築城主が不明、いつ建てられたかが不明、とにかく謎の多い城である。卓偉が売れないのと同じように。だがその謎が解けないからこその奥行き、魅力なわけである。城マニアの間では中世城郭の教科書のような城と言われている。確かに。山内上杉氏と言われているがやはり根拠はない。いろんな説があるが決め手がない。最初は北条家の城とされてきたが近年の調査でその時代よりも遡った頃に築城されたことがわかっている。歴史が継承されなくなったしまったのは何故なんだろうか?卓偉ファンが卓偉の良さを伝えないのは何故なんだろうか?どんな城でもその街の中で歴史がちゃんと継承されて今に伝わるが、杉山城はここまでも素晴らしい城にも関わらずはっきりとした歴史が途絶えてしまっているのだ。だからこそ歴史マニアの中でずっと騒がれている、どうにかならんかと皆思っている、卓偉が売れないのと同じように、だ。


杉山城はこれまでに発掘調査が何度も行われており、整備もしっかり行き届き、実に見学しやすい。嵐山町に感謝である。二度目に訪れた時に嵐山の役場に立寄り、街のパンフレットをもらったついでにうんこもさせてもらったことも本当に感謝である。刺青丸出しで入っていったのに役場の人達は嫌な顔ひとつせず皆いい人達であった。きっとボディーソープで落ちると思ったんだろう。

城の基本と言える防御、空堀の作り方、土塁の高さ、桝形、土橋、搦手の場所、何処を挙げても確かに教科書と言える。R&Rでいうところのチャック・ベリーだ。ということはこの近辺の城は杉山城があったからこそ城の建て方が広まって行ったんではないかと考えても間違いではない。いや、築城時期が定かではないので、この頃の周りに建てられていた城を真似て、基本中の基本の城を築城したと考えることも出来るが、いや、でも近辺にある城よりも歴史が古いことはわかっているので、やっぱりこの城がパイオニアなんではないかと考える方が近い気がする。近くに東松山城、小倉城などの名城もあるが(いずれ順を追って紹介したい、埼玉県の城は凄いのだ、卓偉と同じように)もし後で建てた城ならば、相手の城より大きく作り、防御をより強く固めないことには戦に負けてしまう。

だからこそ中世の城郭はここから始まったんではないかと思うのだ。中世の城の基本を示す、素晴らしい城、杉山城である。


見学するにあたって、まずお勧めしたいのが、今この時期、冬に見学することをお勧めしたい、他の城でも書いたが、石垣以前の城は基本土塁なので雑草が生えるのだ。まさにビートルズ後期のモジャモジャの髭くらいにだ。よって堀の深さや縄張りが雑草によって見えづらいのである。

冬は雑草が枯れていて非常に見やすい。これが違うだけでずいぶんと違う。日本全国の中世の城を見学するなら秋から冬が鉄板だと思う。寒いがやはり目で見た感動を優先してほしいと思う。杉山清貴&オメガトライブがどんなに「ふたりの夏物語」をヒットさせたからと言って夏ではなく冬に見てほしい。冬物語にしてほしい。


城の大手は玉ノ岡中学校に登る道を上がり、積善寺の墓場の横を上がったら大手だ。現在の玉ノ岡中学校がある場所も城の麓にある館の跡だと私は推測する。本丸からの中学校の眺めも最高であるが、校舎からの杉山城の眺めも素晴らしいはずだ。だがきっと生徒も教師も含め杉山城の凄さや熱さに興味ないだろうな…。言ってしまえば積善寺の場所もひとつの曲輪だと断言したい。何も今残っているところだけが杉山城ではないのだ。杉山清貴&オメガトライブも何もヒット曲は「ふたりの夏物語」だけではないのだ。「SUMMER SUSPICION」も、だ。おい!冬なのにどちらも夏の歌ではないか。

杉山城の素晴らしさを語る上でまず、大手の土橋を行く前に出郭という曲輪に城のパンフレットが備えてある、なんて素晴らしいパフォーマンスなんだ。この無人の感じ、めちゃシュール。なんて粋な計らいだろうか。そこに掲示板があり、城の歴史、縄張りなどが掲載されているのでそこをしっかり頭に叩き込んでから大手の土橋を渡ってほしい。大手がこれだけだだっ広くなっているのはある意味ターミナル的な役割を果たしていたと推測する。すでにここが馬出しだったと思うのだ。乗ってきた馬をここに並べて待たせておいて城に入っていったことがイマジン出来る。暴走族が集会の前に駐車場の広いコンビニでアクセルを空吹かしするのとかなり似ている。



大手を超えると次から次へと空堀と土塁が表れる。その堀は深さはそこまで深くはないがすぐに行く手を阻む。土塁も細かく折れ曲がっており、大手を超えて最初の曲輪である外郭に入った時点でどこを見ても空堀に包囲されることがわかる。卓偉のファンクラブ旅行に参加すれば周りが全員卓偉ファンであることに気付く。そしてどの曲輪に進もうがすべて土橋は桝形虎口になって折れ曲がっていることがわかる。

南三の郭から虎口を抜け、南二の郭、そして井戸郭へ抜けると目の前が本丸なのに行き止まりである。ここは当時どう見ても本丸へ木橋が架けられていたはずである。だがもし攻められた時は木橋を切り落として防御したであろう。よくあるパターンだが非常に理にかなっている。

