至極当たり前のことを言うが人間は年齢とともに変化する。当然、若い頃の方が直線的かつ能動的であるべきで、逆に年をとれば動きが鈍いことを恥じず、それ相応に思慮深く受動的でなくてはいけない。

◆「CRAZY」(HOME DEMO) 音源

僕は音楽という、正解を求め過ぎてはいけない職業についているものの、人間の加齢というものには一つの“正解”があるべきだと思っている。例えばミステリー小説などでよくある駆け出しの刑事とベテラン刑事のコンビ。もしベテランの方がせっかちでそそっかしくて力持ちで性欲が強くて、逆に駆け出しの方が知識豊富で冷静沈着だが積極性に欠ける持病持ち的なキャラ設定では、興味はそそられつつもとてもじゃないが読破できる自信がない。願わくば期待通りの役割分担がなされた登場人物たちが、奇想天外で予想不能な物語の中で描かれていくものを読ませてほしい。

▲<DOPING PANDA TOUR06 DANDYISM~ALL-ONE-MAN-SHOW!!~>

昔の方が尖っていて良かった、などといういい加減で乱暴な評価。僕はあれが嫌いだ。若ければ尖っていて当然。自分の理解の及ばないことだらけの社会の中で、自分は天才だと思っている馬鹿野郎はどうしたって尖っているに決まってる。尖っていることは社会における若者としてのただの“駆け出し的”役割であって、仮に年を経てなお尖り続けているならば“未だ演じている”か“成長出来なかった”のどちらかだ。

今、僕は50歳のおっさんよりは浅はかだけどしっかりとクレイジーだし、20歳のガキよりは冒険心がない代わりに正確性がある。型にはまっているわけではなく、それが僕の現在地であるというだけだ。

酒、女、ドラッグ。ホテルの窓からテレビを放り投げ、ツアーをキャンセルして、アルコール中毒のリハブに入って。そんなザ・ロックスターたちが晩年、世界平和や貧困撲滅を訴えベネフィットに没頭するというよくある話。逆に年をとるほどに人生崩壊していくようなポップアイドルなどは、やはり“未だ演じている”か“成長出来なかった”なのである。

早く投げれない。早く走れない。徹夜で作業出来ない。高い声が出せない。当たり前の身体の退化とともに自分の理想と現実が離ればなれになっていく中、人はそれを経験に基づく思考で補っていく。肉体を肉体で補おうとすればどこかで破綻する。地位も名誉もさほどない僕が悟ったように語ることではないかもしれないけど、”普遍的かつ客観的な答え”として、これは誰しもそうあるべきだろう。

▲DOPING PANDA 2010<DP SUMMIT>

若い頃の僕は自分の音楽に必要以上に自信を持っていたが、一方、自分の歌声があまり好きではなかった。ハスキーと言うよりも歪んでいて、力一杯に張り上げてもなお、納得する響きを作れない。それでも当時は振り絞って歌う一生懸命さがある種の青臭さを演出し、一枚絵に収まっている面もあった。だが、年を経ていくうちに楽曲を表現しきれていない自分の歌声に、当然ながら苛立ちを感じるようになっていく。

具体的に危機感を覚えたのは、メジャー3枚目のアルバム『decadance』(2009年6月発売)をレコーディングしていた頃だ。年間70本強というライブの中、ファルセットと張り上げ声の多用により喉は疲弊し、さらにはギタリストの職業病とも言える姿勢の悪癖によって、それまで勢いで出していた高音がさらに出しにくい状態になっていた。レコーディングは丸一日かけて、それこそ何十テイクと録り、必要な部分だけを繋げて1曲にするという大作業だったし、当然ツアーでは音源の様に歌えずに苦しむことが多くなった。

何よりビックマウスが売りで、他者を揶揄する僕のパフォーマンスから自信や勢いが失われていることが大いに問題で、本来宣伝しなければならないアルバムのインタビューにおいて自虐的で後ろ向きな発言が多くなったのもこの頃だ。「このままではいけない」。僕は音源制作やライブ活動を抑え、歌い方を変える決心をした。とにかく上手くなりたい。高い声も楽々出して、誰よりも歌が上手くなりたい。みんなより僕の方が面白い音楽をつくっている、歌さえ上手ければ。そうすればライブでも自信を持って歌える。あのイキがったMCが復活すればまたみんな盛り上がってくれる。

