山にあるのである、もっとも観音正寺の方がさらに歴史は古いわけで、寺がある場所に城も建てちゃった、そんな城なのである。城が寺を守っている、そうも考えられる、いやきっとそうだったはずだ。なので観音正寺の中は石垣がしっかり組まれていてもはや城である。本堂に向うまでの石段も城とまったく変わらない作りになっていることがわかる。その周りをたくさんの曲輪でもって成り立っているのが観音寺城ということである。昔のアイドルファンで言うところの親衛隊ってやつである。おお~おお~わかりやすいねえ、と言ったのは世代的に40代50代の方々である。

どうしても最初の見学は本丸、平井丸、池田丸、というコースだけになってしまうが、ちょうどお寺の裏辺りにもたくさんの曲輪が存在する。正確な数は確認されてないが1000程の曲輪が存在するという、確かに城の山道を歩くといろんな区画があるのがわかる、そこだけ平地になっていたり、そこだけ木が切られていたり。そのスペースにたくさんの家臣を住まわせていたことが伺える。しかしこれほどまでに曲輪があるなんて。しつこいくらいにいろんなスペースが存在するのだ、ここにもそこにも、あそこにも。それはもうJITTERIN'JINNの「プレゼント」の長いAメロでいつまでたってもサビが来ないしつこさと張る。

だが観音寺城、そのほとんどの曲輪が未完成に終わっているのも事実。度重なる戦でしっかりと城作りに時間が取れなかったということもあるだろう。すべてが途中で終わっているので造りがいい意味で中途半端なのである。だからわからない人には伝わらないと言えるのだ。城マニアからすると、その未完成具合がたまらないのである。ちゃんと完成していたらどんだけ凄かったのよ?とイマジンで城内を歩くわけである。

例えばどの辺が未完成かと言えば、城内で一番インパクトがある平井丸。ここの石垣の写真が城の本に掲載されることが多いわけだが、平井丸の入り口の石段を上がり、真っすぐ進むとその先は本丸にたどり着くかと思いきや、行き止まりなのである。その上にある曲輪が本丸なのに、だ。平井丸を出て、ぐるっと廻っていかないと本丸に入れない。これは狙ってそういう造りになったとは言い切れないと私は思う。絶対にこれは作業途中だと断言したい。その正面の石段の左横も石垣が向き合って単なる空洞になっている。これは絶対に門を建てる予定だったと推測するのだ。その先は崖ではなだらかな斜面になっているので、そこから道を作り、その下にある曲輪、落合丸、そして池田丸につなぐ道となる予定だったと思うのだ。(今これ読んでくれてる城マニアがめっちゃ頷いてくれてるわ~)


その平井丸も正面から今度は右横に行くと潜り門が存在する。これも非常に面白い作りだ。何故ここにこんな小さな潜れる門を作ったのか?逃げ道の為?逃げ道だとしたらせめて城の外側に出口を作ると思うので、この潜り門は城の内側に存在する、謎は深まるばかりである。中島卓偉が売れないのと同じくらいに。

更に下に下りていくと、落合丸、そして池田丸と曲輪が続く。この落合丸は庭のようになっている場所もあるので、もしかすると女性が住んだ館が存在したかもしれない。池田丸にいたっても非常に眺めのいい場所にある。その眺めは本丸以上である。

観音寺城の変わっているところは、通常の二の丸や三の丸という呼び方ではなく、こう言った名字にちなんだ曲輪の呼び方になっているところである。おそらく池田さんが住んでいたに違いない。確かに家臣を住まわせるならそう呼んだ方がわかりやすいっちゃぁわかりやすい。1000以上の曲輪が存在したならばそれを全部把握する、覚えるのは大変じゃなかったんだろうか?私などてめえで書いた詞がてめえで覚えられないのに。

ツアー中に予期せぬアンコールなどで、メンバーやスタッフが、このツアーやってなかった曲をやろうよと言ってくる場合があるが私がツアーメニュー以外の詞は一切覚えられないので、いきなりは無理なのである。毎回決めたセットメニューで叩き込む、そうやらないと覚えられない男なのである。まあ歌詞モニータなどを足下に置いてやるよりいいと思って頑張っているのでるが。あれはさ、ボーカルの目線が下がるから駄目さね、ギタリストがギターソロを顔で弾くように、ボーカリストは歌を目で歌わんとね。誰だ?サングラスして歌いながら実は下にある歌詞モニータ見まくってる奴は!そんなんで歌詞が伝わるとでも思ってんのか!

