実は12月頭に僕の通信手段がガラケーからスマホに変わった。日がな一日スマホに支配されているスマホゾンビ達を忌み嫌い、ガラケーという十字架を握りしめて生き抜いて来た僕だったが、ついに感染するに至った。もっとも、かれこれ7~8年使い続けていた僕のガラケー。バッテリーは半日程度しか持たない上、カードの接触不良で日に何度も電源が落ちるといった具合で“もはやこれまで”感満載だったのだが。

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さて、率直な感想を言おう。何をいまさら、スマートフォンとても便利である。まず、Eメールで行なっていたやりとりがラインに変わったことでみんなのリターンがとても早くなった。スタンプも、なんだか大喜利感覚で嫌いじゃない(もちろん購入はしてないが)。加えて、添付のファイルが見れるので、これまで在宅時以外は出来なかったデザインや写真のチェックが可能になり、少々肩身が狭かった外出時の気持ちが楽になった。昔、藤子不二雄Fの作品に、「住民全員が吸血鬼になる病気に感染した町で独り闘い続けていた少年が、奮闘及ばずついぞ吸血鬼となるのだが、いざなってみれば敵だった吸血鬼達が元通りの友人に思え、あんなにも恐ろしかった日没が美しい夜明けに見えた」という非常に考えさせられる短編漫画を読んだことがあったが、何となくそれを思い出した。が、ちょっと違うか。

スマホの話からありがちな展開で恐縮なのだが、今回はテクノロジーに屈したレコードビジネスについて少し僕の考えを述べてみたい。

僕が幼い頃は、まだ家にレコードプレイヤーがあった。カッパがキャラクターの「ピンポンパン」という子供番組のLP(※アナログレコード)を何故だか強く記憶している。テレビゲームに飽き、野球をやめて、僕の生活の中心がウォークマンとエレキギターになるころには、世の中は常識はずれの数字を売り上げるCDで溢れ返っていた。僕も人生で一番音楽を聴いていたであろう時期で、深夜、授業中、教会の公園で現実逃避。ウォークマンの無い時代の人達はどうやって人生を楽しくしていたのだろう、と本気でそう思っていた。

ほどなくして、MDが登場し、音楽をデジタルでダビングすることが可能になる。音質はカセットテープより格段に良く、選曲を”早送り”と”巻き戻し”で微調整する必要も無くなった。だけれども、MDは流行らなかった。アルバムから嫌いな曲を外して編集し直した時に感じた違和感。味気ないMDケースから手書きのタイトルを探す違和感。なのに音質劣化をほとんど感じず聴ける違和感。あの時、MDが流行らなかったのはみんなも僕と同じような違和感を抱いていたからだと思っている。ジャケットのアートワーク、歌詞カードや曲順の大切さ、お店に足を運んでCDを買う意味を僕たちはまだ知っていた。なんなら、CDとの音質差を本気で比べていた可能性だってある。要するにMDは、そういう価値に対するリスペクトを超えるだけの代物では無かった。

しかし、遂にiTunesが世の中に現れると、それまでの常識や価値観は180度変わってしまう。持ち歩かなくて良くなったのだ。再生機一つあればポケットの中に自宅のCDラック全部を入れてどこへでも行ける。その利便性一点のみで「配信」は、音質やらアートワークやらこれまで尊重されて来た作品の付加価値を一気に無意味なものにしてしまった。今年あたりから本格的に主流となりつつあるストリーミング方式。もはやCDラックどころか地球上のレコードショップ全てを持ち運ぶことが出来る“これ”も、ほとんど残っていないはずの“作品の付加価値”の無意味化に追い打ちをかけているに違いない。一体これ以上何を? アーティストの顔? 名前? いやはや、なんとも恐ろしい時代だ。

こうして、振り返ってみればCDはまったくもってアナログだった。お店で買って、プレイヤーにセットして、歌詞カードを見ながらアーティストに想いを馳せる。今のバンドではボーカルすら怪しいが、昔なら他のメンバーの名前もそこそこ答えられたものだ。

と書けば書くほど悲観的な内容になっていくが、利便性を追求するのが人類の性であるし、こうしたことは何も音楽に限って起きているわけでは無い。かく言う僕だってほとんどの音源をiTunesで購入しているし、財布は無くせど、iPodだけは無くさないという執着ぶりからも到底今のシステムを否定する立場にない。