▲<DOPING PANDA 2012/4/19>

“歌は天性のもの”と言うがあれは半分正解で、生まれ育った環境(特に親の発声方法)によって歌に適した声を持っている人がいるのは事実。残念ながら僕はそのような天性の声を持ち合わせていなかった。だから、頭で考え、力を振り絞らないとうまく歌えなかった。とても逆説的だけれども、僕はそれ以来ずっと頭で考えて歌わないで済むように、精一杯歌のことを頭で考えてきた。

時にはやればやるほど僕の声は駄目になっていると言われたこともあった。実際、一切の高音が出なくなったり、ファルセットが全く出せなくなったり、そもそもの個性である低音が出せなくなったり、その全部がいっぺんに襲ってきたり(笑)。心の底から自信をなくしてバンドにボーカリストを入れようとしたこともあった(結果的に断られたが、実際にオファーもしていた)。

▲フルカワユタカ 2015<無限大ダンスタイム EAST&WEST>

あの決心から6年以上経った。結果として僕は未だ上手な歌手にはなれていない。もっとも、もはやなりたいとも思っていない。なりたかったのならば初めからボイストレーニングに行くべきだった。「僕より上手いボーカリストは世の中に大勢いる。だけれども、僕のように歌える人はどこにもいない」。(不必要かつ不健康だったかもしれないが量的には相当の努力、から得たほんの少しの)歌唱力の成長と解散やらソロ活動やらの経験値から手に入れた答えは、結局それだった。

不自然に強ばった肩や筋張った首はこの6年で消え、不揃いな歯並び(愛着はある)ながら素直に開いた口から吐き出される僕の歌はとても素直だ。6年は長かったのか短かったのか、振り返ってみればそれだけが重要なことだった。気づけばステージ上の僕の口から他人を揶揄するような言葉はなくなっていた。何も上手いことを言いたいわけではないが、僕のつくる音楽からも強ばり筋張ったものは消え、生まれつきの不揃い感以外はとてもピュアなものが残っている気がする。

これを丸くなったと言われるのなら仕方がない。だけれども僕は若さを演じていないし、未だ成長し続けている。何より今の自分の音楽や声が好きだ。当然、昔の虚勢ばった自分の音楽も好きではある上でだが。

先月のコラムで触れたが、僕は歌やミックスの研究をしていたホームスタジオを来月卒業する。以下、何気ない宅録デモレベルではあるが”yellow funk studio”における僕の“卒論”を録ってみた。不思議なもので、今の声で歌うとその歌詞にも当時とは別の意味合いを感じる。やはり素晴らしいメロディーだったではないかと自画自賛できるのも、作曲家であると同時に僕が哲学を持った努力家であったからこそ。熟れていく自分を自分の作品の中に気づく愉しみ。万歳。


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「CRAZY」
作詞:Yutaka Furukawa 作曲:Yutaka Furukawa

アイム・ソーリーミー ミラクル起こせなくてさ
でもファイヤーは赤く焦がれ続けてる
今話す声は世に合わせ覚えた台詞と違うから
だからもっと伝わるよリアルに
そう誰に捧げる歌じゃないんだ
もうちょっと高く飛びたいから
語っちゃうよやたら駄目だって言ってた感じの
だけどもっとここで分かる合図で

今君が息を吐く世界を
もっと自由に揺らしてみせた
すごいだろ
ねえギュッとしよう

gonna be crazy

くだらないプライド デバイスして
青すぎる軽薄着込んでた
ここをもっと奇麗に知れば早く気づいたかな
この世界の一人じゃ寂しいわけに

今君が息を吸う意味さえ
嘘の魔法で答えてみせた
怖いのかい
もうちょっとだけ

gonna be crazy

pardon me
you would understand
I was scared
I was getting in the way
better the I know
to say it I mean it all that I got do
wanna go higher
going with or without you
it might really mean
I need and I am ready to go
guess I really wanna see
I might be ready to grow closer now but my eyes aren’t blue
gonna be crazy

ここで息を吐きながら君をもっと
揺らしてみせるんだ

   ◆   ◆   ◆

◆【連載】フルカワユタカはこう語った
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