城のちょうど真ん中、一番高い場所に本丸は存在する、が、杉山城はハの字に羽を広げた城、そこに東側に舌がちょこっと出た感じで東二の郭、東三の郭が連なる。この二つの曲輪両サイドは谷になっており、いわゆる天然の堀切の役目を果たしている。この二つの曲輪にいると谷に吹く風が気持ちいい、まさに風の谷のナウシカ、安田成美もびっくりだ。ここからの本丸の眺めも素晴らしい。両サイドに羽を広げた城はここからが一番眺めがいいと思う。まさに下から見上げたタイタニックだ。ヒロイン役のケイト・ウィンスレットのムチムチしたケツが好きだった。昔から乳より全然ケツが好きだった。今もぶっちぎりで乳よりケツが好きだ。城マニアは大手より搦手、そう乳よりケツなのである。世界中の貧乳の女性に声を大にして5万回くらい言いたい。乳がないことを悔やむ必要はない、だってあなたにはケツがあるではないか、と。男が皆乳が好きだと思ったら大間違いだ、ケツファンは計り知れないのだ、と。だけどもう一度、それでももう一度言わせてもらう。大手よりも搦手、乳よりケツ、なのである。ありがとう、いい~お尻です。

本丸も全方向に高い土塁で固められているが、どこかの角に天守らしき櫓がそびえていたのではないかと考える。そんな櫓が建てれそうなスペースがどの角にも見分けられる。井戸曲輪からの木橋で本丸に入る場合、この本丸の角もいいスペースだし、この場所からの城の大手や麓までの眺めも素晴らしいのでここに天守らしき櫓があったとイマジンしても面白い。もしくは門と櫓がセットになっている彦根城でいうところの天秤櫓的なものがあったんではないかとイマジンするとたまらない。


本丸はさほど広さはないのでどこの曲輪で生活していたのだろうと考えると、本丸の裏、いわゆる搦手を目指すまでにある北二の郭、そして北三の郭、ここのスペース、この曲輪に館など屋敷などの住居を構えて生活していたんではないかと私は推測したい。大手側から一切見えない曲輪なのである。どちらの曲輪も平地が二段になっていることから位の違いによって暮らす場所も違ったんではないだろうか。この二つの曲輪は造りも非常に良く似ている、天才テニスプレイヤー杉山愛選手もお母さんと顔が似ている。何故か?それは親子だからである。

個人的に一番注目したい場所、杉山城で一番好きな場所は本丸の裏を搦手に向って降りたところにある北二の郭手前の二重の空堀である。ここの急斜面に対しての空堀の防御、下から城を登って来てもここにこんな空堀がしかも二重になっていることなど想像がつかない。そして横に伸びたその堀は辿って行くと縦に切られており、堀切の役目を果たすのである。このセンス最高である。まさに「ふたりの夏物語」のサビ、オンリーユ~!きみにささやく~。の「く」の音符を下げてしまうほどのセンスである。水はけの意味もあって縦に堀切が切られる場合も考えれるが杉山城、よく見ると縦に切られた堀切が結構ある。防御と水はけの一石二鳥の役割は見事だ。

その二重になった堀と堀の細い曲輪があるのだが、ここは名前がついていない。その先を歩くとまた堀切が来るのだが、更にその先は井戸の跡がある。もしここで水をくみ、本丸まで持っていくとしたら南三の郭まで回って、南二の郭、井戸郭を回らないと本丸に行けない。井戸のすぐ上が井戸郭だがこの土塁を登って水を運んだとは考えづらい。となるとやはり、生活は北二の郭と北三の郭で、井戸で水をくんだらこの縦の堀切には木橋が架かっていて、それをひとつ渡ればすぐ北二の郭に行けるので、この名前もない曲輪は井戸で水をくんだ時の通り道だったのではないかと推測するのだ。もちろん戦の時には塀を建てて狭間の役割を果たしたこともイマジン出来る。実に夢が広がる。ファンが卓偉を伝える、ライブに誘う、動員が伸びる、CDが売れる、事務所が気を良くして大きい会場を押さえる、グッズが売れる、スタッフが気を良くしてロングツアーを計画する、ファイナルを武道館でやる。売り切れる、ファンが武道館で歌う卓偉を観て泣く、実に夢が広がる。武道館ライブのCDを発売する、売れる。夢が広がる。武道館ライブのDVDを出す、売れる、実に実に夢が広がる。

城の裏口、逃げ道とも言える搦手口の先もなだらかな下りの道が続いている。ここも次回来る時にゆっくり下ってみたい。逃げ道とは思えないほどの緩やかさなのだ。この道はちょっと幻想的だ。まさに現在の中島卓偉の存在のように、卓偉って本当にいるの?いないの?存在するの?してないの?というくらい幻想的だった。



この城がいったいいつ滅びたのか、滅ぼされてはいないのか、そしていつ廃城になったのか、それが謎に包まれたままなのである。だがここまで綺麗に整備されていることは嵐山町に感謝したい。城マニアとして本当に感謝したい。おかげで保存状態もいい。城としては小ぶりなので体力的にも見学しやすいだろう。是非訪れてほしい杉山城である。杉山という字だけでオメガトライブとテニスプレイヤーを無理矢理繋げてしまったことを軽く反省したい。「杉山」しか合ってないこのパワープレイ。年末の追い込みのいい加減さにもほどがある。そういえば昔近所に住んでいた杉山くんは髪が猫っ毛だった。自分しかわからない情報をBARKSさんのコラムに書いてしまう勇気、どうもありがとう。

最後に、今回生まれた名言。

城は「大手より搦手、乳よりケツ」どうもありがとう、引き続き、いい~お尻です。

ああ杉山城 また訪れたい……。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル