【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.46「WHITE SHAMAN、天国へ」

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森岡賢氏がこの世から消えたという悲報を知り、ボウイが星となった以来久々に涙がこぼれた。

彼を初めて観たのは高校生の頃だった。90年代前半、高校のクラスメイトがSOFT BALLETのファンだったこともあって、イベントやワンマンを観る機会に恵まれた。それがきっかけでフリークとまではならないまでも、魅惑のバンドとして捉えていたし、ライブを観るたびに圧倒されていた。


ソフトバレエは言わずもがな遠藤遼一、藤井麻輝、森岡賢の3人の奇才から成り立つ集団で、3人でありながら個体であったし、バンドと称するには他と違いすぎた。それはYMOを表現するときに「バンド」とは言わずに「YMO」と表すのと同じような感覚だと思う。

打ち込みサウンドと生の楽器音から成るそのステージングからは、壮大な宇宙を連想させられ、イベント出演時には特異で異様な存在感を常に放っていた。きっと前後のバンドはやりにくかったことだろう。

当時観たイベントで「LSB」というのがあった。「L」=LUNA SEA、「S」= SOFT BALLET、「B」=BUCK-TICKで、この3バンドが全国を廻り、各地では人気が出る前のL'Arc-en-CielやTHE MAD CAPSULE MARKETS、DIE IN CRIES、THE YELLOW MONKEYがゲスト出演するという内容だったのだが、あれは当時の日本のロックシーンならではと言える非常に画期的なイベントだったと思う。そのステージでもSOFT BALLETはやはりSOFT BALLETでしかなかったのだけれども。

ボウイ、マンソン、美輪明宏、そしてSOFT BALLET。人間離れした才を持つ芸術家として彼らに共通点を勝手に見いだしているのだが、今年はその中の二人を失うだなんて考えもしなかった。とても悲しいし、フジマキさんとのminus(-)始動というアナウンスを耳にしたとき、気にはしていたもののチケットを入手しなかったことを今更ながら後悔している。

「時代が早すぎた」が当てはまるのか、人々の感性がついていけなかったのか。理由はどうでもいいが、SOFT BALLETはマイノリティのまま終わってしまったけれど、筆者がそうであるように、「ロックは生音であるべき」という誤った固定観念を一蹴し、電子サウンドで踊ることの気持ちよさを教えてくれた特別な存在だという人も多いのではないだろうか。殊に森岡賢という芸術家の、ステージ上で自己を解放しきっていた自由な姿から受けた衝撃はとてつもなく大きなものであった。

そんなことを考えながら、今朝はいつもの英語知育CDではなく、大好きだったSOFT BALLETのアルバムを引っ張り出してみたところ、1歳半の息子が音に合わせて踊り出した。

好きな音楽を聴くと彼は笑顔で踊り出すのだが…そうか、SOFT BALLETが好きか! 嬉しいのと切ないのとで胸がいっぱいになって、またポロっと涙が出た。森岡さん、ありがとう。これからも踊らせてもらいます。

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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