【ライブレポート】ハンバートハンバート、二人ぼっちで見せたもの。

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ハンバートハンバートが、9月19日(土)に日比谷野外大音楽堂にて単独ライブ<二人でいくんだ、どこまでも>を行なった。タイトル通りに、ハンバートハンバートが二人っきりで臨んだこの日のライブの模様をお届けする。

◆ハンバートハンバート ライブ画像

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開演時間は18時。日の入り後、マジックアワー特有の藍色に辺りが包まれる頃にハンバートハンバートは二人だけで登場した。昨年2014年の秋にも同じ日比谷野音でライブを行ったハンバートであるが、その時はバンド編成だったため、今回は趣向を大きく変えた。全編通して、他にメンバーは誰も出てこない。というシンプルな編成によるライブなので、野外の会場でしっとり秋の訪れを感じながら、なんだか心が和んでいくような、割とほんわかとしたステージを想像してやって来たのである。けれど実際は、もっと彼らの意志がしっかりと宿った力強いライブだった。



まずは挨拶。「オイッスー!」と佐藤良成、「どうもどうも~」と佐野遊穂。お客さんに向けた呼びかけやMCはあくまでもユルいので、もう心が落ち着く空間が出来上がる。ライブは、「いついつまでも」からそのまま「夜明け」へ流れて始まった。「いついつまでも」はミサワホームのCMソングで、現在はハンバートが歌を担当している(ここで楽曲試聴できる http://www.misawa.co.jp/song/)。感動的なコード感で曲は始まっていくので早くもグッと来てしまうが、「ミサワ~ホーム~~」というサビに来ると「あ、この曲か!」という理解と笑いとともに会場からは自然な拍手が起こった。のちにMCで語ったように、ライブでこの曲をやることに二人は「味をしめている」らしく、先日のフジロックでもド頭に披露していた。

ハンバートと言えば、やはり2010年のサントリー・ニチレイのアセロラCMソング「アセロラ体操のうた」が印象的だろう。それも含め彼らは、あくまでも歌ありきで着実に知名度を高めてきたアーティストだ。2005年にシングルとしてリリースされた転機の曲「おなじ話」も各地のFM局でパワープレイされ、その流れを受けて二人は活動範囲のスケールを格段に広げていくことになる。その歩みは今も続いていて、口コミも含め彼らのよさは毎秒ごとに人々に伝わっていってるんじゃないかと思う。何が言いたいかと言うと、ハンバートハンバートの音楽を愛する人の輪は確かに大きくなっているのだ。

だからアーティスト活動としては、なんというか、ファンや世間の存在を自分達の活動に巻き込んでいく“We Are The One”的なテンションに身を置くことも十分あり得る。CDをリリースし、ライブを開催している以上、そういう展望を持つことも別に不思議なことじゃない。それに、元々ハンバートハンバートは、バンドという形態でスタートしており、二人で活動してからももちろんサポートメンバーを迎えてライブをしてきている。だから、バンドで合奏することの純粋な楽しさや、大人数によるゴージャスな雰囲気やアンサンブルの厚み、サポートを迎えた時にサウンドのレパートリーが広がることなど、きっといろいろと経験済みだと想像できる。

でも、目の前に広がるのは二人ぼっちのステージだ。この日、ハンバートハンバートの核だけであろうとした二人の姿は、その歌と同じようにとても本質的なものだと思った。音楽以外の分野で自分達を積極的に切り売りしたり、音楽に対しても余計な脚色をしたりすることなく、いい歌をただただ作って演奏し続けてきたこれまでの二人の結晶だと思ったのだ。





そこでびっくりしたのが、二人だけになることで演奏がスケールダウンするのではなく、まさかのパワーアップが起きていたことだ。アコギだけの演奏の中で佐野と佐藤がそれぞれ違う言葉を同時に歌い、鮮烈な印象と得体のしれないグルーブを生み出した「バビロン」、冒頭から二人の歌声のハーモニーが空に充満してしまう圧倒的な歌唱だった「枯れ枝」。二人しかいないから物足りないとか、一辺倒だということは一切なかった。「パッヘルベルのカノン」をイメージしてもらえばいいだろうか、「さようなら君の街」では凛とした佐藤のバイオリンが雄弁でとてもドラマチックに曲を展開し、曲ができず昼間から酒を飲む男がくだをまき続ける「虎」では佐藤がボーカルをとりながらピアノを弾くと、佐野はハモったりハープを吹いた。そして演奏の曲目自体も、「ロマンスの神様」のカバーなども含んだバラエティ豊かな内容だった。





けれど二人の歌い方はとても淡々としたものだ。過度に表現しようとしないから、かえってこちらの心の中心部に自然に届いてくる。たとえば、わめきながら別れ話をするより冷静に話し合った末に下った決定のほうが、「つらいが、これは現実だ」と認知して受け止められるのと似た感じと言えば伝わるだろうか。あ、もしかしたら、美しいメロディや牧歌的なリズムから、いまだにハンバートの音楽は癒される音楽だというイメージを持っている人もいるかもしれないが、本当はもっと苦しくて、寂しくて、怖くて、いたたまれない出来事も孕んでいるのがハンバートの音楽だ。楽しくて自分の世界が広がるような新鮮な出来事もあるが、そうじゃないこともめちゃくちゃあるのが人生であり、そういう本当の生活感を宿しているのがハンバートの魅力だと思っている。

この日のステージも、特に第一部の舞台演出は生活の柄に囲まれているようで素敵だった。巨大な手ぬぐいが掛かっているようなセットになっていて、そこにはフライ返し、おたま、蛇口、ママレモン型の洗剤、やかんのイラストなどが描かれている(第二部は絵柄がリスや木の葉など秋の模様に変化した)。日比谷野音という開放的な環境も、このライブにとてもしっくり来た。ふと吹いてきてサーッと横断する風の音も、湿気の多い時に神社などに現れる小虫の群れも、夏の終わりらしい虫の綺麗な声も、グズる子どもの声も、演奏が1曲行われるたびに「おわったよ!」と隣で座るお母さんの顔を見上げて報告する子ども、いろんな音がしたりいろんな事が同時多発的に起こっている。この、いろんな物音が聴こえてくる自然さ。そんな状況は、「おべんとう」などが顕著だが、ハンバートの歌と凄くシンクロした。取るに足らないような瞬間でも毎秒ごとに何かが起きていて、多かれ少なかれ私たちは何かを感じている。そういった、生活に潜む実はかけがえのない部分を引き上げ、これだけ的確に表現することはハンバートの才能だ。



そして、「一粒の種」や「コックと作家」のような所謂ポップスとは一線を画す作風もハンバートの特徴だろう。童謡~伝統民謡~愛国歌といった、予め細胞に刻まれているような根源的な感触の歌。これらは古くからずっと口承で伝え続けられてきたような気さえする。さらに言うと、本当は歌とはこういう永遠性があるんだと合点が行くような普遍的な豊かさがある。



それにしても、ハンバートのMCは、この二人ならではの掛け合いが本当に楽しい。今、ライブでMCも絶対に聞き逃したくないのはハンバートの二人とBRAHMANのTOSHI-LOWなんじゃないかと個人的には思うのだが、実際にハンバートは会場限定シリーズ第4弾として、ライブ中のおしゃべりだけを集めた『THE LIVE MC』をこの野音公演から発売している(佐藤が知る限り、こういう音源を発表しているのはさだまさしくらいらしい)。この日も、話のオチがストンと落ちない佐野の話に対して、佐藤が絶妙に相槌を入れたり、必死にその場を取り繕ったりしながらのオリジナリティに富んだMCにたくさん笑った。



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