仕方が無い。そう、仕方が無いのだ。便利な乗り物に乗れば足腰は弱る。逆に、不便を我慢し自力で歩けば強い足腰と達成感が手に入る。では、便利で価値の薄くなってしまった音源と対照的に、不便に感じるが価値が高まったモノとは何か。それは間違いなくライヴだ。テクノロジーが生身を超越することは絶対に有り得ない。何故そう言い切れるのかについてはまたの機会にして、感動は生身によってつくられることが大前提であるならば、これから先の未来は音楽家にとって本当は喜ばしい場所のはずだ。

レコードビジネスの盛り上がりは音楽家の底上げに繋がる。本人が作れない付加価値を周りが付けて送り出すことで、多くのスターや名曲が生まれる。それは今なお大事なシステムの一つだ。大スター達と比べればとても小さい話だと、謙遜しつつ言わせてもらえば、メジャーデビューした当初、僕らだって随分と「盛られているな」と感じながらやっていた。そのことを今更否定するつもりはない。盛られていることで、セールスやチャートに対する良いストレスが生まれ、そこにはヒリヒリとした制作環境があり、そこでしか書けない詩や曲がやはり存在した。

ストレスから逃げたのか、それとも闘いの果てか、レコードビジネスの中にいるのに盛られることを拒むという矛盾を抱えながら結局バンドは解散し、僕はソロになった。あれから4年。齢37歳。ソロとはいえ、どこぞに所属している身としては少々まずいことに、最近はアルバムのセールスやチャートが以前程気にならなくなった。何故か、凄く簡単に解答するなら「いい曲を書けたから」「いいライブが出来たから」「歌がうまくなったから」「いずれ認められる自信があるから」。これに強いて加えるなら「誰も売れてないから」(笑)。冗談抜きで本当にそれだけだ。

多分、僕に限らないだろう。そんなピュアなメンタリティーを音楽家が持つことが許される時代は確かに来ている。仕掛け云々に関係なく生身が強い人はどのみち強い存在でいられる時代が来ている。アルバムにおけるアートワークや曲順の価値が低くなっていることは確かに寂しいことではあるが、ライブ会場における演奏やセットリストの価値がそれに勝ると言うのであれば、よっぽど大事なものが僕たちの元に還ってきていると言えるのではないだろうか。

ドーパンに「lost & found」という曲がある。僕はこの言葉を、「失うことで、新しい何かを得ることが出来る」といった、”ちょっと染みることわざ”なつもりで使用していた。今回の内容を考えついた時、タイトルをこれにしようと思いスマホで和訳を調べたところ、「lost & found」=「遺失物取扱所」、「忘れ物置き場」。なんじゃらほい、そんな地味な意味なのかよ。浅学で申し訳ない。しかしながら、今の僕にはその和訳の方が合っているのかもしれない。

セールスやチャートを気にせず、ただ自分が思うカッコいいものをつくろうとしている今。それこそが色々な仕掛けにまさる、最強の武器だと信じている今。たとえ何かを「盛られた」としてもブレない自信のある今。このメンタリティーは決して新しく手に入れたものではなく、バンドを始めた頃に持っていたもの。本質的な部分で忘れていた何かを取り戻せたのなら、レコードビジネスを少々失ったって大したことではないでしょう。それにしても、思いのほか「遺失物取扱所」で大事に保管されていたようで。来年は良い新曲と共に良いライブができそうだ。


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■ライブ<無限大ダンスタイム EAST&WEST>
2015年12月4日(金)@東京 恵比寿LIQUIDROOMセットリスト
01. too young to die
02. Mr.Superman
03. GAME
04. Tabloid Pub Rock
05. We won't stop
06. majestic trancer
07. Beast
08. slow motion
09. 眠りたくない夜は
10. fairy tale
11. 君は神様だったから
12. The way to you
13. mugendai dance time intro(fusion)
14. YA-YA
15. The Fire
16. I don't wanna dance
17. beautiful survivor
18. Hi-Fi
19. transient happiness
20. beat addiction
21. MIRACLE
encore
22. farewell
23. in my dreams
W.encore
24. Candy House
25. Crazy


■ミニアルバム『I don’t wanna dance』

2015年11月4日(水)発売
NIW113 2,000円 + 税
1. I don’t wanna dance
2. deep sleeper
3. slow motion
4. 君は神様だったから
5. in my dreams
6. LIVE at 渋谷WWW 0517

◆【連載】フルカワユタカはこう語った
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