もうひとつの魅力として、やはり本丸である。その中にある食い違い虎口、これは日本の城では観音寺城だけのデザイン、作り、センスである。食い違い虎口とは、本来虎口というのは門などの入り口をL字に折れ曲がり、正面から敵を突っ込ませない為に作られていることを指す。この食い違い虎口はそのL字が約3回に渡って折れ曲がるというか、きっちり毎回同じ歩数で折れ曲がるのではなく、なんとなく変なふうに折れ曲がり、道と石垣との距離感などを鈍らせる為に作られている、一瞬、あれ?どう進めばいいのかな?と思って考えてしまうのである。そこを横から縦から斜めから仕留めるという非常に良く考えられたデザインになっている。これは本当に面白い。それを食い違いと呼ぶところにまたセンスを感じる。

あれ?なんか歩いてるのに景色が似てるぞ?あれ?進んでんのか戻ってんのかわかんないぞ?のようなデジャヴ。それはKATZEのリズム隊の二人、ベースの克っちゃんを見て、次にドラムの靖っちゃんを見て、ん?二人なんだか顔似てるぞ?ああ兄弟か!というのと近い。あれ?OASISのボーカルの奴とギターの奴の顔も似てんぞ?ああ兄弟か!これも答えは確実に同じである。450円賭けてもいい。

2015年の初夏にtvkのMUTOMAさんで観音寺城をロケさせてもらったのだが、その曲輪の数、未完成な感じに心奪われ、私、テレビの取材ということを忘れ、カメラからどんどん離れてしまい、私のコメントがほとんどマイクに拾われないという失態をおかしてしまった。それくらい城マニアからするとわくわくな城なのである。それは私がガキの頃TBSでやっていた毎週水曜日夜8時からの「わくわく動物ランド」くらいわくわくなのである。司会者だった関口宏もびっくりだ。回答者は右から小林亜星、竹下景子、島田紳介、当時のアイドルの日替わり席、一番左はケントデリカット、もしくはチャックウィルソンという並びであった。我ながら素晴らしい記憶力だ。


観音寺城は日本の山城のベスト10に入る名城だ。総石垣で建てた最初の城は安土城ではない、どの城が一番早かったか、それはなかなか順番を付けれないものではあるが、世間が伝えてる情報は間違っている、まさに食い違い虎口だ。それはKATZEやBOOWYやBUCK-TICKをビジュアル系の元祖などと書き立てていたライターくらい間違っている。音に3コードのロックンロールがあるバンドはビジュアル系では絶対にない。化粧をしているからといってビジュアル系と括られるのはおかしい。良くも悪くもバブル期の音楽雑誌のジャンルの書き方が日本のロックをわかりづらくしてしまったのだ。しっかり音を聴いて判断出来る自分でありたい。その目で見て観音寺城の凄さを感じたい。

最後に余談ではあるが、観音寺城を訪れるなら車で観音寺山林有料道路を使いある程度の高さまで登ってからの来城をお勧めしたいのだが、ここの有料道路の料金所で窓口のお爺さんかお婆さんにお金を払うと、ちょっと待ってね、と言われ、窓口を出てお爺ちゃんが直接ゲートを開けてくれる、おい!手動かよ!と突っ込みたくなる。ちょっとドリフっぽい。いやかなりドリフっぽい。

安土城だけを観るなら安土駅でレンタサイクルをお勧めするが、さすがにレンタサイクルでこの観音寺城の山道を登るのは松崎しげるの愛のメモリーを続けて100回歌うのと同じくらいきつい。なのでせっかく行くのならやはり安土城&観音寺城をセットで観光してほしいのでレンタカーをお勧めしたい。歴史マニア、城マニアはこのセットが鉄板である。


山城だから、観光するの大変だから、登るの疲れるから、いろんな理由で名城の評価が得られない気がしてる。本当の城の凄さは有名な城では感じられない。一般評価が低い城程、城マニアからすると名城なのだ。世の中は大概そんなものである、なので観音時城を評価出来る人こそ本当の城マニアなのである。これはまさに売れてない誰も知らない中島卓偉のファンを長らく続けてくれてる方々の愛と同じである。だがこの方々のいかんところ、それは、

中島卓偉を広げない、ところである。

ああ、観音寺城、また訪れたい……。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル